津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

スイゼンジノリ

2013-07-27 21:06:54 | 徒然

 スイゼンジ(水前寺)ノリは、細川家から将軍家への献上品とされた貴重なものであったが、寛政の終わりころには既にその生産が危うくなっている。
本場熊本でも一時期絶滅の危機が訪れたが、現在では水前寺の下流域の水の綺麗な嘉島地区で栽培がなされている。
現在ではその保水力の素晴らしさが認められ、多方面での応用がなされ脚光を浴びている。

    寛政十年御達
    近年清水苔立之乏相成、御献上御用差支候ニ付、色々手入等も被仰付候得共、其験も不相見次第ニ相滅可申様子ニ有之、右之通ニて御献上御用
    指支候様成行候ては難相済事ニ付重畳及吟味候處、何れニ川内荒レ候所より立方滅候と相聞候、依之神水村下川内苔 兼々釣魚留榜示建置候處
    猶又為見違さる間近ニ建方被仰付候條、右榜示内ニて歩釣堅ク不仕様ニ、若犯禁之輩ハ見■役并川方小頭苔師共之内より姓名承届相達候様及達
    置候條、自然心得違之面々等無之様可及達旨候、此段御同役へ御通達、御組々えも可被成御達候、以上
          九月                                 御郡方御奉行中

 
                      奥方が商売をしている取扱い商品もこのスイゼンジノリが使われていて、おかげで私は飢えずに居られるという訳で・・・・感謝 

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季節はずれですが・・・・「たつ」のこと

2013-07-27 18:22:49 | 熊本史談会

 文政十二年五月の達に次のようなものがある。

貮尺(約60センチ)以上のたつ揚申間敷、且又大人加り申間敷との儀付ては去年も別紙之通被及御達置候處、近来又々心得違之もの有之、大人交り大ナルたつを揚候様子相聞、途中往来之妨ニ成候のみならす、御侍其外刀差ニ對し無禮之儀等出来候ては、別て難相濟事候處、去年御達之趣猶又市中一統不洩様申示候様、廻役よりも彌以無油断遂吟味候様被仰付旨、尤當時菜麥収納之折柄ニも有之候付、近在抔ニ罷出妨ニ成不申様ニとの儀も精々申示候、町中え及達候事

 「たつ」とは「凧」のことだが、二尺以上の大きなものは揚げてはならないというのである。番太日記を読むと「たつあげ」が随分流行っていたことが判る。

春はよふ気うへにのほるゆへ、うへをむけいきをつかするゆへ、身の保養になりそく才なり。其ゆへに辰(たつ)をあけさする。又娘子にははね羽子板にてうへをむかせいきつき、はねをつくなり。たつ殊の外はやり方々にたゝみ壱枚敷、又二枚敷のあり、方々にあけに行。見物人多し。古かぢや町松屋達磨殿のたつは、たゝみにつもり八丈敷程有。其比本山村に鉢ち僧主休西とゆふ大ぼうずあり。是をたつにつくる。みな人休西だつとゆふ。夫にさし渡し四五尺のとふ(尾)五ツゆひつけあくる。其音きんごふ(近郷)はひゝき渡り、糸は細引のよふにあり、四斗俵に結つけおけば米を引きて行也。米俵にこしかけ見物する。扨おろす時■■(虫損)しんとふしておろす。方々畑作をそ■■願にてきひしき御法度になり、もし■■其時分にわやく咄あり■■御役人松屋にかよふなる辰をつくる■■松屋殿私の儀は御用達にて御座候と申上られたれは、御役人しからは手のだるまで、あけらるべしと被仰候とゆふはなしあり。(以下略)

 たつを揚げるにしろ、羽子板ではねを突くにしても「上を向く」ことでけいきを付かせるというのだが、面白い考えである。二尺以上はご法度と云いながらも、たたみ八丈(畳)敷きとは恐れ入る。番太日記は原本は失われ明治二十三年に書かれた甲斐道隆氏の書写によるものが残されている。内容は幕末の物だと推察されるが、文政の「達」からするとずいぶん後代のものであろう。 

 

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