銘 信長拵
(一色義有御討果の御腰物)
一色の士共屈竟の者三十六人ニ此方の仕手僅十七人也。此者共か襖障子一重後ロにつく息か暑き様ニ覚しと後ニ被仰候、
壱人ニ敵弐人宛にしても弐人余る也、され共事故なく仕廻、梶平七郎壱人の外討死も無之、手負少々有之たる迄なり、嶋庄
右衛門ハ一色之者と見誤、小腹を鑓にて突候故、一時はかりして果候、米田・有吉にも劣るましき者にて有しに惜しき事をし
たりしと後ニも被仰候と也、嶋家申伝に存生之内数度之軍功比類少キとて庄の字を小と申字に直し被下候由、此節家断絶、
甥又左衛門信由、金森法印之類にて慶長七年豊前にて千石拝領御番頭、有馬にて討死、其子又左衛門重次奉願其子千石
之内、嫡子又左衛門重正江七百石、次男庄右衛門重知へ三百石分知、今の又左衛門正備・庄右衛門正閭等か祖也
沢村才八吉重ハ桃井の族ニて若州之産也、若年之時逸見駿河守に仕へ候ニ、駿河守病死之時継子なき由、旗頭丹羽長秀
より被申遣、断絶ニ及候、実ハ源太丸とて 才八か絵像の賛ニハ虎清とあり 七歳之男子有しかとも、長秀とかくニさゝへて信長に不達、
才八是を歎き、源太丸をいさない安土ニ至、直訴両度ニおよひけれハ、信長あはれミ給ひ、逸見跡式下し給ハるへき旨成しに
不慮ニ弑逆ニ逢たまひ、剰同し此源太丸も早世しける故、無力丹後ニ越、八月上旬御鉄炮之者ニ被召出、はや此度手柄をあ
らはし、追々武功ニよりて天正十八年奥州より御帰陳後知行百石被下、朝鮮御帰朝後百石御加増、慶長六年七月千石、同
十月弐千石、又寛永九年五百石被下候、同十年当御国ニ而被改五千石被下、御城代被仰付候、働之事は其所々ニ出申候、
扨自筆の覚書ニ、高麗ニ而唐人なと切候事并伏見ニ而の仕者丹後宮津そうと申所ニ而取籠者搦候儀等は常之事と存、子細
を不書分と有之候、後ニ沢村宇右衛門友好を養子ニ被仰付、宇右衛門知行六千石共ニ壱万千石之内七百石は今の沢村権
兵衛祖、三百石は同八郎祖ニ内分ニ成、当宇右衛門迄代々無相違被下置候
右一色義有御討果の御腰物ハ信長作長サ弐尺八分半計也、元来勢州より出たり、或時伊勢の海辺ニ而囚人の首を可刎との
時、太刀取刀を打付候ニ、囚人うつ伏候而縄取を引倒し候ヘハ、縄取首被討落、囚人ハ前の海へ入て泳行を太刀取つゝひて
飛込、両股をなくり落すニより、刀の異名を浮股共波股とも申候、又胴九ツニ切れ能落走路yて九ツ胴共申候、青龍寺にて忠
興君御求、十四五歳ニ而御ためし被成、胴落候而一入御秘蔵有しを、頓五郎殿御所望被成故被遣しか共、今度御取返し被
成候、後にも此御腰物きたいの切物と世上へ流布いたし、関白秀次公御所望被成候へ共御断被仰上候、依之秀次公方々御
尋させ恰好似たる信長の刀を御求め出候て、諸大名登城之折節、与一郎所持ニ大方似たる同銘の刀を求め置たり、只今た
めさせ各へ見せ可申とて、御庭にて御斬せ被成候、忠興君も能切れ候へかしと思召、列座の大名衆も気をつめ御覧有しに、
大骨も不越、切れ悪く候故、最早御所持の刀を可被差上と思召候内ニ、列座の大名衆一度ニ忠興君の御顔を御覧候ニ付、爰
にて御上候ヘハ、惣様の差図を御請候にてこそあれと思召候処に、秀次公御座を御立被成候故、御知音の諸将忠興君の袖
を引、是非御上可然由御申候へ共、何とやらん上ヶ難体なり、たとひ御身体の礙に成る共上ヶ間敷と思召詰られ候由、御拵ハ
研は竹屋、金具は田村、鎺(ハバキ)ハ 一ニ下鎺ハ 不錆ために銀也、同様ニ鎺を弐十被仰付様子、能を壱ツ残し、拾九は打つぶさ
せ被成候、御柄革巻ふち唐革ニ而御包ませ置候、久しくなり所々損候へ共御繕せ置候、御柄鮫ハ其比黄金壱枚ニ御求候て御
かけ候ヘハ、小国の主ニ而奢人と人口ニ御乗り候、地鮫能にらミ、よく取廻し、九曜ニ有之候、越中殿九曜鮫と世上ニ唱へ申候、
御目貫笄ハ祐乗作蛸の彫物也、御鍔ハ鉄火すかし廻りに象眼あり、此鍔ニ似たるを御家中ニ而信長すかしと申也、御鞘も色々
御吟味、角なり恰好被尽御心、拵出来候て利休ニ御見せ被成候ヘハ、恰好ものすき残所も無御座候、私も是ニ似申たるを求置
候、御目に懸ヶ可申とて、宿へ取ニ遣し、くらへ候ヘハ、くり形・かへり角・さや肉置迄少も違不申候、是ハ寺町通りの小店ニつり
さけ有之候を、余り見事なる古鞘と存し求候と申候ヘハ、何事ニも目の利たる者、物数寄たゝ人ならぬと御感被成候ヘハ、利休
も同前ニほめ返し申候、御若年より御老年迄御腰をはなされす御秘蔵ニ思召、忠利君御所望被成候へ共不被遣、然処寛永十
一年三月八日光尚君と烏丸中納言光賢卿の御息女お祢々様 三齋君の御孫なり 御婚礼御整候以後、御対顔の座ニ而其時さゝせら
れしを直ニ光尚君へ被進、御法体の身ニ而御腰物ハ入せられす候へとも、此刀を被進候上ハ男をハ止候とて御落涙被遊候ニ
付、御座敷ニ山田古竺印其外居申たる面々迄も感涙を催候也 一ニ武勇を譲らるゝとの御事也と語伝へりと云々 此御刀御代々
御指料、御物好の御柄鞘等段々有之、三齋君御拵も其時之まゝにて今ニ有之候