熊本を訪れる観光客の皆さんへ無料で配布されている季刊誌『旅ムック熊本』2012年冬号 32~35頁に「加藤清正を愛した女たち」が特集されています。ネットからも見ることが出来ますョ。
http://tabimook.com/books/kumamoto/tabimook/082/#page=33
熊本を訪れる観光客の皆さんへ無料で配布されている季刊誌『旅ムック熊本』2012年冬号 32~35頁に「加藤清正を愛した女たち」が特集されています。ネットからも見ることが出来ますョ。
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薬研
元和二年家康はてんぷらを食べてこれにあたっつて寝込むことになったとするもっぱらの話がある。
真実のほどは定かではないが、家康は自分で調合する薬を服用していたらしい。医師・片山宗哲は家康の真の症状を承知していたらしく、家康の自前の薬の服用を諌めたらしい。そのことで怒りをかい、不条理な話だが信濃に配流という結果となった。
その宗哲の信濃配流について、忠興の驚きを隠せないでいる書状がある。内記(忠利)宛三月二十八日書状(121)
已上
櫻井少左衛門下ニ、大坂川口よりの書状披見候
一片山法印御せんかん被成、信州(諏訪郡高島)へ被遣由候、それニ付自然の事もあらは、
子息(片山宗琢)之事を頼之由被申越候、日比重々とうかんなく候つる間、子息の事うけ
とり可申候、就其仙兵太(信州小諸城主・仙石忠政)へも右之趣申遣候間、もしの事あら
は兵太と相談せられ、子息の事きもを入り、我々うけ取候やうのさいかく可被仕候、此段
々書中ニのへかたく候事
一はや信州へ被参候ハゝ、此使行さきとはう有ましく候間、仙兵太とたんこう候て、案内者
をそへ遣候やうニ可被仕候、ていニよりとゝきかぬる事も可在之候、さて/\きつかい成
御事候、御病中の事候間、いかゝ被仰出候ハんや、恐々謹言
越
三月廿八日 忠(花押)
内記殿
御返事
実は細川家家臣に医家・片山氏がある。二百石を拝領する御宅だが初代を自庵という。ひょっとしたら宗哲・宗琢に何らかのつながりがあるのではないかと思っているのだが、現況判らないでいる。
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片山宗哲(かたやまそうてつ)1573(天正元)年-1622(元和8)年
叔父の医師片山宗僊の女婿となる。医術を一鴎宗虎に学んで名声を得、後に宗虎の推挙で徳川家康に仕え、家康が寒疾に罹ったのを一晩で治したり、徳川家光が劇疾を患ったのを治療するなどした。
1616(元和2)年に家康が病に倒れた際にはこれを診察(当時の様子が『片山家譜』に記されており、家康が胃がんにかかっていてたことを示唆している)。その後、家康自ら作る万病丹などの飲みすぎを注意して家康の怒りに触れ、信州高島に流された。
1618(元和4)年に赦免された。