今日は秀林院様(ガラシャ夫人)が亡くなられてから満414年の御忌である。数日前から熊本出身の作家・小山寛二の「細川がらしゃ」(上・下)を読んでいるが、いわゆる大衆小説で真実味がなく途中でやめてしまった。三浦綾子氏の「細川ガラシャ夫人」や、生方たつえ氏の「細川ガラシャ」など、女性の目で見た作品や、キリスト教者の目でみた作品などガラシャ夫人を主人公にした作品は数多である。好ではないが司馬遼太郎の「胡桃に酒」などもある。
中には家村耕なる人の「明智の娘ガラシャ」成る作品があるが、これなどは噴飯ものの作品である。霜女覚書を引用しているが、これは「下書きは細川家がつくったもの」等とするとともに、霜女覚書の書き出し部分「石田治部少乱のとし・・・・」を引いて、「石田三成が西国大名を結集し家康と雌雄を決するため挑んだ関が原合戦を少乱とわざわざ言わせているが少乱である訳がない」と書いている。
著者家村氏は覚書を読まれた時、句読点の場所を間違えたわけだが、「治部、少乱の年」とはいくらなんでも読まないだろう。
永青文庫が所蔵する覚書の該当部分は「石田志ぶのせうらんのとし・・・」と書かれているが、護貞様の御著・魚雁集では読みやすいように「石田しふのせうらんのとし・・・」とされている。
作家が引用する史料をどう解釈しようと知ったことではないし、表現の自由は保障されているから、このように立派な体裁の本が出版されるのだろうが・・・・
ごもっともと思って読まれる方は居られないだろうと思うが、咄のネタとして読むのには良いかもしれない。