津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「拾集物語」を読む (十の一)

2014-07-22 07:23:12 | 史料

                         一、同(寛文)六ひのへ午の年
                           此年之正月光朝法印厳島宮の善神王建立佛師熊本
                           五福町五郎兵衛と申者にて候 此年之二月十二日
                           に弓削太郎右衛門殿木倉より古宮地の宮島御覧候
                           て矢満下遷宮之厳島も御覧候昨十一日に木倉太郎
                           兵衛より拙者へ申來候は弓削太郎右衛門殿邊田見
                           村へ今晩御一宿候て明日甲佐へ被成御出候然ば其
                           元古宮地竹木之剪跡又厳島遷宮只今之宮地をも
                           可被成御覧候左候て甲佐三宮に山王此以前有無之
                           實否御尋可被成候間病用に罷出不申奉待候候(ママ)に勿
                           論社人孫兵衛南北早川之庄屋村横目組頭罷出候様
                           にと申來候に付各同道古宮地に罷出居候處に御所
                           忠右衛門は木倉小頭にて候故供致候而古宮地に御
                           出竹木剪跡之空地御覧候太郎兵衛方被申上候は此
                           宮跡は存申候外に作所に成り可申様には無御座候
                           此中竹木立居候砌は相知れ不申候が島にて御座候
                           と被申候へば弓削殿御聞候てされば/\と被
                           仰候左奏折るて拙者に被仰付候は此島はいか様の分ケ
                           有之候哉めいよのなりの島候と被仰候に付申上候
                           は此島の名を宮島と申候安藝の宮島を厳島とも申
                           候彼明神を當地へ勧請仕候砌此島に宮立て仕崇敬
                           於于今右之山緒にて此島を宮島と申候前々は龜島          
                           とも申龜のふし候様に御座候故左様も申來候就
                           布此當り田畑のさげ名にも宮島/\と古帳に付居
                           申候竹木の跡ひらき明ケ申候とても向後こやしを
                           いれ申候事此島にはいかゞ敷奉存候と申上候へば
                           其通之由緒之上は何とぞ開明ケ社人作り候而見候
                           へ自餘之者は作り候はんとは申間敷候と被仰候太
                           郎兵衛又々被申候は此竹木の根を孫兵衛力にては
                           三四年中には開き明ケ申間敷候然れ共随分如御意
                           孫兵衛聞き見被申候へとがうの上にて候間ほんぼ
                           んの畑には成間敷候と被申候御跡に自分参候に追々
                           甲佐宮社中に山王有無實否之咄申上候御船若宮社
                           はあそ甲佐勧請之宮にて御船に山王社御座候は甲
                           佐勧請之故本所之甲佐にて慥甲佐三宮之邊に山王
                           社地御座候と申上候へは實を御聞候と被仰候則今
                           之矢満下遷宮之地御覧候而本殿之御拝之柱にくみ
                           物無之候をとてもの事に真似形に成り共くみ物致
                           候はで在中大工の故に如是と被仰候て御一笑被有
                           候其日は宮道の左右に櫻少々産子中植候を御覧被
                           在候宮地之道邊之櫻は此年皆植候左候て社人所に
                           か玄察宅にかちと被成御入候様にと太郎兵衛被申
                           上候へ共先々御急通可被成とて甲佐の様に被成御
                           出候矢満下猪右衛門下之大榎の本にて御馬にめし
                           甲佐道の様に御出被有候忠右衛門少し立留り孫兵
                           衛方は冥加に被相叶候此古宮地は御拝領と存候へ
                           と申候て追付供候而甲佐へ來候木倉太郎兵衛方は
                           私宅へゆる/\と咄被申候に邊田見村庄屋次郎左
                           衛門呼申候て挨拶仕られ申候然處に太郎兵衛被申
                           候兼々弓削殿被仰候は厳島宮社地之竹木被為拝領
                           遷宮いたし候はゞ其跡は新地にも成り可申かの様
                           にも被仰上候故一通御覧被有候而工夫了簡可有と
                           て今度如此に候令安堵候先々孫兵衛開明ケ見被申
                           候へと畠に成候て其分不成申候はゞ其分よと被申
                           候此書付其晩如此に書付置候村横目彌右衛門は御
                           給人に御用事故令出府太郎兵衛罷立被申候跡に罷
                           歸申候矢満下小市郎森之儀當所三社明神由緒書出
                           候に委細書出置候前前右書付置候通之彼所も由緒
                           之通にて候
                           此年之三月麻生原村天満宮再建願主南條氏大膳殿
                           入道玄心公 御身軀はあそう原村人々寄進佛匠熊
                           本ごふく町五郎兵衛
                                         (つづく)
                           
                           
                           
                            

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