津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■先祖附 生源寺(市)家

2014-07-06 10:01:07 | 先祖附

 7月5日に書いた樹下家の初代・寿齋の実弟が生源寺大炊之助である。

浅井本宗家 ・1
 浅井直政------●
         2  ∥
    +---浅井亮政---久政---長政---万菊丸・・・・・・・→細川家家臣・浅井家
    |
    +--------●
            ∥
     樹下左近大夫---+--左近近元---作蔵
                | 家督
                +--左馬之助(寿斎)・・・・・・・→細川家家臣・樹下家  
                |
                +--生源寺大炊之介・・・・・・・→細川家家臣・生源寺家

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                                                貮百石  生源寺 市
                                初代
                                一、先祖生源寺大炊之助と申者近江国坂本罷在
                                  浅井備前守殿旗下居申候備前守殿落去
                                  之節生源寺一族何も近江国坂本留り申候大炊之助
                                  儀は内裏江罷在候処
                                  幽齋様常々御懇ニ付青龍寺江被召寄
                                  御合力米五拾石被為拝領御側被召置相勤申候
                                  幽齋様丹後国被遊拝領大炊之助儀も御供

                                  仕候然處田邊御籠城之刻
                                  三齋様関ヶ原御陳所江被成御座候御留守故
                                  御人数之儀御不足ニ付御増被遊度旨樹下左馬
                                  生源寺大炊之助ニ被仰付候依之古口近江坂本ニ
                                  申遣人数召寄候然處ニ関ヶ原御陳事済候付
                                  人数は差返候右為御褒美
                                  幽齋様ゟ三原之御腰物被為拝領候にて所持
                                  仕候大炊之助法躰仕候刻
                            
                                  幽齋様齋之御字被為拝領甚齋と改候様ニと
                                  被仰付候其節も御脇差被為拝領候を于て
                                  所持仕候大炊之助果候迄御城内北之丸
                                  御櫓被成御預被召置候
                                二代
                                一、高祖父生源寺市兵衛儀四歳■袴着仕候段
                                  三齋様被聞召上御紋付御上下并裏付之
                                  御上下被為拝領候を于今所持仕候右市兵衛
                                  十八歳ニ而

                                  三齋様江被成御附相勤申候元和元年大坂
                                  御陳之節意之儀有之候為御褒美従
                                  三齋様御知行百石之御朱印之御書出并
                                  盛昌之御腰物於御陳所被為拝領候于今所持仕候
                                  且又於豊前国御櫓ニ志水伯耆組之者取籠
                                  居申候節右市兵衛被仰付召時討果申候其刻
                                  左之肩疵を負申候其外度々仕者被仰付
                                  相勤申候其時分段々御褒美御書被下置候

                                  得共類火之刻焼失仕候由申傳候其後市兵衛
                                  儀歩行之御小姓頭被仰付寛永九年當御国
                                  御入国前五月五日御知行百石御加増被為拝領候
                                  右市兵衛歩行之御小姓頭被仰付候砌市兵衛ニ含
                                  意趣を申者有之由
                                  三齋様被聞召上其節市兵衛ニ御附人被仰付候
                                  御印有之御自筆之御書于今所持仕候其
                                  以後市兵衛病気ニ罷成御役儀御断申上候処願之通被成

                                  御免御番方ニ被召加其後病死仕候

                                         (以下略) 

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■生源寺大炊之助(入道甚斎)【青龍寺以来】【田辺城籠城】
     嶺山城に居候か、直ニ田辺にきたり、籠城いたし候、追手右の持口嶺山衆各と
     有内なるへし、もとハ江州坂本の者なり、浅井備前守旗下にて、信長にハ敵筋
     に候得とも、藤孝君御年比(懇ろ)の者故、青龍寺に比召寄御合力、米五十石
     ニ而御側ニ被召出、丹後へも被召連、今度御人数少く御座候間、旧郷に人数
     可申遺由、樹下左馬助と両人に仰付られ、其段申遺、寿下入斎人数催罷越候
     (中略)参着之節は関原落去之砌にて、直ニ人数ハ返し、御褒美として幽斎君
     より三原の御腰物拝領、法躰仕候節、斎の字を被下、甚斎と改候様被仰付、其
     節も御脇差拝領、果候迄御城内北の丸櫓御預被置候
  

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■梅雨のさなかに・・・・台風襲来?

2014-07-06 09:28:15 | 徒然

 今年の熊本の梅雨入りは6月2日だと思うのだが、「過去の天気」を眺めて見ると以来雨マークがあるのは僅か5日しかない。農家にとってはもう少し雨が欲しい所であろう。30℃を越えた日も3日ほどで涼しい風が吹き抜ける快適な6~7月であった。ところがでかい台風が九州を目指している。台風の襲来も久しぶりという感じだが、少しよけてくれないかと念じている。

ところで「台風」という言葉は「颱風」が転じたものとされ割と新しいものらしい。この「台風」が英語の「typhoon」になったと思っていたら、これは間違いで真逆らしい。
 日本語の「台風」と英語の「typhoon」はどちらが先にできた言葉か

日本には「野分」という言葉があるが、これは季語としては「秋」に属するから、今の時期の大風は昔は何と言ったのだろう・・・・
もっとも古い記録をみても、「この秋大風吹き荒れ・・・」等とあり、「野分」という言葉は文学上のものなのかもしれない。

熊本直撃の可能性がある九日は、M先生の古文書を読む会の開催日である。さてどうなる事やら・・・・・・・・・・・・・ 

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■「拾集物語」を読む (三)

2014-07-06 07:22:48 | 史料

                          一、慶安改元つちのへねの年
                            此年熊本普賢寺鐘鑄之勧進被召候 此年宇土西念
                            寺同断 此年 當御太守左馬被遊 御國廻候横田次
                            郎右衛門宅にて御晝御膳矢部御惣庄屋被遊 御宿
                            此年細川刑部殿 太守様之御名代に被成御國廻候
                          一、同二つちのとのうしの年
                            此年休巴参宮 此年京都に恠事多く候を出家衆書
                            付下候とて見せられ候を書付置候寫
                          一、だいごのちやゑん無風にうごく事
                          一、ひゑい山のさる十ほどあふみの水海に身をなぐる
                            事
                          一、京都将軍塚毎夜啼動有事
                          一、二條之御城より灯燈ほどの火毎夜に出る事
                          一、二條筆屋庄左衛門と云者の娘一夜の内に白髪老女
                            となる事
                          一、やわた八まんの石の燈炉毎夜ころぶ事
                          一、京中のには鳥毎日よひなきする事
                          一、無面目之法師京中よる/\ありく事
                          一、ぎおんだいのまつ無風にをるゝ事
                          一、正門に毎夜女さけぶ事
                          一、清水寺に夜々に謡の聲有る事
                            此年甲佐三宮明神社中小社々々建立遷宮此年之四
                            月二つ出る 此年之九月中旬比より明る四月迄一
                            日間に雨降り大小麥あしく銀百目に大麥四石小麥
                            二石 此年之十二月二十六日に 細川肥後守光尚
                            様江戸にて被遊御逝去候御追腹之御衆には
                            知行取宗像庄右衛門殿富田庄左衛門殿里杢之助殿
                            渡邊猪左衛門殿歩小姓池田久五郎殿御小姓横目松岡
                            喜兵衛殿古閑又之允殿御中間山中又兵衛殿は御國
                            にてじせひ
                              山中にふりつむゆきのき江はてゝ
                                 なかれのすゑは細川につく
                            残るの御衆江戸仙覺寺前松原にて其極月二十八日
                            に右之通に候
                          一、同三かのへとらのとし
                            此年 六丸様當御國無改易被遊 御拝領候 此
                            年之御上使朽木民部少輔様金松彌五左衛門様豊後
                            より阿蘇熊本に御出宇土八代へ被遊御通御歸上川
                            尻大渡りに船橋かけ被成候無類の見物橋御奉行
                            原田源右衛門殿 此年右之通に付従當村阿蘇坂梨
                            八代ふくろと云所へ人夫立つ 此年御國廻被遊候
                            御上使眞田數馬様野瀬小十郎様豊内御惣庄屋彌左      野瀬→能勢
                            衛門宅へ御一宿 此年疱瘡はやる當村かろし 此
                            年之三月十四日に當所御給主中村伊織殿私宅へ御
                            出井筒久世舞被成御■候 此年之二月十八日之       ■・口に習
                            朝二つ見え申候とさた世上に専申候 此年田畑能
                            作立願におどりあやつり方々多し此年阿蘇御田御
                            神事御上使被遊御出候而公儀被遊御取込御居祭
                            被成候左様御座候へは本社登宮に白龍数多御出現
                            被在候其中に貮間餘之白蛇御出現に付て従神主殿
                            公儀へ被仰達候へは其脇前々之通御田祭禮被遊御
                            執行候 此年上早川村蘆村十郎左衛門殿之御知行
                            御百姓衆彦神當厳嶋宮九月九日之祭禮取越九月五
                            日/\に居祭はじまる
                          一、同四かのとのうの年
                            此年の春きゝん五こくたかし 此年之御上使迄は
                            御両人様被遊御逗留候 此年之四月廿日に家光将
                            軍様被遊御他界候 此年之八月十九日にまん令出
                            生候 此年之暮に銀百目米貮石粟四石大麥四石五
                            斗
 

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