志水伯耆・元五親子は細川玄蕃興元に仕えていたが、ある時その元を離れ伯耆は京都に浪居、元五は小西行長・加藤清正に仕えた。
その原因が図らずにいたが、今般志水家ご子孫から「志水健蔵物語」の所在(藻塩草42巻所収)をお教えいただき取り寄せた。
筆者は宮村典太でいささか読みづらいところがあり間違いがあるかもしれない。ご教示たまわれば幸いである。
志水伯耆丹後にて玄蕃殿弐尺五寸の刀御拵ニ付伯耆陳
て弐尺五寸と成之而は甲冑を帯し馬上ニて抜シ物ニて無之
左様の長剱は歩卒之刀と 申と申上候 玄蕃様御聞入無之
左候ハゝ御出来之上私ハ木大刀ニ而馬上之御勝負可申上候御
約束なり 後日御勝負之節伯耆か申上候通り果して抜得
す夫御覧候へく云侭に木大刀を以玄蕃殿を打 三齋様達
御耳被遊御立腹御暇被下候而伯耆ハ都へ閉居す
右志水健蔵物語