津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「尾藤家先祖附」 と 「林家記」

2014-08-29 08:16:55 | 徒然

 現在、讃岐18万石を領し後秀吉により切腹させられた尾藤一成の子・尾藤知則(金左衛門)を初代とする尾藤家の先祖附を読んでいる。
中々の達筆で書かれているのにもかかわらず、独特の崩し文字があり読み下しに四苦八苦している。
寛永十二年金左衛門は細川忠利の召し出しにより熊本へ赴く途中の船便で、別の舟に乗っていた嫡子夫婦の舟が難破破損して溺死している。この折先祖に係る書物を紛失したらしく、一成に係る事も詳しく記されているとは言い難い。
そんな中にも父・一成が讃岐国を拝領した時蒲生飛騨守(氏郷)から一振りの名刀を祝いとして贈られたことに触れている。一国にも代えがたい刀だと称して「一国」を名づけられていた。一成は改易の後妻子を家臣・林半介に託して遁れさせている。蒲生氏郷から貰い受けた名刀「一國」は林家に伝えられたという。初代金左衛門女が林半介の子孫・孫兵衛正元に嫁いでおり因縁を感じさせる。

わたしは以前この林半介のご子孫からご連絡をいただき、先祖附を始め家記などをお送りして以降ご厚誼をいただいている。
先祖附は半介の代には触れられておらず、別途「家記」が存在してここに「尾藤家先祖附」に符合することが記されている。
林家の口伝では、織田信長の家老役であった林秀貞の子孫(一族?)らしいが、「家記」においても触れられておらず残念ながら実証は難しい。
しかし全くあり得ない話でもないように思え、追加資料が現れないかと神経を傍だたせている。
この「家記」は熊本県立図書館所蔵の宮村典太著の「雑撰録・巻三」に「林家記」として残されている。原本の所在は不明である。
そしてこちらも宮村典太の独特の筆跡が読み下しを困難にさせており、A4十枚に及ぶ読み下し文も■表示の文字が数多くあり完読に至っていない。

今般尾藤家の先祖附を読むに当たり、「一國」に関する共通の記述を発見して何とか両方の文書を完読させたいと再チャレンジをしている。 

 

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