元和七年忠利に家督を譲った三齋は中津城に入る。
隠居してみると、頻繁に伺候していた人たちが顔を見せなくなり、内記(忠利)に対し次のような不審を問いただす書状を発している。
■九月五日書状(301)
已上
態申候 其方ニ家督相渡我々隠居之事 代か一度とハか様之事たるへき處ニ 于今其地ゟ此方
へ見廻ニ不参者共在之事ニ候 惣庄屋共ニも如此之類御入候 其方被申付用所も候て如此候哉
不審ニ候 面ニも申候 民部・式部を以も申候 又先度加々山主馬ニも如申候 家中上中下侍小者
ニ至迄 如何様ニも其方次第たるへく候 我々構一切無之儀ニ候 然共右之様子ハ我々身ニ懸事
ニ候間申候 既此祝儀ニは従歴々使者も来候 又目をかけ候上方之者共いつれも見舞ニ参 又移
徙之祝儀をも申候て可上と申 于今逗留仕ものも在之事ニ候 扶持人にて無之ものさへ如此候處
ニ 國中ニ有なから今迄不参は存外之儀かと存候 萬不構とハ申なから 外聞わるきやうニ可仕子
細毛頭無之候間 いかようニも世上之聞え 我々ため可然様ニ被申付可給候哉 但分別次第ニ候
其内矢野利斎こときの者 又ハそはの小々性 其外も用所被申付候者ハ各別之事ニ候 此方ゟも
比類之者ハ我々申付候て不遣候 此外不参之者其方にてせんさく被仕候はしれ可申候 以上
九月五日 三齋 花押
内記殿
進之候
忠利の指示を受けて中津に向けて御見廻に参上する家臣たちが数を増していく。今度はその対応に悲鳴を上げる三齋の姿がある。
■九月廿六日書状(309 抜粋)
乍次而申候 此方へ用所も無之見廻候ハんも不苦者共 替/\ニ参候と相見え候 被申付候哉 主
/\存寄候て之事候哉 所詮國中之苦労ニ成事候間 無用所者共は替/\之見廻無用ニ候 殊其
方近所ニ被遣候者共 上洛前此地へ越候儀一段不可然候事
(中略)
九月廿六日 三齋 花押
内記殿
御返事
さすがに無分別に見廻を強要したことに反省する三齋である。隠居の身の環境の激変に驚きながらも、この後も忠利の藩政に口出しをしていくことになる。
■十月十三日書状(318 抜粋)
我々隠居不見廻者共之事 此以前無分別ニてむさとしたる儀を申後悔ニ候 就其江戸へ不被越以
前可申儀共在之ニ付而 其自可申と一書ニ仕置候 則主馬ニ見せ申候 志水宗加を初 其方可然と
被存者可然様ニ何事も可被申付候 それ/\へ之無届一切構不申候事
(中略)
十月十三日 三齋 花押
内記殿
御返事