昨日、今日と今の時刻蜩(ひぐらし)が鳴きはじめました。かなかな蝉ともいいますが、本当にそんな風に鳴きますねー・・・・。
私が大好きな久保田万太郎の句に、 ひぐらしに燈火はやき一ト間かな が有りますが、本当にうまいですよねー。
そして「ひぐらし」が季語としては初秋に入っていることを思わせる風情ですよねー。
今年は8月7日が立秋、九州は台風接近の中立秋を迎えそうです。
此年(寛文九年)之六月十
八日大洪水みどり川向ふは麻生原村山ぎわ此方は
早川村の各屋敷際に水ゆきあふ糸田村ながれんと
せしむ善左衛門と申者の釜ながるゝに浮てまふて
流れ候上豊内村より白岩迄の間に大塘七ケ所きれ
候高田の大塘きれて中の瀬一つに成候人馬多死
候岩下村中を大川の様に水ながれとをる 此年御
普請奉行井上新之允殿松尾猪之助殿いつれも御鐵
炮頭衆にて候百年に初ての大水 此年之六月熊之
庄町宗閑と云町人之小者河童とすまうをとる 此
年當村西福寺に高僧太師眞宗之開山上人之御影來
入御 此年之八月十一日より十二日迄北東之大風
十二日の晩大洪水右六月之大水にひとし 此年之
十月上旬より犬塚の杉の本の池血色に成る寛永
八年にも如此に候と老人申候 此年八九十月大日
でり 此年十月四日に以之外なる大つじまき 此
年之十月 太守様従江戸被遊御着座候 御着座以
後此年大分御家侍衆に御いとま被遣候浅山次郎左
衛門殿達右之通にて其御類衆おほし 此年長岡左
近殿御閉塞く 此年田畑之作わろし
熊本日日新聞のシリーズ「わたしを語る」は、現在肥後考古学会 会長・富田紘一氏のお話が続いている。先生は考古学が専門でスタートされているが、今では「熊本城博士」とでもいうべき方である。上の写真は今日の新聞に掲載されたものを引用させていただいたが、熊本の城下町はまだこの様には整備されていないが白川の流路を合成したものである。白川はこの様に大きく蛇行していた。そして坪井川が白川に流れ込んでいたことが判るが、白川はショートカットして直線化し、御城下の流れは坪井川となって現在のように整備されていった。熊本城の石垣の石はまだ白川が大きく蛇行していた頃水運によって運び込まれたものだと言われる。富田先生の御説は慶宅坂がその名残で有ろうと仰っているが、そんなことを思いながら熊本城を散策してみるっと一段と面白いだろう。