先に 細川家家臣--山崎(定平)家 を書いたが、先祖附から新たな事実が判明したから補足する。
曾祖父山崎七右衛門と申者毛利右馬頭(輝元)殿御家人
ニ而御座候処彼御家御小身御成ニ成候付牢人仕
石見國銀山と申所住居仕延享三年四月病死仕候
祖父山崎七左衛門と申者浪人ニ而右七左衛門一所ニ罷在
貞享二年十月病死仕候
親山崎助左衛門儀浪人ニ而江戸江罷越右助左衛門伯父
本因坊手前罷在候右本因坊儀
妙應院様(忠利)御懇御出入被仰付候右助左衛門儀は
本因坊養育仕候段達 御聴助左衛門儀御家
被召出元禄九年六月御扶持方三拾人扶持
被為拝領座配勤方等は追而可被仰付候間ニ而本因坊ニ
罷在候