津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■齊護公の御子たち

2014-08-10 11:55:19 | 歴史

     齊護---+---慶前 23歳没
          |
          |  松平慶永(春嶽)
          |   ∥
          +---勇
          |
          +---韶邦
          |   ∥
          |  峯(一条左大臣忠香養女・実三条大納言實満女)
          |
          +---護久
          |   ∥----------------------------------護立------護貞------護煕-------護光
          |  宏子(鍋島肥前守齊正・閑叟 女)
          |
          +---承昭
          |
          +---護美
          |
          | 上杉茂憲(米沢藩十四代藩主)
          |   ∥
          +---喜久 

 細川家12代当主齊護の御子とその配偶者を記してみた。(夭折した子女は不含)
長女・勇姫は越前松平家の当主・松平春嶽夫人である。結婚早々に離婚話が持ち上がるなど、松平家・細川家共に大いに気をもんでいる。
平成十八年七月発行の「熊本史学 85・86合併号」の高橋みゆき氏の論考「近世大名の婚姻--熊本藩と福井藩の婚姻・勇姫の事例を中心に」に委しく述べられている。大変興味深く面白い。
14代当主となった韶邦夫人は一条左大臣忠香養女であり、姉が明治天皇の皇后(照憲皇太后)である。一条左大臣は公武合体派の公家として知られるが、韶邦もまた公武合体に尽力した。天皇・皇后が細川家を尋ねられている。
護久の正室・宏子は佐賀鍋嶋家の「蘭癖大名」「肥前の妖怪」などと呼ばれた鍋嶋閑叟女である。
細川家への輿入れに関しては紆余曲折があり、細川家をやきもきさせている。

幕末から明治維新にいたる激動の時代に、実家や婚家また兄弟の間でも微妙な関係が見え隠れしている。 

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■台風すり抜け

2014-08-10 08:06:51 | 徒然

 一時期九州上陸が心配された11号台風は、東寄りにすっかりそれて高知に上陸したようだ。地球温暖化の影響か、最近の気象は昔とは随分変化した様相を見せ、降雨量のものすごさが際立っている。各地での被害状況を見ていると、熊本はなんと運の良いことだろうと思ってしまう。
今朝の散歩は多分雨で駄目だろうと思いながら昨晩は床についたのだが、何のことは無い涼やかな風が気持ち良い絶好のコンディションとなった。
今の時間帯は西北の風が少し強くなった気がする。蝉もなき出した。27.5℃ほどの気温で誠にすがすがしい。
皆様お住まいの地の被害のないことをお祈りします。 

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