信長と将軍義昭
連携から追放、包囲網へ
谷口克広 著
各地を流浪した足利義昭は、一五六八年、織田信長に奉じられて上洛し、宿願の将軍職に就いた。長らく傀儡にすぎないとされてきた義昭だが、近年では将軍として行使した政治力が注目されている。京都から追放された後でさえ、信長に対抗できる実力を保持していた、とする説もある。上洛後の信長と義昭は果たしてどのような関係にあったのか。強烈な個性を放った二人が、連携から確執、対立へと至る過程を詳述する。
連携から追放、包囲網へ
谷口克広 著
各地を流浪した足利義昭は、一五六八年、織田信長に奉じられて上洛し、宿願の将軍職に就いた。長らく傀儡にすぎないとされてきた義昭だが、近年では将軍として行使した政治力が注目されている。京都から追放された後でさえ、信長に対抗できる実力を保持していた、とする説もある。上洛後の信長と義昭は果たしてどのような関係にあったのか。強烈な個性を放った二人が、連携から確執、対立へと至る過程を詳述する。
稲葉小僧成る人物、実在していたか否かご存知ですか。答えは こちら・・・・・
重賢公の御代、長崎御留守居・御用人などをつとめた上羽蔀という人物があった。何が原因であるか御用人の砌御咎を受け差除けられた。
この蔀が御取次組脇を勤めていた頃、江戸龍口邸にこの稲葉小僧が押し入っている。
御道具等盗み取られ、ようやく夜が明けてその事を知ったが、御用人から急に蔀に出勤を申し渡され袴の紐を結び/\出て何事と聞きあわせると、これこれと説明があった。蔀は「御門留御達有りけるや」と申すと、夫よりあわてて「御門留」の達しがでたという。皆々気が動転している中、蔀の適切な言が書きとめられている。(残疑物語)
この人、致仕後に酒井烏鼠と名を改め、その言行が「肥後先哲偉蹟 正・続」に記載されている。