津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■奉公構

2014-07-18 11:16:05 | 歴史

 現在細川藩士・四千五百石柏原家に関する先祖附を読んでいる。一両日中にはupしようと思っているが、家祖の柏原彦兵衛(道喜)という人物は、藤堂和泉守(高虎)に仕えていたが御暇をいただいた折、奉公構になっている。奉公構について調べて見ると、藤堂高虎の家臣に多いことが見て取れる。
もっともこの柏原彦兵衛は、丹羽五郎左衛門 (長秀)の御断りによって御免になっている。しかし早々に仕官することは無く暫く牢人を続けのち京極若狭守(忠高126,000石)に仕えた。若狭守に男子がなく、養嗣子・京極刑部少輔(高和)は播磨國館野(60,000石)に転封、高和室が藤堂高虎の娘と言う事も有り、御暇を願い出たが引きとめられている。奉公構をされるような人物だから、有能な人で在ったのだろう。
細川家に仕えたのは息・新左衛門(十五歳)で忠利公が亡くなる前年の事だから時代が相当下っている。 

 奉公構といえば何と言っても後藤又兵衛基次のことが思い浮かぶが、これは「黒田長政が仲の悪い細川家との付き合いを家臣に禁じたにもかかわらず、基次がこの掟に従わなかったことが主原因とする見方が強い。」とする説がある。(ウィキペディアから)

細川家は、又兵衛の息・又市郎を遇している。

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■松寿庵先生 第107講

2014-07-18 07:28:48 | 史料
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