津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■天下の御尋ね者

2014-08-08 10:32:11 | 歴史

 「拾集物語」を読む(十六の二) 小山田彌市郎の名前が登場し驚いてしまった。これはいわゆる将軍家の御威光に係る天下の御尋ね者の手配が、まさしく全国に行きわたっていたことを物語っている。

将軍綱吉の側室・お伝の方は、綱吉が甲府宰相時代に中臈に上ったとされるが、父親は足軽格の黒鍬者であった。お伝の方の兄・権太郎は素行の悪いならず者であったらしいが、博奕出入りで上記小山田彌市郎らに殺されている。ならず者であろうが将軍様ご寵愛の側室の実兄が殺されたのだから、小山田は天下の御尋ね者として手配された。拾集物語の著者・渡邊玄察は、この手配の人物がこの様な罪を犯した人物であることは知らなかったであろう。小山田は七月になって常陸の竜ケ崎で捉えられ、獄門に懸けられている。噂が駆け巡るのは早い、玄察が事の真実を知るにも、そう時間を要しなかったであろう。

尚、三田村鳶魚に、この事件にも触れた大変興味深い一文「お伝の方の一族」があるが、サイトでも紹介されている。

                      http://books.salterrae.net/amizako/html2/mitamuraodenn.txt 
 
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■「拾集物語」を読む (十六の二)

2014-08-08 07:19:31 | 史料

                               一、同(天和)二みつのへのいぬの年
                                 此年天下一同に小山田彌市郎と申人を御尋の御穿
                                 鑿有り 此年之三月當厳島宮へ石之鳥居立つ 此
                                 年之四月鳥居よせのおどり致候 此年之五月八日
                                 迄七日嚴有院様三囘之御法事に法華經千部遊御
                                 執行候 此年より寺社方御郡奉行衆之御直支配に
                                 成る 此年寺社に被仰渡候御觸状
                                 一筆申觸候根元知兼候牢人なと無之候哉前々併當
                                 正月以来一人に念を入申様にとの仰付にて候間若
                                 左様之者共辞者内に居申候はゞ早々可有其沙汰候
                                 根元不慥者石(右ヵ)置不被申筈に候間此以後も其覺悟に
                                 て早々御申出可有候為念候間此觸状に御判形候而
                                 可被差越候以上
                                    いぬの
                                      四月十六日        辛川 九兵衛
                                                      松村久右衛門
                                            何寺
                                            何社

                                 此年之六月 小山田彌市郎事に付又々被仰渡候覺小
                                 山田彌市郎事當二月十四日に坊主に成り其後なで
                                 つけにいたし候由相聞え候ひたいをもたてちいさ
                                 くいたし候由に候間いりすみも見えかね可申候自
                                 然虚無僧などの中く入紛可有之候御代官所私領併
                                 領内にあり候寺社領之中令穿鑿紛敷者於有之は早
                                 々江戸町奉行所へ可申來者也
                                     戌の
                                       六月日
                                 右之通従江戸被仰出候間此旨可被相守候以上
                                     戌七月十九日 段々下り候間御両御郡衆

                                 此年右彌市郎事に付寺社方より仕上候書物之覚
                                  今度従 公義被成御尋候小山田彌市郎かと無心
                                 元存候者私社内に居不申うさんなる者未會申候は
                                 ゞ早速其沙汰可仕候此の儀下々にも堅申付置候以
                                 上
                                     戌の天和二年七月日   渡邊玄察掾
                                        松村久右衛門殿
                                        辛川 九兵衛殿

                               一、同三みつのと亥の年
                                 此の年太猷院様第三十三囘忌之御法事に法華千部
                                 妙解寺にて被遊御執行候 此の年より甲佐作之丞
                                 に御惣庄屋被仰付候 此年糸田村庄屋百姓口舌事
                                 申出公義より被遊御穿鑿庄屋百姓五人御誅罰 此
                                 年之五月廿八日将軍綱利様之御若君様徳松様と奉
                                 申候被遊御他界候浄徳院様と奉號候 此年田邑満
                                 作 此年より名主御惣庄屋其外御奉公人衆段々か
                                 たなさし申候事御法度に成る 此年より金併ぬひ
                                 もん御法度に成る 

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