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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■フットバス

2014-08-02 20:56:49 | 徒然

                                                 

                                          多分同じ機械だと思いますけど・・・

この真夏に夕食後フットバス(足湯)を10分ほどやりました。足のむくみが何時まで経っても取れず、おまけに寝ていても足が冷たくて仕方ないのです。
朝の散歩も30分で歩ける距離を40分かかっているような有様なのです。そこで冬私も時々使っていた奥方のフットバスを取出してやってみました。
足が真っ赤になって通常の暖かさになった感じですが、30分も立つとまた足が冷たくなってピリピリしてきます。
靴下でも履いて寝ようかとも思ったりしているのですが、歳をとると思いがけない故障に驚かされます。

 

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■長岡という場所

2014-08-02 11:54:55 | 史料

 細川家は傍流に於いて「長岡」という姓をつかったり、有力家臣に姓を使わせたりしている。
この長岡姓の元になっているのは、細川氏が長岡を領していたことに由来するが、その場所に付いては詳細を知りえずにいた。
最近「藤孝事記」(平成5年11月20日発行・古典文庫第564冊--非売品)を見ていたら次のようにあった。

                長岡と申候ハ寺戸村ニ本菩薩と申寺御座候、夫ゟとの儀は承伝不申、
                本菩提ゟ南西之岡ノ間を長岡と申伝候由申候、北へも少し続申かも
                不存候由申候
                右は寺戸村ニ九十歳計ニ成申者御座候、此者ニ兼而古キ事共承候、
                彼者右之通り語り申候、能覚候様ニ申候得共、老人故言葉前後仕候
                様ニ相聞申事ニ御座候間、不分明義も可有之哉と存候

この「藤孝事記」は宇土細川家にもたらされた古記録であるが、内容のほとんどは「綿考輯録」にも反映されていない、貴重な史料である。
 

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■「拾集物語」を読む (十四)

2014-08-02 08:20:07 | 史料

                               一、同(寛文)十かのへいぬの年
                                 此年之正月十八日より當川筋御普請奉行に原田十
                                 兵衛殿朝香新之允殿御出 此年之四月熊本浄土宗
                                 之寺々同新光寺と五佛之口舌事あり筑後善導寺御
                                 出被在新光寺勝に成候て阿彌陀寺安養院阿彌陀寺
                                 隠居行故往生院流罪然者當國中之浄土坊主衆京都
                                 知恩院へ罷上及御沙汰新光寺まけに又なり新光寺
                                 流罪善導寺御隠居にて右流罪之御僧衆不残熊本へ
                                 御歸寺 此年之六月より天下様之尊諚にて御座候
                                 吉にて在々町々に酒つくり候事御法度 此年之春
                                 夏秋比野村之内玉虫より手潮村にかかる井手令
                                 出来候大庄屋木倉太郎兵衛見立にて候 此年之秋
                                 より商人尚更御法度 此年の夏米たかし 此年か
                                 みなりすくなし 此年の夏大日でり 此年細川左
                                 京殿八月御知行所津志田村に被成御出火矢を射給
                                 ふ津志田村河原より邊田見村下馬が原の下に火お
                                 つる 此年甲佐甚兵衛鬼丸屋敷へわたまし 此年
                                 あさう原村天神之像建立佛匠熊本呉服町五郎兵衛

                               一、同十一かのとの亥の年
                                 此年御船若宮明神修造 此年八九月中に四度 太
                                 守様甲佐御やなに被為成候 此の年の九月十五日に
                                 甲佐より堅志田之様に被成御座候て日南久へ被成
                                 御座候 此年九月十七日に阿蘇神主宮内少輔殿熊
                                 本より健宮明神に御出即日私宅へ御出被遊御一宿
                                 候翌日甲佐三宮明神に被成御社参即日矢部男成明
                                 神へ御社参 此年之十月甲佐甚兵衛惣領龜松同神
                                 宮寺同社人右京同道候而御禮にあそ殿へ罷出候休
                                 閑も召連候 此年田にむしいりほかれいたし候

                               一、同十二みづのへ子の年
                                 此年之二三月長谷川十太夫と申紛者御せんさくに
                                 て乞食に至迄御穿鑿にて御郡奉行衆御郡々々
                                 に多日御逗留 此年雷すくなし 此年田にはむし
                                 大分おゝし 此年六月土用に涼しき事初春にひと
                                 し 此年有安村之川ばた石垣になる 此年之二月
                                 八代御城雷火 此年中村庄兵衛殿御知行二百石御
                                 拝領 此年之正月十八日に休閑矢満下の屋敷たつ
                                 る地つちをひきたいらむる事は糸田村の産子衆四
                                 拾五人中横田村九兵衛と申御百姓之家をかひ候て
                                 ときもち夫上早川村産子衆六拾人餘かや三拾餘駄
                                 梅木村産子衆家を作事南北早川村産子衆 此年之
                                 春阿蘇神主殿に召れ休閑上假名を勝太夫と被仰付
                                 候 此年之春田畑能作之祈願に甲佐三宮之宮寺
                                 神宮寺にて胡摩之供有 此年玄察ざしき立る大工
                                 八代之住横山次左衛門 此年女のしわがれ聲にて
                                 春夏の間向ひ川原其外にも當所にかぎらずなく聲
                                 きこゆる 此年御船法光寺ひらむきの堂に成る
                                 此年座敷前之泉水作る 此年おこり痢病はやる
                                 此年の八九十十一十二日明る六月迄に牛こと/\
                                 死す 

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