津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

澤村家の借金・・2

2012-12-16 10:32:08 | 歴史

先に「澤村家の借金」を書いた。
計算をしてみると50石を年4割で借り続け29,880石余になるには19年を要する。(29,881.52石)
借りたのが慶長廿年(元和元年-1615)だとされるから、先の書状は寛永十一年(1634)年ということになる。 

さて寛永元年(1624)四月、澤村大学の知行地至津村で百姓訴訟があり、三齋が機嫌を損じたという一件がある。大学には係わり合いのない事のようだが、「今年か明ル寛永二年かに御家を立退、松平宮内少輔殿江参居候・・云々」と解説して有る。松平宮内とは備前の松平忠雄のことである。備前から道家某宛ての大学の手紙などもあり間違いない事実である。寛永三年(1626)九月に「帰参被仰付、先知を被返下」されている。

寛永二十年(1643)正月十日ころ、光尚は八代に三齋を見舞っている。亡くなる三年ほど前の事だが、綿孝輯録(忠興・下 p305)に「此時長岡監物・沢村大学被召連候、此両人帰参以後初而御目見被仰付候」とある。どうやら三齋の方から「被召連候様」にとの事であったらしい。

大学の細川家帰参から三齋に再御目見するまで17年を要した。そしてこの借金問題からは9年が経過してのことである。
 

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