津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■半夏生

2014-07-02 11:35:52 | 徒然

 「ハンゲショウ」の花を御覧になったことはお有りだろうか・・・・

                                      

最近お邪魔している「M先生の古文書を読む会」の会場となっている、S寺の御堂の前に沢山植えられていた。
御覧のように葉の半分ほどが白くなってくる。ある方が「半化粧」と言われたとか、そういう言い方もあるのだそうだが云い得て妙である。
この「ハンゲショウ」が咲く(?)時期を、72候の半夏生とするのだというが今年は今日7月2日であって72候に語呂合わせをしたごとくである。 

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■先祖附 谷(助九郎)家

2014-07-02 07:01:52 | 先祖附

                                                 千石 谷 助九郎
                           一、高祖父谷出羽守儀始 太閤様江奉仕其後
                              権現様江奉仕丹波之内ニ而領地壱万六千石領
                              被下置于今御直参本家ニ立子孫相續仕居申候
                              右出羽守儀
                              三齋様連々御懇意之者ニ御座候
                           初代
                           一、曾祖父谷内蔵之允儀右出羽守末子ニ而御座候
                              妙解院様江可被召仕之旨於京都

                              三齋様御直ニ出羽守江被仰聞奉得其意元和
                              八年豊前小倉ニ罷下り刻御知行千石被為拝領候
                              為妻三渕伊賀守様御息女被下候寛永八年
                              大坂御城御普請之節内蔵之允儀被差登相勤
                              罷下り候上ニ而御加増五百石被為拝領候其後御番頭
                              被仰付候御國替之砌 上使御用被仰付先達而
                              八代江被差越相勤候嶋原一揆蜂起之翌春
                              大矢野郡浦邊為巡見内蔵之允組共ニ出張被

                              仰付相勤申候此外相應之御奉公等相勤居申候処
                              病気ニ罷成寛文四年御役儀御断申上如願被
                              仰付同年閏五月病死仕候事
                           一、祖父谷権右衛門儀実は荒木摂津守曾孫ニ而
                              御座候摂津守儀代々於京都将軍家江奉仕
                              阿州摂州を領地仕居申候其後 信長公江随
                              不申様子ニ而御攻潰被成子孫零落仕候摂津守
                              孫荒木権右衛門
                        
                              妙解院様御代被 召出御奉公仕候処先主
                              板倉伊賀守様ゟ御構御座候而其後御暇被下候
                              此者妻浄勝院様御養女ニ而御座候右之通之
                              様子ニ而荒木権右衛門世忰権右衛門儀刻浪人ニ而
                              御國江居申幼少ゟ姉婿細田清隠方江育置
                              細田氏を名乗せ子分ニ仕置候
                              妙應院様御代曽我丹波守様御頼ニ而権左衛門儀
                              明暦二年御児小姓被召出相勤居申候内右

                              内蔵之允男子無御座候付寛文四年之春
                              内蔵之允江養子聟ニ被仰付候同年閏五月十一日
                              内蔵之允跡目無相違二代権右衛門ニ被為拝領長岡
                              監物殿組ニ被召加候事
                           一、右権右衛門儀寛文十一年御中小姓頭被仰付候延宝
                              元年江戸御留守居詰ニ罷登相勤居申候処田邊
                              平助跡役御小姓頭被仰付候元禄二年十二月
                              御番頭被仰付同十年佐敷御番代被仰付

                              御役料五百石被為拝領翌年正月佐敷江罷越
                              相勤居申候然處宝永二年十月中風相煩
                              御役儀御断申上候処同十二月如願被成
                              御免候病気弥以勝不申候付被下置候御知行
                              差上申度段奉願候處宝永三年二月七日
                              隠居被仰付候
                           三代
                           一、親谷貞之進儀実は有吉清助二男ニ而御座候 

                                       以下略 

 

 荒木村重系・細田氏略系図


                     十次郎・左馬介(細田姓) 
  荒木村重---+--十次郎------村完(梄隠)---+==三郎権右衛門(谷内蔵之允為養子) 
          |            ∥       |            初代       
         谷出羽守衛友---+--●姉      +===============梶之介・・・→(細田家)         
          |         |  初代            二代
          |         +--内蔵之允   +======権右衛門・・・・・・・・・→(谷家) 
          |             ∥--------|        ∥
  +--------------長岡好重-----●幾久     +----------●
 |        | 三渕伊賀守・幽齋末弟
 |        |  
 |        +--村勝----------克之----+--女子(栖隠妻) 
 |                      ∥     | 
 |                      ∥    +--村長-----梶之介(栖隠歿後養子・名跡相続)
 |吉田兼見---兼治           ∥    |
 |         ∥----徳雲院    ∥    +--弥平
 +---幽齋---伊也      ∥    ∥    |
          浄勝院     ∥-----●    +--三郎(栖隠養育・為養子)
               初代  ∥
      長束正家----田中平左衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→(田中家)


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