津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣--山崎(定平)家 補足

2012-12-20 10:54:04 | 地図散歩

先に 細川家家臣--山崎(定平)家 を書いたが、先祖附から新たな事実が判明したから補足する。

                         曾祖父山崎七右衛門と申者毛利右馬頭(輝元)殿御家人
                         ニ而御座候処彼御家御小身御成ニ成候付牢人仕
                         石見國銀山と申所住居仕延享三年四月病死仕候
                         祖父山崎七左衛門と申者浪人ニ而右七左衛門一所ニ罷在
                         貞享二年十月病死仕候

                         親山崎助左衛門儀浪人ニ而江戸江罷越右助左衛門伯父
                         本因坊手前罷在候右本因坊儀
                         妙應院様(忠利)御懇御出入被仰付候右助左衛門儀は
                         本因坊養育仕候段達 御聴助左衛門儀御家
                         被召出元禄九年六月御扶持方三拾人扶持
                         被為拝領座配勤方等は追而可被仰付候間ニ而本因坊ニ
                         罷在候 

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足軽の誕生 室町時代の光と影

2012-12-20 09:18:23 | 書籍・読書
足軽の誕生 室町時代の光と影 (朝日選書)
 
        朝日新聞出版

 

内容紹介

幕府・朝廷が京に一極集中した室町時代。首都には物資が集まり、花の御所、喫茶、バサラ大名など華やかな文化が展開する一方、荘園支配は守護に一任され、地方支配は変化を余儀なくされた。 15世紀半ば、嘉吉の乱による将軍暗殺のあと、幕府は求心力を低下させ、首都近郊では一揆が続発。主を失った牢人が京にたむろし、博打に興じ、乱暴を行うなど混乱を生じさせていた。その後の10年に及ぶ応仁・文明の乱で暗闘した足軽は、いったいどこから現れ、何をしていたのか。下剋上そのものといわれた足軽の姿を明らかにし、室町時代の実像に迫る。
(目次)
I 首都京都の誕生
II 京郊荘園の変容
III 足軽・牢人の誕生――暗転する室町の社会
IV 牢人都市京都
V 嘉吉の乱後の幕府政治――交錯する光と影
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