津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家譜--細川齊茲譜 ・・ 2(了)

2010-04-30 18:42:47 | 細川家譜

三年癸亥受免ノ法ヲ定ム 受免トハ土免ノ定數ヲ民ニ受負ハシメ年ノ豊凶ニ拘ハラス所務スルヲ云 當國租税ノ舊法ハ寛永ノ地撫シ 加藤氏ノ舊法ニ依リ三年ヲ平均シテ物成ヲ定メ風水ノ損毛アル時ハ實ヲ検シテ之ヲ取ル後ニ所謂損引ナリ 延寶ノ土免 十ケ年ヲ平均シ地味ノ善悪土反別等考合スル法ナリ 寶暦ノ地引合寶暦七年ヨリ十三ケ年ヲ経テ地方の経界ヲ定ム 等屢改革ヲ経テ其法稍ク密ナリ然レ共租税は猶延寶土免ノ法ニ沿リ年ニ随テ豊歉アリ故ニ若一タヒ凶荒ニ遇フ時ハ必ス役人ヲ遣ハシテ諸郡ノ損毛ヲ巡察セシム 於是大勢ノ役人郡中ヲ巡行シ村役立合ヒ試升等數日ヲ経ルニ付テハ人馬ノ労饗應ノ費皆郡中ヨリ之ヲ辨ス且其事ヲ終ルマテ収納ヲ許サ々レハ作毛雨露ニ暴サレ餘計ノ損毛ヲ重子随テ跡根付モ延引シ春作ヲ妨ク 如此ノ類民ノ疾苦最多シ且損引分ハ物成ノ不足トナリ會計ノ規則ヲ定ムル事能ハス 彼是ノ患アルヲ以テ既ニ寶暦度地引合ノ節時ノ執政堀平太左衛門受負ニ定ムヘキトノ志有レ共其事遽カニ行ヒ難キヲ知テ姑ク黙止シタルヲ今年ニ至テ奉行島田嘉津次彼ノ平太左衛門ノ志ヲ継キ其議ヲ有司ニ下シ孝定セシム 其法安永三年ヨリ今年マテ都合三十ケ年ノ間當領ノ現高七拾一萬五千石餘ノ物成ト遂年損毛ノ所務高トヲ平均スレハ二拾七萬二千石餘ノ歳入ニテ三ツ八歩二朱餘ノ免トナル コレヲ延寶ノ土免四ツ六歩餘ノ物成三十三萬五千石餘ニ差引ク時ハ六萬三千石餘ノ餘米アリ之ヲ一國ノ民ニ與へ其私有ヲ寛ニシテ三ツ八歩餘ノ定免ヲ年ノ豊凶ヲ論セス 之ヲ納メシム然レ共猶其苦ム所アラン事ヲ恐レテ更ニ潤色ノ一法ヲ設ケ兼テ餘米ノ内ニ歩ヲ貯ヘテ其不足ヲ補ハシム 然ルニ此餘米ヲ小民ニ貯ヘシムル時ハ不時ノ失墜トナシ凶荒ノ歳ニ至テ却テ賠償ニ苦マントス 因テ右ニ歩米ヲ備へ米斗唱へ年貢ニ准シテ其管轄セル會議所ニ備置テ若凶荒ニ遇テ受免ヲ細メ得サル事有テ申出レハ郡代初總庄屋等其作毛ヲ検定し相應ニ備へ米ヲ與へ其不足ヲ補ハシム 翌文化元年右ニ歩米ヲ猶一歩五朱ニ減ス 是ヲ一歩半米ト唱へ受免ノ定備トス 於是下ニ冗費ヲ省キ上ニ闕税無ク各其法ヲ便ナリトシテ農務大ニ効験ヲ得タリ 此擧ニ因テ諸郡役人巡検ノ費ヲ省ク事許多ナリ 因テ國中ニ令シテ毎年二萬石ノ上米ヲ納メシメテ以テ會計ノ不足ヲ補ハシム
島田嘉津次ハ島田郷右衛二男ナリ 郷右衛門肥後八代城附馬廻ニテ代々百五拾石ヲ知行す 嘉津次幼二シテ家賓シ一旦剃髪シテ僧トナル 適家兄病死ス 遂ニ家ニ還ルヲ得タリ 其為人聡明夙ク學文ニ非サレハ知識ヲ開クノ道無事ヲ知ル 二三ノ同志ヲ求メ日夜勤學ス 燈火ニ乏シク薪ヲ燃テ書ヲ照ス 生ル後府學ニ入寮ス 書中蚊帳ナシ反故を集メテ紙帳ヲ作ル 聡明ノ資質加フルニ心志ヲ刻苦スル事如此教授藪茂次郎素ヨリ其才識ヲ知リ時ノ執政堀平太左衛門ニ申入ル 平太左衛門亦善ク之ヲ遇シ官府會計ノ秘録ヲ與ヘテ之ヲ讀シム 因テ嘉津次モ能ク方向ヲ知テ益経済ノ學ニ力ヲ用ユ然レ共初メ郡代タル時は人ト異ナル事無カ如シ 其漸ク進ムニ及テ其任大ナル時ハ其業益盛ニシテ齊茲齊樹二代ニ仕ヘテ大ニ用ラレ遂ニ能ク寶暦中興ノ遺業ヲ潤色セリ 決断流ル々々如ク筆翰立トコロニ就リ人ノ難豦時變ニ處スル事最其長スル所ナリ 齊茲隠居ノ時齊樹ニ我老臣ヲ遣スト云ヘリ 家督ニ添テ引譲ルノ意ナリ 八代城附ヨリ起テ遂ニ中老トナリ禄千二百石ニ至ル 本藩非常ノ抜擢ナリ 門下有名ノ士ヲ輩出シテ各能ク経済ノ功ヲ立ル事ヲ得タリ

六月廿一日勘定頭井上長九郎以下十餘人ヲ貶黜ス 是ヨリ先寶暦ノ革政ニ因テ國計漸々不足ヲ補ヒ明和安永ニ至テ一國良法ニ安シケルカ寛政中非常ノ災害並ヒ至リ國力殆ト窮スルニ及テ長九郎計策ヲ以テ無實ノ楮幣ヲ造リ又歩入米等種々ノ法ヲ以テ國計ヲ立ントセシ處ヨリ姦商共不正ノ利ヲ掠メ勝手向愈以テ逼迫ニ及ヘリ 畢竟會計ノ根元ニ心付薄キ故トテ長九郎以下ヲ貶黜シ新タ二勘定目附二員ヲ置テ観察セシメ會計ノ法大ニ革ル 嶋田嘉津次改革ノ主事トシテ精覈ノ考議ヲ建ツ 葢シ當時ノ急務トスル處食貨ノ二ツ二在リ故ニ當藩寶暦ノ革政後享和ノ事業最大ナリトス

文化元年甲子冬時習館尊明閣西楣二白鹿洞書院掲示ヲ掛ケシム 藩中此頃マテ種々ノ學派アリシカ是ヨリ學ヨリ學館ノ生徒専ラ程朱ノ學ニ方向ヲ定ム
文化ノ初年長崎へ異國舩入津ノ報告アリ 出兵有ルヘシトテ種々ノ風説穏カナラス急ニ留守居伊藤又左衛門ヲシテ長崎ニ赴カシム 於是城下大ニ騒キ浮説益盛ナリ 齊茲此夜邸中ニ於テ囃子ヲ命シ武備ニ與ルモノモ亦其人數ニ加ヘテ深更ニ及フ 翌日浮説十カ一ニ減シ遂ニ鎮定ニ至ル

二年乙丑正月十日歌舞伎浄瑠璃踊ノ類捴テ芝居同様ノ人集リハ近年差留置ケル豦城下郡中共ニ前々ヨリ有来リシ場所ニテ諸事質素ニ興行スルハ苦シカラス然レ共士ノ子弟往々奉公ヲ勤ヘキ類は城下内外ノ差別ナク歌舞伎其外見セ物アル場ニ入込事遠慮スヘシト布告ス
三月牛馬ヲ盗ム者ハ斬罪ノ定刑ナリ  古来ヨリノ國典ナリ 然ルニ貧困ニ迫リ或ハ不圖心得違シテ盗取リ情緒軽キハ死ニ入レス 一旦教刑ノ重ニ處シ再ヒ犯ス者又ハ同類ヲ數多駈催シ或ハ牛馬盗ヲ産業ノ如クスル者ハ此限ニ非ラスト議定ス

三年丙寅三月四日江戸大火龍口屋敷モ危ク見へケルハ此由ヲ齊茲ニ告ク 齊茲云ク長屋ニ火掛ル程ナラハ立退クへシ其節ハ老若一同ニ我ニ附従来ルヘキ用意スヘシトナリ 奥向ヲ始トシテ邸内定詰ノ家内マテモ先ツテ立退ク事ヲ憚リ窺ヒ居ケル程ニ用意十分ニ調フ時既ニ長屋ニ火掛ラントス 此由ヲ告ク齊茲夫ヨリ湯浴シ火事装束ニ着替へ馬ニ乗り徐々トシテ地道ヲ歩セ行ケルユヘ後二附添ヒ老若皆無恙芝ノ屋敷ニ立退ク間モ無ク龍口屋敷ハ類焼セリ

四年丁卯四月當時勝手向難澁ノ折柄ナレハ役人共相互ニ存寄申合セ國ノ為ニスル事勿論ナリ 就中勘定所ト郡代ハ諸事通議スヘシ 其故ハ民力ノ盛衰ハ所務ノ可否ニ係リ山海川澤ノ利害ハ貨財ノ損益トナル 且又勘定ノ駈引ハ郡村野興廃ニ係ル故ニ勘定所目附は折々郡代詰間ニ出席シ或ハ郡村打廻リ郡政ノ得失ヲ察シ存寄ノ筋ハ郡代ト相議シ且郡代ヲ始トシテ捴庄屋以下モ勘定所取計ノ當否ニ心付カハ勘定所目附ト相議スヘキ旨布告ス

五年戊辰十二月凡家中ノ士ヲ罪科ニ處スルニ其罪状未タ發セス 世上ノ聞ヘモ無キ内自ラ過ヲ悔ヒ親類モ早ク心付キテ病乱ト穪シ知行ヲ還納スル者アラハ宥議ヲ加へ臨時ノ僉議ヲ以テ家名断絶ニ至ラサラシムヘシト議定ス

天保六年乙未十月廿三日江戸芝白銀ノ屋敷ニ於テ卒ス年七十七 齊茲天資聡明果断往々人意ノ表ニ出ツ威厳能区権門尊貴ノ人ヲ服セシム 常ニ節倹ヲ守リ撫恤ヲ施シ身ヲ政事ニ委ヌ故ニ一世ノ治業其功少ナカラス
                          
                               (了)

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津々堂お薦めの幕末期に関する著作

2010-04-30 12:05:07 | 書籍・読書
                            スフィンクスと武士
■幕末遣外使節物語-夷狄の国へ
    尾佐竹猛著 発行:講談社 (学術文庫)(1989/12/10 出版)

 メリケンは1万里の外なり、君命を耻しむれば神洲の耻辱ならん。
 万延元年、初めて海を越えアメリカに赴いた新見豊前守一行は、汽車に驚きダンスに呆れ、歓迎
 のキッスに慌てながらも意気軒昂であった。
 サムライたちの見た西洋を、航海日誌や新聞記事を自在に駆使して描き出した本書は、憲政史
 の泰斗が一流の諧謔をもって世に問うた異色の幕末史である。
 他に池田、竹内、徳川の3遣欧使節の物語を収める。

   遣米使節 新見豊前守一行 (万延元年)
   遣欧使節 竹内下野守一行 (文久二2年)
   遣仏使節 池田筑後守一行 (文久3年)
   遣仏使節 徳川民部大輔一行(慶応3年)
   仏蘭西時代の思ひ出


■慶応三年パリ万国博奮闘記・花のパリへ少年使節
    高橋邦太郎著 発行:三修社 (1979/10/1出版)

 「日本の古本屋」でしか購入できないと思いますが、面白い事請け合いです・・・
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万延元年遣米使節航米記

2010-04-30 10:50:36 | 書籍・読書
万延元年遣米使節航米記 現代語訳 肥後藩士木村鉄太の世界一周

著者/訳者 木村鉄太/著 高野和人/編訳
出版社:熊本日日新聞社
発行年月:2005年04月
販売価格:2,100円

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  万延元年の遣米使節は正使・副使・監察はともに、九人ずつの従者を連れて行った。
  監察小栗豊後守忠順(のち上野介)の従者の中に、熊本の木村鉄太が加わっている。
  そして彼は「航米記」なる見聞録を残した。見事な挿絵が施されており彼の才能ぶりが伺える。
  帰国後残念ながら亡くなっている。

  参考:要約筆記 木村鉄太 日本開国の先駆者(PDF)  崇城大学教授・松本寿三郎
           www.parea.pref.kumamoto.jp/koza/data/matsumoto/matsumoto_koza.pdf -
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