津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣--柏原家

2012-12-06 09:00:29 | 地図散歩

                                            

 柏原氏について調べているがその出自がよく判らない。先祖附の書き出しには「先祖佐々木わかれ之末ニ而近江之者之由」とあるのみである。
いろいろ資料を探しているが、これに該当する柏原氏は存在しないようだ。又この氏を何と読むのかも(かしはら・かしわばら?)現況はっきりしない。

              http://blog.livedoor.jp/hiroharu825/archives/1565187.html

菩提寺が久本寺だと聞くから一度お訪ねしてみようかと思っている。
二代要人のひ孫にあたる人物が先祖附を書いているようだから、はっきりしないという事もあったのかもしれないが、四千五百石の大身で家老職も務める人物を輩出した家としては珍しい部類である。天草島原の乱以降の召しだしで、忠利・光尚・綱利の三代に近侍して出頭した官僚といった感じである。 

 旅庵          道喜       初代            
 柏原彦兵衛---新兵衛---新左衛門---+---主馬
                         | 五十人扶持・死去
                         |  ニ代          三代            四代
                         +---要人=======新兵衛=======新左衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→新住家 4,500石
                         | 四千五百石・家老
                         |
                         +---左内・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→弥九郎家 500石
                         | 御擬作1,000石
                         |            ↑
                         +--------------新兵衛
                                                  為要人養子 

 初代彦兵衛は足利将軍家奉公後牢人旅庵と称して京都に浪居、新兵衛は青木紀伊守→寺沢志摩守→藤堂和泉守に仕え1,200石、藤堂大学代御暇法躰して道喜と称す。後京極若狭守に仕え300石、若狭守死去後牢人、後細川家召出知行1,000石。

コメント (1)
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