津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

戦難者供養の日

2013-07-06 10:33:09 | 熊本

 今日七月六日は毎年、熊本市横手の安國寺に於いて四つの戦難において亡くなられた方々の供養の法会が、細川家の思召により行われている。
境内にはその四つの戦難者の供養の碑がたっている。 

     ■有馬陣戦死各霊之墳
     ■上総沖溺死者供養塔
     ■小倉陣戦死者供養塔
     ■東国戦死之碑

多くの方々が亡くなっておられるが、ご子孫でさえもこれらの存在や今日の供養の法会のことをご存じない方も多いことであろう。
供養は細川家の思召によって営々と続けられている。ご出席がかなわぬ皆さまには、願わくばお仏壇に香華をたむけお参りいただきたいものだと思う。
例年天気には恵ませないこの日だが、今日も大荒れである。雨は降ったりやんだりだが、ものすごい風が吹いている。受難者の無念の思いを見るような気がする。

天気が良ければ、私の部屋から安國寺があるあたりの山々が見えるのだが・・・・そろそろ法会が始まる頃か、心を込めて合掌・・・・

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「梅の薫」耇姫様の事 (三)

2013-07-06 06:37:45 | 史料

 兄君朧月二日に江戸龍ノ口の御館に着カせ給ひ、其後例ならず(病気)渡らせ給ひ、御容体すぐれ給ハぬよし、御聴に入しかは、傳きの背におわれたまひて、おとなしう御祈りの百度参りなし給ふ。申し上ゲぬる事のよくわからせ給ふこと人々驚き入りぬる事ども多くましましぬ。

此年も暮て文政九ツの年になりぬ。君四ツになり給ふ。年の始メの御規式も済ミて十一日といふに、江戸ゟ飛脚

着て兄君(齊樹)かくれさせ給ふよし、つげ来りしかば、大殿の御愁嘆ハいふもさらなり、御あとのことなど御心をいため給ふ。此折しも君御前に出給ひ、いろいろの御遊びの品持タせ給ひて御まぎれになりぬるやうに慰め奉り給ひしかば、大殿も此君のましましけるにより、何くれと紛れさせ給ふ事ども多かりし。
其比、西王母の作りものに桃ありけるを御手に持タせ給ひしに、御側よりそれハ何にて候やと問イ奉りけれバ、しばらくありて、桃と答させ給ひぬ。大殿を発メ奉り早く御言葉のわからせ給へかしと明ケ暮レ祈り奉りしに、かくのたまひしかば、よろこびあへること限りなし。その後次第に御意わからせられ、御とゝ様とのたまふを始メとして、人々の名をも一字づつ呼バせ給ふ。
 当殿(十代藩主・齊護)御家督を継ガせ給ひ(文政九年二月廿九日)、程なく江戸御発駕ありて、六月末の七日熊本に着せ給ふ。君御對顔ありて其後は御兄様と仰せありて二ノ丸江御入りある事を殊更楽しミ思し召シ、けふは何を御みや(土産)に戴くかとて侍ラせ給ひ、御部屋よりも御手遊びやうのもの持チ出シ給ひ、かれこれと御愛相あらせ給ふ。又、人形をならべかりそめの御遊びの内にもこれハ御とゝ様、是は御兄様とて、まづ始メにならべ給ひて敬ひかしづき給ふ。御庭に入らせ給ひしおり、何にても 花さき居ぬれバ取らせたまひて、まづ、大殿の御神前にさゝげしめ給ひ、其あとをバ老女はじめ名をのたまひて残る方なくわかち給ふ。ある時、御庭ニてへちま御取ラせになりけるに、もはや是にてよろしく候はんやと伺ゐたりしに、御とゝ様ミやニとのたまいて、猶取レせたまい、又、菊の花を手折り給ひしおりニは、是ハ御とゝ様おはつは(初穂)にとのたまひ持タせ給ひぬ。常にかゝる事共多く渡らせ給ひて御孝心の御事のミましましける。ある時、向ひなる御庭にありけるあやめの実を持帰らせ給ひしに、何を持タせ給ふかと問ひ奉りぬれバ、おりふし御側なる屏風にあやめの花を絵がけるを指さし給ひて、此ノ実と答させ給ふ。又、ある時御庭ニ出給ひしおり、草葉に露置けるを取て御目につけさせ給ふ。人々何故にかと思ひしに、是は前の年、御側なる人の菖蒲の露ハ目の薬なるとてつけたりし事を思い出たまひて、かくはなし給ひしニてぞありける。ものに聡く御覚へのよく渡らせ給ふ事、かゝることども多くましましぬ。朝ニ御おこたりなく御神前に入せられ、さゝやかなる御手を合わせ給ひて御拝ある度ごとに、御とゝ様、御兄様とのたまひて御安全の御祈したまひ、扨、御符などさゝげ奉れバ、いつもつゝしミて戴きましましける。本妙寺貫首御祈りに出ぬれバ、おとなしう加持受させ給ひ、部(屋・脱カ)にてハ貫首をはじめ助経の小僧江もくだもの手遊びの品など、かれ是レと分かちあたへ給ふ。かくましませしかば、貫首もことのほかいとふしがり奉りて御伽申シ上げる。三ヶ月をバ毎もおがミ給ひけるに、其おりにハ、かならずだれとなく御教えありておがましめ給ふ。また、御庭より帰り給ふおり、月を御覧じつけむれバ、おのゝおのゝとのたまひて、大殿をはじめ奉りありあふ人々に指さしおしえましまして、残りなくおがましめ給ひぬ。絵本を好マせ給ひ御覧じけるに、一枚づつあけさせられ、是レは何じやとて一ツ一ツにたずね聞し召て、申シ上ゲぬる事は、よふ御覧ありて御伽の人々江詳しうさしおしえ給ふ。
慈童の画をみそなわしてハ、御身の事と思して人にもしめし給ひぬ。好せたまふ方も常の人にハ変わりたまひて、二(仁)王の画など数多く画かゝしめ給ひ、御筆を取たまひては、常に月日の画をぞ遊しける。

                                           

                                     平成15年9月6日 長唄・菊慈童を舞われる清子様

 

                                                                                                    (4へ)

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