津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

齊茲公御家督とその後継者

2013-07-30 18:50:17 | 歴史

 治年公の後継・齊茲公の家督についてはいろいろ問題があったらし事は以前書いた。治年は正室遥臺院(埴)の弟・宇土藩主立禮を養嗣子としたのである。

家督後の「齊茲公天明八年御家督之上御書」の他に、「今度入国ニ付家中之者共へ申聞候趣、別紙書付相渡候状、組々えも可申聞者也」とする七月廿三日付の文書がある。
                                                                    (度支彙函・寛延より文化迄節儉號令19」

    我等儀先代之御不幸ニよつて不慮ニ家相續蒙仰、今度令入國難有儀ニは候得共、領大國候儀當惑感之事ニ候、
    然といへとも應五郎成長迄之内ハ、年寄共を初役人共と相謀り政務之儀心に任すべし、勿論先祖以来代々之掟
    は時勢を以斟酌し、近くは先々代(重賢公)以来之旨を相守候條可得其意事

家督の時期、先代治年の三人の男子嫡男年和は九歳、二男應五郎は五歳、三男淨丸はすでにない。上記文書には「應五郎成長迄之内は・・・」とあり、次の代は治年の二男應五郎に継がせることを示唆している。嫡男年和でないのが不思議だがその理由の詳細を知らない。年和は廿歳、應五郎は六歳でなくなり、次の代は実子の齊樹へ引き継がれることに成る。
齊茲の正式な文書として後継者を應五郎としている貴重な史料である。 

 

   +---宗孝==重賢---治年--+==齊茲---齊樹===齊護
   |                |
   |                +---年和
   |                |
   |                +---應五郎
   +---重賢
   |
   +---清源院
        ∥
   +---興里
   |
   +---興文--+---埴(治年室)
            |
            +---立禮(齊茲)
            |
            +---立之----------------------立政(齊護)

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「選定図書」に・・・

2013-07-30 09:12:09 | 書籍・読書

 皆さまは「選定図書」なるものをご存知であろうか。その目的は「公共図書館・学校図書館・公民館図書室などの読書施設に図書情報を提供すること」であり、日本図書館協会が行っている。年間6万点にも及ぶ新刊書籍の中から、約15~20%が選定図書として選ばれている。

そんな中に「肥後藩参百石米良家・堀部弥兵衛の介錯人米良市右衛門とその系譜」が選ばれた。いささかの関わりを持った私としても、大変うれしいニュースであった。

       私はと云えば我が家の歴史にまったく興味を持たない子供たちの為に、仮題「細川家家臣・擬作壱百石我が家の歴史」を書き始めた。
         これは我が家の忘備録みたいなもので、日の目を見ることは100%ないのだが、上記著書に触発されてのことである。

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