津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「拾集物語」を読む (ニ)

2014-07-03 07:08:28 | 史料

                           一、正保改元きのえさるの年
                              此年二月三日より仙十郎熊本祇園宮之宮寺本覺寺
                              に令登山候 此年六月大雨大洪水小川町こと/\
                              く流れ死人多しさるの洪求と當分まで申傳候は此
                              年の大洪水の事にて候小川圓福寺住持其大水に三
                              つに成候娘をよるの洪水にていだき候てかたでに
                              堂の内も波水うちくずし候故佛大ふくをまき申候
                              とて取落し其まゝ流れ行きざきしれず候その比
                              いたはしきとてとりさたいたし候若輩にて六月何
                              日と書付不召置残念に候 此年の春小川町中をよ
                              な/\大法師どことなしにありき候を仁人見候よ
                              し右之通に此町水難之恠(アヤシイ)事と以後さたいたし候    
                              此年之十月十一日に當所熊野山権現之社進修願主
                              其砌當所へ在宅被有候御山奉行安松茂左衛門渡邊
                              孫兵衛吉政
                           一、同二きのとのとりの年
                              此年大日でり雨乞おどり御惣庄屋/\の手水/\
                              一つにもあひ色々のしたくして向ふの大道を上下
                              いたし見物事 此年雨乞より以後田畑能作立願の
                              踊まひあやつり相撲そここゝ村々に有之候 此年
                              鐵炮のはうじ山出村之川邊石垣迄に被仰付候
                           一、同三ひのへいぬの年
                           一、同四ひのとのゐの年
                              此年より糸田村之神事始る九月四日/\に父休巴
                              此年之夏被致入道社役拙者相勤候に糸田村其砌之
                              庄屋徳左衛門宅にて祭禮令執行候に祭発にて候間
                              父子共に参候へと庄屋願候故休巴も被参候 此年
                              之夏吉政右之通令法體號休巴 此年之六月肥前國
                              長崎へなんばんぶね着船申候とて常當國よりも御
                              陣立御座候就夫中村左馬進殿其砌は伊織殿と申
                              候伊織殿も御出陣なされ候に當所からは唯今之淨
                              山忠右衛門と申候時伊織殿御百姓故罷立候伊織殿
                              之御家老瀬崎太郎兵衛と申仁勿論被罷立候然は彼
                              の太郎兵衛長崎之事を従長崎書付被罷歸候を見せ
                              被申候に付既時に書寫候て為後咄書付置候右着船
                              二艘如何様之船にて候哉と従 御政所様被成御尋
                              候へば従船中書附を差上申候其書付はほるとかる
                              とゝ申國を六十年前よりいすぱんやと申國よりせ
                              め取られ候て罷在候に九年以来ほるとかるとをわ
                              がまゝに本國いたすとありて此通を日本へ被露可
                              申ため罷渡候
                              四代目ほるとかるとやかたはどんじゆあんくわん
                              あると申なり其人を繪に寫し今渡持帰渡り候子細は
                              日本を如在に不存候間向後兄弟一分に被思召下候
                              様にと存為證據持渡り候右のほるとかると出船仕
                              四年目に参着申候去年りうきう表迄参候へども大
                              風にはなされ天川へかけ戻り申候て今年六月天川
                              を出船仕同二十四日に長崎津の内にいれ申候
                              右之通に長崎従御政所様被遊御尋候になんばん人
                              申上候由に候
                              大船長さ二十五間舟のあつさ上にて壹尺中にて二
                              尺上のひろさかんぱんより中段までのふかさ二ひ
                              ろ上よりそこまで七ひろ水ぎわよりつゝうへのた
                              かさ二間半おもてのたかさ二間余とものたかさ二
                              間半おもてのたかさ二間余とものたかさ五間余               ←この部分重複か・・・・
                              大ふねに石火矢廿六ちやう 両ひらに廿丁 表に
                              二十四丁 両ひらに十八丁 表に二丁 ともに二
                              丁 かくし火矢二丁
                              右大船に貮百人餘小船に百五十人餘右之者共六月
                              廿四日に長崎に着船申候に付悪事をたくみあくじ
                              仕候へば黒田筑前守殿一番に御かけ被成筈にて御
                              役組之段々
                              一番 郡 金右衛門    飯田角兵衛
                                  市松忠右衛門   喜多村太郎兵衛
                              二番 櫛橋七兵衛     黒田三右衛門
                                  柏山作兵衛     野村勘右衛門
                                  黒田惣右衛門   久世半三郎
                                  池田左太夫     黒田市兵衛
                                  齋藤半左衛門   津田市之丞
                                  野村権之丞     内山市郎右衛門
                                  岡田源右衛門
                              三番 甲斐守殿      右衛門佐殿
                              本陣 大塚喜右衛門   大音彦右衛門
                                  野村新右衛門   國友仁右衛門
                                  神吉三八
                               田中五郎兵衛  岡田甚右衛門  安左衛門
                               長濱九右衛門  大塚権兵衛    甚兵衛
                               明石四郎兵衛  肥塚二郎兵衛  四郎右衛門
                               大音兵左衛門  肥塚十左衛門  近助
                               湯浅七郎兵衛  齋藤三郎四郎  四兵衛
                                                      能登
                              使番 花房治部      西村五郎兵衛
                                  喜多村平四郎   山本彌八郎
                                  小林四郎三郎   牧口七郎左衛門
                              右之通瀬崎太郎兵衛書付歸陣之砌書寫如此に候此
                              年より鐵炮之ほうじ右書付候所へは御法度にて當
                              分之通にほうじさだまる 

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