或方から幽齋公の「田邊城籠城」に係る古文書の原本をupしてほしいとのリクエストをいただいた。古文書解読の勉強をしたいとの事であった。
そこで今般「北村甚太郎覚書」を毎日1頁づつUPし、後日釈文をとりあげたいと思う。史料は上妻文庫の書写本である。
或方から幽齋公の「田邊城籠城」に係る古文書の原本をupしてほしいとのリクエストをいただいた。古文書解読の勉強をしたいとの事であった。
そこで今般「北村甚太郎覚書」を毎日1頁づつUPし、後日釈文をとりあげたいと思う。史料は上妻文庫の書写本である。
尾藤家先祖附 右浪人之時妻子
京都江差越申候節家頼之中武功之侍林□□(半助カ)
附申候由■中自然事も■無油断可相心得旨申附
其節左衛門尉ゟ刀一腰黄金取出右半助と申候此刀ハ
左衛門尉讃岐拝領之為嘉儀蒲生飛騨守殿ゟ被遣候
飛騨守殿其節被申候は伊勢一国ニ換間敷刀ニ而候へ共
此節譲申候由津之一國と名付致所持候由ニ而御座候右半助は
讃岐ニ而貮千石知行仕候御家之林孫兵衛先祖ニ而
御座候故孫兵衛方江右一國と申刀今以所持可仕候右
刀本先祖刀ニ付先年私家ニ返可申と其節
孫兵衛隠居仕請入致挨拶候得共由緒有之林家
持傳候条此方江は申受間敷旨金左衛門(二代目)致
返答候
林家記 尾藤殿牢人ニテ京都
□越屋ト云モノ所ニ忍テヲハシマシテ何方ヘソ身ヲ隠シ
有ヘシトテ内室御息女男子ハ嫡子宗二郎殿後ニ宗左衛門殿
二男は正介殿後ニ金左衛門殿宗次郎殿八歳ノ時ノ事也 美濃
ノ金山ニ森右近殿五万石ニテ御入候 此家老細野左兵衛と云ハ
御内室兄也 此処へ可遣ニ相究半介ヲ呼其方ヲ頼之妻
子ヲ金山へ遣度思フ明朝其方ツレテ行左兵衛ニ可相渡於
路次トガメラレハ以此刀女房共ヲ先害シ隙有ラハ両人ノ男子
ヲ殺シ其後ハ成次第ニ可仕此刀ハ當夏讃州拝領之時蒲生
飛騨守殿サシ来ラレ今度自方々名作ノ刀ハかゝにサレ共此刀
程ノ柄物稀ナルヘシ■蔵ニ存伊勢一国ニモカへマシキト云ノ
イケンニテ一国ト名ヲ付ル 新身ナレ共トテクレラレタル刀也 此刀
ト黄金六枚取出シ是ヲ呉右武尋被見候へ日比此金貯は持候ナラ
ハ今度ハ何方カラモヨルマシ一両日之内ニ何茂ヨリクレラレタリ
此金ニテハ三五年流浪イタス共叓闕事有マシト被仰候