細川孝之の舅・半井通仙の死に関わる記事がある。寛永十六年卯月十八日付忠利から肥後(光尚)への書状
半井通仙遠行之由候 其方被召連候馬乗被被申付為香典銀廿枚此書状ニ相添半井琢庵へ吊ニ我等ゟ
使者遣候由被申付遣可被申候 銀子ハ佐藤少左衛門所ゟ渡候得と其方ゟ被申付候事
寛永五年(カ)九月三日の忠利の書状に次の記事がある。
休斎御内儀并小万湯治之由得其意候叓
休斎とは忠興の弟・孝之である。かつての豊前香春城主(25,000)である。この時期は忠利から三百人扶持を与えられている。小万とはその娘(小笠原民部室)であり、寛永十三年に亡くなっている。休斎内儀とは通仙院瑞策(半井氏)女である。
上記の記事は、「休斎の内儀とその娘でが湯治に出向くことについて了承した」というのである。母子二人が仲良く湯治に出かけた(小万の療養の為か・・)ことが判る。細川家の事を調べ出して7~8年に成るがどうやら見過ごしていたらしい。細川家と半井氏の深い繋がりは姻戚関係に及んでいた。
さてこの通仙院瑞策とは曲直瀬道三の孫にあたる半井光直のことである。寛政重修諸家譜から半井氏を勉強しなければならない。