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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

熊本あれこれ

2010-04-01 12:11:58 | 熊本
・日本三級流の一つ球磨川の上流川辺川に建設予定の川辺川ダムは建設中止へと動いている。
 下流にある水力発電用ダムである荒瀬ダムは前任女性知事が撤去を表明し、唯一仕事らしい
 仕事を残した。東大の現役政治学者であった現知事は、まだ儲かるとばかりに前任者の方針
 を撤回存続を表明してたが、地元の大反発を受け自民党県議団からも見放されあえなく撤回、
 ならば着工まででも使いたい思いがあったようだが四面楚歌、水利権が得られずついにギブア
 ップ水門は開けられ発電機は止まった。政治学者としては先が読めないお粗末さを印象付けた。
 二年後の解体着工というが、どう変わっていくのか興味深い。

・熊本市は周辺町村を合併して、政令指定都市への移行へ動き出した。区割りでもめているらし
 い。私の所は多分「東区」なんぞということになるのだろうが、区役所が何所に建つのかが一番
 の関心事である。

・新幹線のレールも完全につながり、来年の完全開通に向けて周辺整備が慌しいが、いろんな工
 事が間に合わないままという事になるらしい。二棟建設予定だった国の総合庁舎も一棟は建設
 することさえご破算のようだし・・・どうなることやら。
 路面電車の軌道敷きを「芝張り」にする事業が近々はじまるらしい。

・テレビで熊本動物園の可愛いお猿さんの映像を拝見・・・なんと近くにある桜の木の「桜吹雪」が
 好物だそうな。(花見ではなく食べ物です)それも一匹二匹の話しではない。さかんに花びらを摘
 んでは口に運んでいる。動物園職員曰く「餌はちゃんとやっています」、入園者の幼稚園児曰く
 「たまがった~」

・新大関・把瑠都関が所属する「尾上部室」、その尾上親方は「濱ノ嶋関」熊本県宇土市出身です。
 応援のし甲斐がありますねー楽しみだー。

・熊本日日新聞の「言葉のゆりかご」のあと企画と思われる、「この人ひと言」の連載が始まった。
 担当はなんと大好きな作家・出久根達郎氏である。よきかなーよきかな。第一回目は勝海舟の
 息子嫁・クララホイットニーの話、改めて「クララの明治日記」を読もうと思っている。
 毎日連載らしいから切抜きが大変だ。
コメント (1)
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細川家譜--細川忠興譜 ・・ 10

2010-04-01 10:43:20 | 細川家譜

                            
【ガラシャ死す】
忠興カ大坂ノ邸玉造ニハ出陳ノ跡内室初メ婦人計リニテ稲冨伊賀・小笠原少齋・河北無世・金津
助次郎其外僅ノ士ニテ留守シケルカ三成諸将ヲカタラヒ内府ヲ討ツヘキ企ニテ一味ノ面々大坂ニ
馳せ集リテ諸大名ノ家族大坂城中ニアルヲ若シ盗出ス事モヤアラント口々ニ邏所ヲ設ケ晝夜是ヲ
守ル中ニモ関東出陳諸将ノ家族ヲ本丸へトリ入レ人質トスル時ハ見方ニ属スル者多カルヘシトノ
評議アル由聞へケレハ七月十二日少齋無世奥へ入リ老女ヲ以テ忠興内室へ右ノ趣申述ケレハ
夫君ト治部少トハ兼々不和ナレハ人質ヲ取ル 始メニハ定テ此方へ申越スヘシ左アラハ脇ナミノ
見合コレナク返答如何イタシ宜シカランヤ分別セヨトアリケレハ両人戴へケルヤウ與一郎君與五
郎君ハハヤ出陳セラレ光千代君 忠利幼名ナリ是ヨリ先キ江戸二質タリ ハ江戸へ在リ今此許ニテ人質ニ
出スヘキ人ハコレナキ旨返答イタスへシト申シケレハ一段然ルへシト同心ス 乃チ少齋使者ヲ以
テ上方ノ形勢ヲ忠興へ報告ス サテ石田方ノ僉議ニ人質ノ初メ忠興カ妻ヲ召捕リ少シク鬱憤ヲ散
スヘシトテ日比出入ノテウコント云フ尼ヲ頼ミ忠興カ室ニ内々ヨリ登城スヘキトノ儀ヲ色々詞ヲ飾リ
勧メケレ共敢テ同意ナキ故テウコン力ナク歸リ又其後来テ浮田氏ハ即君與一郎内室ヨリノ一門ナ
レハ彼方マテ出ラレナハ人質ニ出ルトハ世間ニモ申間敷由説諭シケレハイカニモ浮田氏ハ一門ナ
レトモ是モ治部少ト一味ノ由聞及タレハ夫マテ出ルモ人質同前ノ事ナリトテ一向二承引セス依之
内々ニテハ迚モ済マシトノ評議ナルヤ十六日表向ノ使ヲ以テ内室登城スヘシト申来ル 少齋・無
世・伊賀相談シテ越中守私第ハ遠處ニテモコレナク此儘差置レ度ト返答ニ及ヒケントモ再三使来
リ是質ニ出スヘシ左ナクハ押懸テ取ルヘキ由申ケレハ各談合シテ我々切腹致ストモ人質ニ
出ス儀ハナラサル由返答シテ是ヨリ邸中皆覺悟ヲ究ム 忠興カ内室之ヲ聞キ城中ニ入テ恥ヲサ
ラサン事努々思ヒモヨラス重テ使来ラハ速ニ自害スヘシ其時ハ少齋来テ介錯スヘシト云ケレハ少
齋モ大ニ感シテ尤ナリト同心ス 去ナカラ何卒丹後へ退ケ参ラスヘント中ケレハ内室ノ曰夫君出
陳前仰置レタル言アレハ一歩モ邸外ヘハ出マシト唯一筋ニ決心シタル事ナレハ時分ヲ計ラヒ知ラ
スヘシトナリ 少齋等涙ヲ掩ヒ有難クモ思ヒ定メラレタリ 主君出馬ノ砌モ自然ノ事アランニ於テハ
恥ナキ様ニ計フヘシト呉々命シ置レタリ此上ハ潔ク死ヲ遂ケ玉へ我々モ御供仕ルヘシト各具用意
ヲソシタリケル サテ忠興内室ヨリ忠隆ノ室ニ如何心得玉フヤト申遣シケレハ自ヲモ同時ニ思ヒ定
メタリト返答アリ 又幽齋カ妹宮川ニ向ヒ城中ヨリ我等ヲ人質ニ取ラント申来リシ故自ラハ賤女ノ躰
ニテ立退クヘキ覺悟ナリ御身ハ老年ナル故急ニ退カン事モ叶フマシ今ノ内ニ此所ヲ出テ雄長老ノ
方へ立チ忍ハセ玉フヘシト色々贈シケレハ許容して出立ル 最早心安シトテ遺書等認メ愈覺悟ヲ
究メケリ 少齋等ハ三人啇議シテ今ニテモ城中ヨリ迎ノ人數来リ邸内へ押入ナハ稲冨ハ西門二
居テ敵ヲ防クヘシ 其内ニ両人ハ萬ツ取シタゝメ自害ヲサセント相定メ敵ノ来ルヲ待居タリ 斯テ十
七日ノ暮ニ及ヒ又催促ノ使多人數引率シ邸第ヲ圍テ再三登城ヲ促セ共遅緩ナレハ屹ト迎ヲ遣シタ
リ早々至ラルへシト聲ヲ勵シテ呼ハリ既二押入ルヘキ様子ナリ 少齋無世之ヲ聞テ奥へ入リ斯ト
告ケレハ内室ハ覺悟ノ上ニテ忠隆カ室ハイカニト其部室ニ人ヲ遣シケルニ見へサセラレスト申ケレ
ハ氣色アシク獨リ最後ノ支度ヲソイタシケル 此忠隆ノ室ハ隣邸浮田中納言秀家ノ室ノ妹ナル故
密ニ加賀邸ニ退セタルナリ 斯テ忠興内室ハ召仕ノ女ニ悉ク暇ヲ遣シ落去ル様ニト命シケル故忍
出タルモアリ残リタルモノモアリ 中ニモ霜オクト云フ両人ノ侍女ニ遺言シケルハ子供ノ事ハ夫君
ノ為ニモ子ナリ改メ言ニ及ハス三宅藤兵衛 内室ノ甥ナリ 事ヲ依頼ストアリケレハ両人涙ヲ流シ其儀
而己ナラハ他人ニ命セラルへし明暮側ヲ離レス深キ洪恩ヲ蒙リタル身ノ此時二臨ミイカテ立退ンヤ
是非随ヒ奉ルへシト申ケルニ内室我詞ヲ背カハ死ル共嬉シトハ思ハシナカラヘテ最後ノ體ヲ傳へ
ナハ草葉ノ蔭ニテモ満足タルヘシト様々慰メ諭シテ忠興ト子共へノ形見ノ品々ヲ残シ置キ光千代
カ乳母ニハ光千代へノ形見ヲ渡シケレハオクモ霜モ此上ハ詮方無シト領掌ス 内室最早心ニ掛ル
事無シ少齋介錯スヘシト云フ 少齋即チ畏リテ長刀ヲ提ケ老女ヲ先二タテ至リシ處髪ヲ手ツカラキ
リ々々ト上へ巻キ揚ル 少齋左様ニテハアラスト申セハ心得タリトテ胸ノ所ヲ両方へクハツト押開
ケリ少齋閾ヲ隔テゝ今少シ此方へ出給ヘト申スニ閾近ク居直ルヲ長刀ニテ心元ヲ突通シタリ オ
ク霜ハ此有様ヲ見届ケ形見ノ品々ヲ持チ姿ヲカヘテ忍ヒ出ツ 無世ハ此間ニ少齋諸共遺書ヲ認メ
家人河北助六・山内新左衛門ニ渡シ猶又委細ニ言含メ関東ニ差遣ス 稲冨伊賀ハ是ヨリ先キニ
邸第ヲ立退タリ サテ内室死骸ノ邊リニハ蔀遣戸ヲ取カケ自害ノ間ヨリ奥ノ戸口マテ火薬ヲマキ散
シ火ヲ放チ少齋・無世一所ニ居直り武士モ武士ニヨルへシ日本ニ名ヲ得タル越中守カ妻豈敵ノ為
メ因レニナランヤト聲々ニ呼ハリ一同ニ腹掻切テ死ス 河北カ家人河北六左衛門ハ両人ヲ介錯シ
其身モ臺所ノ土間ニテ割腹ス 金津助次郎ハ邸内馳廻リ死骸ノ邊へ猶燃へ艸ヲ投込ミ所々ニ火
ヲ散シ屋根ノ上ニテ大肌ヌキツゝ立揚リ我ハ金津助次郎ト云フ者ナリ越中守内室生害ニテ少斎・
無世モ殉死ヲ遂ケ畢ヌ 士ノ腹切テ主ノ供スル様ヲ見ヨヤト高聲ニ呼ハリ立腹切テ焰ノ中ニ飛入
タリ 飛脚助六・新左衛門両人ハ難ナク屋敷ヲ出テ二町ハカリ経テ顧ルニ猛火熾ニ見へケレハ助
六云最早主人モ自害ト見ヘタリ其最後ヲ見ステゝハ一足モ先へ行レストテ立歸リ煙ノ中ニカケ込
ミ殉死セリ 新左衛門ハ大切ノ使ト思ヒ夜ヲ日ニ継テ関東へ馳下リヌ 是ニ依テ大坂城中評議カ
ハリ是怨ヲ深シ敵ヲ増スノ理ナリトテ諸大将ノ内室ヲ人質ニ取ル事ハ止ケルトナリ 程無ク関東勝
利ヲ得ラレ諸将ヲ重ク賞セラレシ時内府今悉ク諸大名ノ人質ヲ返ス事ヲ得ルハ偏ニ忠興夫婦ノ忠
義ナリサレ共忠興ノ心底ハ察入ルト申サレケリ

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