津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■安西水丸の最期のエッセイ「ちいさな城下町」

2014-08-11 20:24:21 | 書籍・読書
 ちいさな城下町
  安西水丸
  文藝春秋

私と相年の安西水丸氏は今年三月に亡くなられた。同い年の人の死はなんとも形容しがたい思いに至る。
村上春樹氏との共著「村上朝日堂」などが懐かしいが、最期のエッセイを読んでみたいと思った。

 

本の内容

“有名すぎない”ローカル城下町の歴史が作り出す家並み、神社仏閣、人々の暮し、食べ物を絵と文で紹介。「思わず旅に出たくなる」著者最後のエッセイ集!

ぼくの城下町の好みは十万石以下。そのくらいが一番それらしい雰囲気を今も残している——2014年3月に急逝したイラストレーター・安西水丸が惹かれてやまない城下町を訪れ、歴史的人物や事件にまつわるエピソード、町の名物やたたずまいをスケッチ。読むと電車に乗って旅に出たくなる、楽しいエッセイ集です。
登場するのは、村上市(新潟県)、行田市(埼玉県)、朝倉市(福岡県)、飯田市(長野県)、土浦市(茨城県)、新宮市(和歌山県)など、日本全国の20都市。岸和田市・中津市・高梁市は単行本のための描き下ろし。(「近刊情報」より) 

目次

村上市(新潟県)
行田市(埼玉県)
朝倉市(福岡県)
飯田市(長野県)
土浦市(茨城県)
壬生町(栃木県)
米子市(鳥取県)
安中市(群馬県)
岸和田市(大阪府)
中津市(大分県)
掛川市(静岡県)
天童市(山形県)
新宮市(和歌山県)
西尾市(愛知県)
大洲市(愛媛県)
亀山市(三重県)
木更津市(千葉県)
高梁市(岡山県)
沼田市(群馬県)
三春町・二本松市(福島県)

著者情報

安西 水丸
イラストレーター。1942年東京生まれ。日本大学芸術学部美術学科卒業。電通、平凡社などを経て独立。朝日広告賞、毎日広告賞等受賞。絵本、漫画、エッセイ、小説なども手がける。2014年3月19日逝去 


 

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■山鹿市中心部の街絵図

2014-08-11 10:14:43 | 新聞

                                                                             

 今日の熊本日日新聞から引用

明治の山鹿“発掘” 旧家から市中心部の街絵図

明治の山鹿“発掘” 旧家から市中心部の街絵図の写真、図解
大森家から見つかった明治期の山鹿市中心部の街絵図=山鹿市
 山鹿市の旧家から、1885(明治18)年の同市中心部の街絵図が見つかった。宅地や田畑など用地別に色分けされ、それぞれの面積を記載。同市の国重要文化財・八千代座の建設以前で、当時を知る貴重な資料として注目されている。

 見つかったのは大森加寿[かず]さん(88)方。大森家は代々、貸家業や酒造業を営んできた旧家。縦約2メートル、横約1メートルの絵図は掛け軸状で、巻いたまま保管してあったという。

 絵図は、市中心部の菊池川と吉田川に囲まれた範囲。1870年に大改修された「さくら湯」には面積以外に「700人持」と書かれ、細川藩からの譲渡後、市民の共同所有となったことが分かる。

 作者は浦田雪長(本名・長次郎)で、日本画家・高橋廣湖(久馬記)と八千代座の天井画を描いた弟・浦田湖月(四郎)の父親。旧山鹿大橋や移築され県文化財となっている湯町橋など、石橋と木造橋の違いも分かるように書かれている。

 調査した木村理郎・元市文化課長は「詳細な面積の記述から、課税のために作成されたとみられる。時代の空白を埋める博物館級の資料だ」と話している。(岩下勉)
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■「旦夕覺書」 鳥--15 (傳右衛門の結婚話)

2014-08-11 09:38:12 | 史料

右の時分両人にて櫻馬場御殿の向角の屋敷郡源内跡屋敷を兄弟にて借り居候 老母も居申候 舎人殿御使にて老母へ縁組の事を有吉四郎右衛門殿御母儀高松院殿聟故小笠原備前殿を以舎人殿へ被申聞候 就中其時分舎人殿御隙なし高松院殿御逢候事難成とて備前殿へ御申候由四郎右衛門殿は直に十左衛門殿御心安と御聞及十左衛門殿へ御出被頼候筈に候 四郎右衛門殿おとな菅次太夫と申者親代の有吉を名乗申筋目有之候 此者の妹を拙者に遣度候 事済候へは後々は四郎右衛門上下のぬき所にも致度心に候 此様子は傳吉には被申間敷御母儀に御咄候へと被申候由老母へ角入委細被申候由拙者留守にて歸り右の咄の様子拙者へ老母被申聞候 是は何と思召候哉と尋候へは老母も我は女の事にてとくと分り申さぬにより角入いかゝ存る哉と尋候へは角入被申候は私も可然其不存候へとも舎人殿御頼の事に付委細姉に可申聞と罷立候 四郎右衛門殿は十左衛門殿へ御頼被成候筈と舎人殿御申候 左候へは御家老御両人傳右衛門に御目被懸候故に如此の様子に御座候へは御断も成兼可申候 其上江戸前にて舎人殿も急度返事御聞有度様に被聞候 傳右衛門も定て頓て歸可申候間具に被仰聞候へと申て角入は被戻候由にて老母も気遣仕文右衛門にも申聞せ宜頼候と角入へも申候由被申候處に十左衛門殿より呼に参候ゆゑ拙者も此事と存舎人殿へも不参候内に可参と返事仕候へは老母は気遣おれはしらぬ事成れとも御両人の御肝煎いやと被申間敷候間能分別仕参候へと被申候故いや少も/\御気遣被成間敷候御両人共に御事心安被仰聞候故私のおもふ様に可仕候 其内角入参られ候て尋被申候はゝ舎人殿へも直に参候て御咄可申候 延引不苦事と申たると御申候へとて十左衛門殿へ参候へは御笑ひ/\何と替る事はなきかと御申候故先刻母に角之丞を以舎人殿御難題を被仰聞候と申候へは此方へも先刻四郎右衛門殿御出にて段々斯様/\に御頼舎人殿には高松院逢申事も成兼備前を使に被頼候由に候 是は一段の事と御申候故即座に御誓言を承り度由申候へはいや誓言には及不申と御申候時拙者申候は私は何とも合點不仕候子細は私儀舎人殿御自分様御懇頃の儀は 太守様も御存知と承及申候 御家中上下侍中何も右の趣は可存候 御両所様に何々筋と申儀も無御座候へとも御前髪御座候時より御馬屋にて毎度御目に懸り其後段々御両所様共に御家老に御成り被成候 右之段々は諸侍中存不申當時の御家老御両所と御心安参候事はけいはく者の内には一番と可申事は私とくより心付申候 夏は川狩被遊御拝領の魚御ひらき冬は鴨御拝領の御ひらき御両所様へ替る/\被召寄候 此儀不存侍中壹人も有御座間敷候 四郎右衛門殿御頼被成候由被仰聞候舎人殿には未懸御目候 追付可参と奉存候 此縁組を得其意申候はゝ右の二度の御拝領の時分二度なから四郎右衛門殿へ参候事思召御覧可被下候 迷惑千萬に奉存候 何卒/\宜敷様に被仰分可被下と申候へは十左衛門殿尤と思召候哉兎角舎人に参候て委細承候へ我等も舎人と相談可申と御申候故罷立直に舎人殿へ参候へは何と/\御母儀の返事角之丞被参候事待兼候由にて是へ/\と御申候故扨も/\迷惑千萬成儀十左衛門殿被仰聞候直に参上仕候由申候へは何ことと御申候故そはにより十左衛門殿へもケ様/\に御断宜奉頼と申候へは先御時分様へ参候て直に承候へあなたも御相談可被成と被仰聞罷立申候 其時舎人殿御申候は十左へ被申候様に四郎右へ二度のひらき二度共に参候へ少も/\十左此方へ不参とて不苦候と御申候故いや御両所様は左様に可思召候へとも私方に仕候て筋目により四郎右衛門殿へ参御両所様へ参り來り私の心にて心ならす四郎右衛門へ参候事迷惑千萬扨御家中上下の侍中亦四郎右衛門殿出入を求申と沙汰仕候事見申様に御座候 此儀を第一に十左衛門殿へも申上候と申候へは又舎人殿御申候はいかにも御家中何も申事苦に被存候は御耳にも可達かと存候ての事と存候 我等事にて候へは神以具に貴殿の思寄不残可申と御申候 其時又申候はいや夫は成程 御前の儀は被仰立聞被下候へ共御家中一同に申事の被仰分は成兼可申と神以押返し/\申候時に舎人殿も御つまり先刻の咄に可仕とてしはらく咄申罷立候時に先刻より申上候儀宜頼上申候 老母は女の儀に付忝かり申内に御両所様の御肝煎背候はゝ私は何と可成と存候様子にて殊の外氣遣仕候故少も/\氣遣仕間敷御両所様共に御懇頃の儀候ま私の存る様に御断可申上と先刻も申聞候 嘸々氣遣可仕候間先罷歸可申候 彌宜頼申上候と申候へはいや/\急には我等分別成兼候御母儀の氣遣は誠に/\尤に候併江戸に参る事なれとも此事埒明申さぬ内には毎日/\可被参候と御申候故得其意申候 又明日参可申と罷立候 其後一度も不参候文右衛門は上田新兵衛なとゝ此儀を談被申候と後に承候 拙者も毎日あなた此方と咄に参候て態と角入文左衛門に逢申さぬ心得にて候 子細は談合と申事はいかゝとわかり申さぬ事を談合と申候 是は拙者心にて成事ならぬ事は壹人にて能埒明申候 御家老御両人の御肝煎を断候事此方の道理立申候はゝ得其意不申其御家老役する人にて無理にも譯も聞わけす御申可有道理にてなく又重て縁組は成ましきとの儀も拙者は合點不参候 御奉公のみつかへも可有之哉との噂も承り候へとも是も道理も可被聞召上候はゝ自分の為に少しもつかへぬ事と有候て神以同名中壹人も談合仕不申しはらく間有之候て又舎人殿へ御使に老母方へ角入被参候て被申候は傳右衛門と直に申談候成程傳右衛門被申様尤に被存候故此縁談は止可申候外に宜き事候はゝ肝煎可申心安被存候へとの御懇頃の事にて候 傳右衛門又留守にて御座候哉先々しれ申候はゝ呼に被遣急度禮に参申候へと申角入歸被申候 舎人殿へ参候て扨々忝奉存候扨又申上候 御両所様の御肝煎背候ては以後縁組は遠慮可仕事と承り申候へ共私か曾て左様に不存候 此後心に叶たる縁組不申上共私心に極め可申候 左様に思召候故是は御無理成事に奉存候 心儘に妻を求候儀迄各様へ申上候儀は憚に奉存候間急度極め可申と笑ひ/\罷歸候 神以即座に右の通埒明申候 其後上田新兵衛に逢ひ申候へは此咄さて/\能申ひらき候中々御両所の御肝煎にて候へは成兼可申候 又一段の御縁組とも有様か不存此中御同名文左共悔申惣躰御心安とても御家老衆の縁組なと御肝煎は少遠慮可有事と被申候 其後暫く間有之て拙者宅へ高坂検校ひたと参針を立申候舎人殿へも毎日参候者にて候 拙者所へ参候時新敷結構成きれにて縫申たる針袋を見せ何と是は見候哉と申候ゆゑ扨も/\結構成きれにて候是は縫物とは見へ不申候さても/\能かわやと譽申候はへいや是は御花畑老女松野殿の娘にて手きゝにて候と申候て能聟あらは遣度拙者にも毎度被申 上に御存知も被成舎人殿なとも御心懸にて候何と拙者は同心仕間敷やと申候故いや/\御花畑通りに物入可申候 第一には御花畑をかさにかけ女のおこりあらくいや成事と返答仕後にあんし候へは舎人殿内意を聞せ被申たると存候 其後高瀬善兵衛娘にもらい候 唯今久右衛門と申か先妻にて果たるかと覺申候 高瀬なとは元来かろき者の末にて中々一門侍のわけを存ましく候 久右衛門唯今鐵炮御預妻は下津久馬か姪か兎角近き者にて坂崎半兵衛ものかれさる間にて半兵衛肝煎かと覺申候 拙者も同前にて輕き御奉公勤結構に成候へと先祖以来の事を存候へは心底には大名衆御備頭より下はさのみ成間敷物にてなく如形心は高く若き時より随分/\昔の能武士と承り候衆の申傳書たる物なと一字/\に心を付近年は歩行不自由にて近所の日輪寺にさへ亡妻の四十九日に漸々参候迄にて快時分は如此調申候 各若く候へは無御存事多く可有候 此一冊折々御覧にて一事/\に心を付御覧候はゝ落字或は是はいかゝと被存候事は御尋可有候 如此書置候事も老父おしへを守り在宅仕別して書置候 亡妻申候は色々咄も承り候へとも拙者御奉公候一巻を書置くれ候へと勝助望と申聞候故誠に/\咄斗にては致失念事尤と存別に書置候 是も不断老父書付置候へ後は忘るゝ事のみと被候咄承たる事と存候へは何事も/\老父の影にてなき事は一ツもなく候 他人にても善言善行見夫を師と古言にも見へ候 

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