津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「拾集物語」を読む (十三の一)

2014-07-29 06:58:36 | 史料

 この項の前半は、寛文九年四月にこの地を知行地としていた中村伊織が、臼杵藩主・稲葉信通の招きによって同地を訪問するに当たり、渡邊玄察も御供をしその顛末を委しく書き残したものである。大変著名な武家能楽家・中村伊織を招き、能の教えを乞い師として歓待する信通の歓待ぶりが興味深い。

 

                         一、同(寛文)九つちのとの酉の年
                           此年はしか流行老人もはしかいたし候 此年の四
                           月豊後國うすき稲葉能登守様へ中村伊織殿被成御         稲葉信通:母は細川忠興女・多羅
                           成候に付供仕参上申候 今度中村殿能登守様へ被成
                           御出候分ヶは中村殿之御親父同庄兵衛殿天下御無類
                           之金春八郎太夫之秘傳御能之名人にて御座候 彼
                           庄兵衛殿にて能登様金春一流之能を被遊御伝習候
                           然ば此前も伊織殿豊後へ廿餘年前に御出被成候 そ

                           れより當年迄廿餘年御能之工夫被遊被成御座
                           候を庄兵衛殿に被遊御尋候 御同前に被思召上候故 
                           伊織殿へ被遊御逢被成御尋度被思召上候とて當太
                           守様被遊御在江戸候に付而江戸へ被仰進伊織事病
                           中にて御奉公被遊 御免被置候へ共臼杵へ被遣被
                           下候様にと被仰進候故病中とても何卒仕豊後うす
                           きへ参候て能登殿の御用相勤進候様にと従江戸被
                           仰出候に付臼杵へ被成御出候拙者儀は奥田一残公
                           直弟子に成候てはり傳授候故はりも薬も御道中
                           豊後へ御逗留中之御用に被召連候一生之間に 
                           か程分過之儀無之候有之間敷候其子細は能登様之
                           御領分之御地へ伊織殿被成御入候にあなたの御領
                           境より道橋新く被仰付そこ爰に大庄屋小庄屋罷出 
                           人夫を出し候拙者にも馬一匹に人夫両人にて用心
                           致道中令守護候のつのいちと申所迄は西村権左衛
                           門殿と申御侍百五拾石取御出被有候而あなた様よ
                           り御料理人衆色々御賄衆御見來にて結構至極なる
                           御料理にて候翌日臼杵へ御着被成候に段々御家老
                           衆御物頭衆より御使打向ひに規度致候御侍衆御出
                           被在候尤御郡奉行大庄屋道被出向御取持にて御
                           座候に乍慮外何の閊も無之御乗物之跡に子小姓拙
                           者両人馬上にて御城下せんば米屋又左衛門と申御
                           客屋之臺所之庭まで馬上にて参候分過之儀にて候
                           御侍小路町被成御通候すなを持ち置たんごを据置て
                           い主/\上下にて戸の外脇にしゃがみあなた様の
                           御客人と御座候故致公敬女童は物かけより忍び候
                           て見申候廿五日之御滞留にて御座候に伊織殿へは 
                           御馳走奉行に西村権左衛門殿小姓中私共へは多
                           田猪右衛門殿と申候御歩之衆御料理頭料理人両人
                           それに手代致候人四人荒仕子八人御逗留中替々被
                           相勤候茶道衆三日には替々被相勤候不断臺子をし
                           かけ被置不断に濃茶にてもうす茶にても被下候町
                           より五人宛毎日十五六七人之子共、かはる/\きうじ
                           致候御座敷へは伊織殿次之間には小姓拙者其下々
                           には御客屋之向ふの町人所に被召置候左候て廿五
                           日御料理一ツ料理とて其間に無御座候毎日嘉納帯
                           刀殿渡辺主水殿稲葉図書殿御三家老衆毎日かはり
                           かはりに御見廻にて候御逗留間に御能両度御座候 
                           能登様芭蕉・葵上御直に被遊候御次男市主様船辨慶
                           被遊御城定舞臺にて両度共に御能被遊候伊織殿は
                           能登様と御同座にて御見物其御次は御三人之御
                           家老其御次は御物頭衆其御次は御領内中御禮被仰
                           上候御出家衆其御次も御侍衆其御次に伊織殿之小
                           姓衆拙者共被召置候而茶道衆御付居間もなく御茶
                           被下多田猪右衛門殿御付居色々之御菓子被下能登
                           様御日中御膳被為上候時分に皆共へも御結構之御
                           料理被下候扠又能登守様之牧野御城より三里外
                           に御座候伊織殿御馳走之為に御牧之馬一所に被遊
                           御狩寄せ可被成御見せとて御粧りぶねにて海上三
                           里被為押候伊織殿は御座ふねに被召候我々にも舟
                           一艘被仰付右御馳走奉行多田猪右衛門殿臺所舟一
                           艘に御料理衆あらしこのり候て御出にて海上にて
                           御料理被下候彼牧狩は見物と申候ては又無類にて
                           候三里四方之牧野にせこ斗七千人其頭々は在中御
                           領分之庄屋村々組頭共七千人之外にて候能登守様
                           御名馬と申候とさごまに被為召岩石がけにても犬
                           の様にかけ上り申候名馬に被為召御直にあひづの
                           貝を御ふき被成候へは三里四方の野に罷材候から
                           すの様に見え候勢子共ときの聲をそろへあげ候て
                           じねん/\に馬を追下しいそ邊に一二町ほどに埒
                           を結ひ廻しかた/\は海埒の内は大堀三方はつい
                           ぢの内に牧の馬をこと/\くおひこみはだずりに
                           馬共間なく罷在候を足輕衆白衣半切を着し五十人
                           おひこみ被召置候馬のせなをふみ廻り候處につい
                           地の上より御馬上にて能登様被遊御覧いづれの馬
                           をとれと被仰出候馬を足輕衆頭尾前跡之足各手取
                           にめされゑいたふ/\と聲をして各塘を取て上
                           り前以より海邊に馬たて五十間こしらへ被置候に
                           くびたまをいれつなき被置候へは初而くびにつな
                           かゝり候故いやがり候てすなをほりはねつねつい
                           やはやめずらしき見物にて候數匹御取被遊候て被
                           遊御歸城候其御馬を伊織殿へ御見せ被成候て伊織
                           気に入候御馬を可被為拝領と被仰出候故被奉得其
                           意仰之通にて一疋御拝領候其上に御銀五十枚御拝
                           領被成候又御歸のかたに御城邊の海に大網を
                           おろさせ魚を引こみ御見せ可被成とて御定日にて
                           御座候へとも御意日の日南風つよく致相違候にて
                           御座候其翌日大あみ引共に被仰付内所にておろさ
                           せくまびき引こみ申候を生きながら五十本三四尺
                           づつも有之を大籠あたまに五十いれ候て御足輕
                           衆持参候て御意にてこそ御座候はん伊織殿座敷に
                           西村氏殿御もたせ御座候て一度に御出し候故はね
                           つとんつ天井ににはねあたりかべ障子にあたりとん
                           /\と申候事すさまじきほどに有之候まんまろく
                           してぶゑんのぶりにことならず候客屋主勿論権
                           左衛門殿猪右衛門殿御料理人衆其外にも被遣候て少
                           々鹽ぎり御土産に被成候扠又能登守様伊織殿
                           へ被成御拝領候一つに 帝王女御様の被遊
                           御作候御香箱ほしたるだい/\にて御つくり被成
                           候ふたの上にはからいぬのすゑひろをくわはたま
                           とり申所を御ほらせられ候ふちは金銀にて御座候
                           を一合箱二つには銀子五十枚三つには右書出候通
                           に御馬一疋四つにはから木の御脇息五つには御ね
                           り薬御合箱にいれさせられ牛黄圓延齢丹蘇合丹六
                           つには何首酒仙傳酒共申候右之色々被成御拝領候
                            女御様之被遊御作候御合箱之御故事は 内裏御
                           炎上御作事御奉行を能登様被遊御勤色々 御内裏
                           様被遊 御叡感其節従 女御右之御合箱能登殿に
                           被為拝領被成御所持被成御秘蔵候を今度乍病中臼
                           杵へ被成御出候御儀被成御太祝候とて此秘物被為
                           御拝領候との御事にて候      

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