津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■余呉湖周辺

2014-08-13 13:35:59 | 徒然

 火野正平が視聴者の思い出の地を輪行で旅するNHKの番組「にっぽん縦断 こころ旅」が大好きでよく見ている。
一週間ほど前再放送だと思うが、滋賀県の余呉湖が登場した。賤ヶ岳も近く興味深々で見ていたのだが、賤ヶ岳の方はあまり登場せずに残念であった。

処で7月17日直木賞を受賞した黒川博行の会見の模様がTVで放映された。直木賞には五回ノミネートされて六回目で晴れての栄冠であったが、私は第4回サントリーミステリー大賞受賞を受賞した「キャッツアイころがった」をむさぼり読んだ時期がある。ミステリー小説にのめり込んでいた。
この作品も「余呉湖」が事件の舞台となっていたなーと思い出した。読み返してみようと本棚をひっくり返すが、これが見つからない。
引っ越しの時にでも処分したのだろう。ブックオフにでも出かけようとも思うが、「賤ヶ岳」関係の本もついでに探してみようかと思っている。 

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■難問三件

2014-08-13 11:36:53 | 歴史

 最近ご返事しがたい難問が三件ほどつづき、資料もなく困惑している。

    1、細川藩三家老の有吉家の五代・英貴夫人は三渕右馬助好重(幽齋実弟)女・古屋姫(霊樹院)で、忠興の養女として英貴に嫁いだ。
      この古屋姫については豊臣秀頼の姫君だとする伝承が残っている。その真実は有吉家でも闇の中で有るようだが・・・・

    2、櫻田門外で水戸浪士によって暗殺された井伊直弼、その苛酷な勤皇の志士弾圧に手を貸した長野主膳、この人に付いても熊本出身だとする
      申し伝えが残っている。その真実の程は・・・・・・

    3、万延元年細川韶邦は襲封後はじめてお国入りするが、その状況を画した絵図が鶴崎の剣神社に残されており、WEB上でも公開されている。
               http://www.ab.auone-net.jp/~xe2918/ezu/img/all.html
      これに随伴する主たる家臣たちが、その家紋から判らないかとのお尋ねである。以前一度チャレンジしたが挫折してしまった。
      この絵図にある書き込みを含め、どなたか調べられた方は居られないだろうか? 

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■「拾集物語」を読む (十八) 元禄

2014-08-13 07:49:05 | 史料

                               一、元禄改元つちのへ辰の年
                                 此の年之春熊本坪井に火事 此の年之正月犬馬哀
                                 可申のむね捨馬仕間敷旨従公方様被仰出候寺社中
                                 に木倉御惣庄屋所へ御郡奉行御出被仰渡候猪鹿之
                                 類までもころし申間敷旨被仰渡候 此の年正月六
                                 日之夜には鳥ぬす人あり 此の年より法楽醫致
                                 候

                               一、同二つちのと巳の年
                                 此年熊本せんだんばたに火事出来致候 此年七月
                                 大水 此年甲佐御やなばの御茶屋御とき被成候
                                 此年よりひもの新はぬり又は樽などもあたらしき
                                 をかけながしに仕間敷候つけ木もすゝきたけの皮
                                 などにて仕候様に偖又きぐ色々御法度被仰出候
                                 此年よりのり物のぼうはゞせまく仕候へと従公方
                                 様被仰出候而はゞせまくなり候 此年田口わた内
                                 のともつく 此年舟津河原ともつくめうと岩の向
                                 ふ

                               一、同三かのへむまの年
                                 此年之三月十七日妙解院殿様御五十年忌御法事
                                 妙解寺にて被遊御執行候 此年より津志田村田口
                                 村のいでめうと岩より井手口に成る 此年なをな
                                 を捨馬仕間敷候けが馬の事かたく従公方様被仰出
                                 候 此年之春きゝん 此年より捨子仕間敷旨従天
                                 下様被仰出候 此去今より山林きりはらひの田畑
                                 成る多し 此年宮島宮跡願之通に被仰付運上銀上
                                 納致候

                               一、同四かのとの未の年
                                 此年之二月熊本坪井大火事 此年より坪井ひろ小
                                 路になる 此の年より御國中そこ爰の道廣く被仰
                                 付候 此の年はしかにて小兒共多く死す 此年有
                                 安村前大川の石かきよりをちいのしゝをち候て死
                                 候を公義へ申上候へは御横目被遣つちを三尺うが
                                 ち其猪御うつめ被成候 此年阿蘇のけふり前代未
                                 聞にあれさせられ候 五月日あそ中やみとなりひ
                                 るたいまつをともす此年高野山衆徒行者出入落着
                                  従 天下様被 仰付行者中數寺遠流罪 此年當
                                 所の山木従 公義太分剪賣被成候 此年へばのさ
                                 ふた糸田村わきになをる

                               一、同五みつのへ申の年
                                 此の年藤崎御靈屋御修理御結構にあそはされ候
                                 此の年之四月八日に二夜三日嚴有院様之御法事藤
                                 崎御位牌所にて被遊御執行候 此の年公方様之御
                                 祈祷寺ちそくいんの御火事番太守様へ従公方様被
                                 仰付被遊御勤行候 去今年より山田の井出糸田村
                                 わきにさぶたなをり當年より水かゝる 此の年よ
                                 りすりの玉ぎわ道すだり糸田より井手につきたる
                                 とも大道になる 右の井手又は道の見立御普請奉
                                 行志水清右衛門是迄にかぎらずそこ爰に彼仁見立
                                 被申候 此の年之十月五日の夜西より東へ白気立
                                 つ 

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