津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家と石川五右衛門

2012-12-27 22:24:29 | 徒然

 あの大泥棒で釜茹でにされ命を絶たれたという石川五右衛門は、一色氏家臣石川左衛門尉秀門の二男だとされる。秀門は一色氏の家老職であったとされるが、細川家によって滅ぼされた。五右衛門については、ながく架空の人物だと認識されていたが、最近ではアビラ・ヒロンの「日本王国記」などや、「言経卿記」などの共通する記述から、実在する人物であるとの認識が深まっている。
細川家史料では石川氏に関わる記述は現況承知していないが、史料を集めてみたいと思っている。
五右衛門の怒りは細川家に対してではなく、豊臣家に矛先が向けられているが、講談めいた彼の真実が奈辺にあるのか興味深い。
いつも敗者は汚名を着せられる運命にある。そうだと考えると、大泥棒と云うのも如何なものであろうか。 

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伊也さまの御子たち

2012-12-27 10:51:33 | 徒然

  幽齋女・伊也は永禄十一年(1568)生まれである。一色義有の誅伐事件が天正十一年(1583)であるから、当時十六歳である。
誠に不幸な事件であるが、幽齋はすぐに再婚相手を見つけている。吉田左兵衛侍従卜部兼従(身上1,000石)である。
多くの子をなし84歳の長寿を得た。 

 

     吉田兼倶---+--兼政---兼満==兼右---+--兼見---兼治
            |                 |       |  
            +--●              +--梵舜  |
            |                         |----
            +--宣賢---+---兼右            | 
                    |                 |
                    +---智慶院----幽齋----伊也
                                       |----五郎(愛宕山福壽院賢能法印)
                                          一色義有 

                    
        -----+---兼英 兼治家督
             |
             +---萩原右衛門督兼従
             | 
             +---愛宕山福壽院住持幸賢法印
             |
             +---長束大蔵正家男・半左衛門室・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・細川家臣田中氏  
             | 
             | 阿野中納言実顕   キントミ   キンナリ
             |     |----------公福==公業---実藤(生母・木下勝俊女)
             +---●・ ミツ             (公業は公福弟)
             |
             +---●・船橋従二位秀相室---相賢==経賢
             |
             +---●・たま 小笠原備前長元室・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・細川家臣小笠原氏
             |         ガラシャ夫人殉死小笠原少斎嫡子
             |
             +---●・清田石見室・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・細川家臣清田氏 

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