こちらは「お金貸します」の話、それも三齋様の斡旋です。返済が遅れると大変ですよ・・・・
飛鳥井殿ニ御入候御姫之金小判貮千両、誰ニ成ともかし度由候、家中之者共ニ成とも御かし候は、
京にて渡可申候、利ハ惣様之借候なみたるへく候、御返事ニより、明日便宜在之間可申遣事
(寛永八年)十二月廿九日 三齋
越中殿
先にご紹介した三齋の愛娘・萬(烏丸光賢室)の娘の持参金でもあろうか。2,000両とはすごいですね~
寛永五年十二月七日書状
細川家は萬殿に弐千石余の知行を出している。(妙解院忠利公御代於豊前小倉・御侍衆併軽輩末々共ニ)
古保(三齋女・松井興長室)の千石、いとの五百石、なべ(細川興秋女)の五百石と比べると出色である。
そんな細川家は経済的に決して豊かではない。その萬から細川家は幾度となく借金をしている。
また萬は衣装道楽として京では名をはせていた。この差はなんだろう・・・・・?