台風8号の進路がどうやら熊本市をめがけて居るように感じられる。最悪だ・・・
二男の会社は早々に明日は休日になったのだそうな。台風と言えば平成三年の19号台風を思い出す。あちこちで電柱が倒れたり、送電線が寸断されたりで数日間電気なしですごした。これは9月の秋台風であったが、まだまだ残署厳しい折でどの家も風呂を沸かすのもままならなかったが、我が家では屋根に載せていた太陽熱温水器が活躍、お隣さんにも声をかけお風呂を提供して喜ばれた。
平成十一年九月の18号台風も凄かったが、この時はライフラインは異常なかったが、大量に買い込んだ電池がつい一二年前まで残されていた。
今回のように梅雨時の台風は初めてではないのか・・・これも地球温暖化のせいか?
今は小降りの雨でわずかにカーテンが揺れる程の風が吹いている。クーラーも消して窓を開けっぱなしにしているが、そろそろ閉めて台風に備えなければならない。随分昔、熊本を通過した台風の目に入った奇妙な時間を経験したことがあるが、今回もそんなことに成るのか・・・・
今日はゆっくり眠られそうにもない。
生れ付たる信を随分そたて平生食事給申に幼少より下々の給申を見申候 むかし下々も大形頂戴仕給申候下々には今に信の心おのつから御座候 其しるし見へ申候 侍と成り命を差上置世を渡身成れは幸に結構成る御家松平におとらぬ事にて當世にては外に無双儀心にかけ候はゝ御主人の御位光にても日本國の侍にてもすくれたる程批判にあひ可申は其身/\の心懸にて候 戦國の時分は右の通御静謐の時分は成兼申候と見へ拙者勤申内にも其家々家老役勤申内にさへ池田大學壹人禁裡の御普請松平伊豫様御勤の時京都逗留の内萬事無残所様子とて近代の高名勤申候 一々承候へは事永く書付不申候
江戸にて舎人殿なども聞及たると御申候へとも委細咄申候後には江戸御供に節々被召連伊豫様へ御振舞に被成御座候 大學馬乗方も御覧候由御歸被成候時分敷臺の下うすべりの上左右に池田美濃様と向合せに居申御用人ともははるか下栗石に居申候 堀八郎右衛門殿事自姓老被申候は大學は馬をも乗方も御覧被成別して忝かり申由挨拶めされ候へは其儘大學側に 綱利公御寄被成御刀を御つき御右の手もつかれ今日は様々御馳走共と御禮被仰聞候時少し頭を下げ又見上候て御挨拶被遊候 罷歸一々舎人殿へ咄大學は此方の筑後殿同前の者にて御座候へとも筑後殿も大學か様に仕度と申候へはいや城主以上は筑後殿にても栗石に下り可然と思召と御意の旨と御申候 續彦大夫備前へ御使者に参歸候て咄申候 客屋に参候故大學事は聞及たると存其儘罷出候へはつむきのきる物そゝう成縞の裏付上下にて参り暫く咄来春は江戸供に参候御自分はいかゝと尋候處私も江戸供被申付候と申候へは左様に候はゝ江戸にて折々可得御意と申候て立候故敷臺送り見候へは木綿羽織着仕候 小姓両人居申候故いな事と心付彦大夫家来を出候て門外に居候家来を見せ候へは乗物にて馬も牽せ候へは小姓は三四人何も同様に木綿羽織と申拙者へも不審に存咄申候 拙者申候は池田の家は拙者先祖居申承候 三萬五千石三萬石二萬国取申候家老有之 輝政公百萬石の時の者ともにて御子達に分遣され候へとも其内御跡絶たるも有之備前因幡御両人へ被遣候 就夫歴々名高き侍大勢有之候就中大名共は新太郎様へ居申候小身にて名高者は相模守様へ居申候事永き譯は書兼申候 輝政公御前様は北条氏直の後家 東照宮の御娘御名 を失念いたし候(督姫) 其御腹の御孫相模守様也 新太郎様前々御前様中川瀬兵衛殿唯今豊後竹田に御座候中川殿先祖にて候 各心かけ見被申候はゝ唯今諸大名の紋系圖書付に有之かと見申候 併拙者見申候ても相違哉と存候事も御座候 右の譯にて御分被成候時大名は新太郎様へ小身にて名高者共宮内宰相様とわかり申候 就夫于今相模守様御家は御連枝の方と拙者勤申内に上月八右衛門なと咄被申候 右之譯委細は友心老老父寄合備前因幡咄の時分幼少にて居申候故に能承置候へ 古主にて御座候へとも子末に成候へは御家に参縁の國縁の御主と老父被申聞候 就夫拙者は歩の御使番勤申時上ケ羽の蝶の紋付たる小袖致拝領候て仕立御供にて一度致着其後拂申候 古主の御紋拝領故一度は致着候 如斯拙者は親の被申たる儀随分守り唯今如斯調申候にも涙を流し候 何も如存拙者は文盲にて聖賢の書物讀め不申候 如斯調申にも文字も慥に覺不申候 ひらかなにて讀め申間敷候へとも各見被申拙者心を察被申萬事に本有之其本/\と吟味仕候はゝさのみ悪事は有之間敷と存候 其本亂れ末治る事はあらしと聖賢の言に有之候
玄旨公の御歌
願くは家につたへんあつさ弓本たつ斗道を正して
此御歌は日外平九郎より事の外感し如此の思召にて御家御繁昌と被申越候 永文の返事調兼候 神以拙者も衆妙集ほんこに乍憚私こときの者もわかり申御歌は書付唯今此調申候 殊に末々の人の歌にても面白く存るは用申事其人々の心風景を好み或は珍敷見立なとゝ諸人心ゝにて又其人からも知れ申候 此御歌は扨も/\御尤弓は本はす裏はす就中本のつよさを用申候 道を第一正敷被思召候 御家の者ともにて別して賞翫可仕事と存冩置候處に平九郎書付差越被申候 此書は同名中同前にて候間平九にも御見せ可有候 末々の者迄其家々つふし度人は有御座間敷候 就中武道の優れたる御家にて御座候へは後世の事被思召文武二道の御家後々迄可申傳候 其御家に生まれたる幸侍中も夫々に名を残し度物に候 能々見心にかけ子孫迄も可申傳候事 先君の御心に可叶申候
一、承應改元みつのへたつの年
此年之二月廿二日休巴死去 此年之御上使松田
善右衛門様・水野庄左衛門様前々之通に被遊御國廻
御宿豊内彌左衛門宅 此年より在々町に酒造候事
御法度併そこ爰被遊御吟味御免之村々も有之候
此年より在々へ御横目衆御出 此年之九月八日い
ぬの下刻に西より東へ火飛ぶ
一、同二みずのとのみの年
此年あその御けふりあらし 此年 内裏御炎上
此年之御上使津下右衛門佐様・津田平左衛門様前々
之通に被遊御國廻御宿右御同前 此年之七月十一
日辨三郎令出生候 此年之八月五日未の刻より大
風吹出し寅之時に吹止む古今無双之大風大木こと
ごとく吹こぐうすくしてはゞひろき石を吹わるか
るが故に此大風をいははり風といふ以後迄も承應
二年八月五日いわはり風といふは此風の事也 此
年ゟ上早川村上月文右衛門殿御知行御百姓中産土神
巖嶋宮九月九日之御神事を取越し九月二日/\に
居祭始る 此の年阿蘇衆徒行者衣之出入落書にて
行者衆之内六坊御流罪被 仰付候 此の年六丸様
越中守綱利左様に被遊御異名御國中上下萬民奉恐悦
候
一、同三きのへむまの年
此年王尊崩御 此年熊本西光寺堂建立勤進有
此年之御上使朝倉仁左衛門様・田賀左近様御國廻御
宿右同前 此年より上早川村中村伊織殿御知行
産神當地厳島宮之御神事九月九日を取越九月七日
に祭禮始る 此年之八月十二日に阿蘇神主惟善公
より惟清と被仰下候 此年之九月十三日に右惟善
公被成御逝去候 此年より阿蘇神主友貞公神主御
継目 此年熊之庄雲晴寺鐘鋳之勧進有 此年豊内
村教榮寺開山其外に申物調る 此年熊本阿彌陀寺
堂再建之勧進有 此年より豊前國永照寺肥後延壽
寺口舌有 此年京都従本願寺明覺寺被差下候此年
いんげ聖人來朝