津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■資料水損

2014-08-06 17:48:45 | 徒然

 所用で外出し帰宅の途中猛烈な雨に遭遇、帰宅してみると私の部屋の窓が少々開いていて雨が打ち込んでいる。
風通しの為にとおもって明けておいたのが仇になった。その窓が開いていた所に資料が並んでいたのだが、背の部分が水浸しである。
本などは膨れ上がっている。床も水浸しでコピーの山が無残な姿になっている。仕方がない捨てようかと眺めていると、なんとも捨てがたい。
一枚一枚はがしてタオルで拭いて後始末が大変である。それにしてもすごい降りだった。台風は直進してくるようだし今週いっぱいは水難の相である。 

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■「旦夕覺書」 鳥--13

2014-08-06 07:09:50 | 史料

「旦夕覚覺書」鳥--12

右之通彦太夫に申候は頓て拙者も江戸に参候 大學も定て此方へ可参候 江戸にての様躰見可被申候 總躰備前はかりにてもなく能風と承候は古風にて候 何國も同前にて候 國々にては随分勘略仕衣類も江戸にて着可仕と日本國の侍とも可存候 御國にても在宅者熊本へ出候へは下々迄月代すり衣類もあらため申候 然るに唯今見候へは御國に御座被成候時に熊本中の衣類馬廻り立派にて江戸に参候とて又借銀才覺或は願上申誰か耻處誰に見せ度存候哉扨も/\口惜事にて候 貴殿は小身にても 殿様に對し當分は此方大名家もくらへ見候へ池田より 細川は高く候されとも大學は能 殿様御懇の筋目にて能可存候 熊本の風も見不申候共大形察し申多分貴殿の家来も多く衣類もりつはと聞態と右の躰にて参候 大學心には扨々おか敷不断の躰にて少もさわく心なく越中殿は度々御目見いたし旦那と心安御咄承候又江戸御供に参候 家老用人とも大形存候と萬事心をくはり不申事早衣類にて知申候 熊本にてたとへは薩摩殿より御使者御門類にても小倉より御使者と申候へはうろたへまはり夫々に末々は尚以他國をしらぬ御國にて生れたる者斗にて御國にての大名出頭に恐れ廻る心故他國の使者と申せはわらへ女の鬼の面を見恐れ廻る心に少も替り不申と申候へは彦太夫又わる口を申と笑ひ申候 扨江戸にて大學着の刻小屋へ誰か小姓組被遣候致失念候 其人の咄に先座敷へ通候へは兒小姓壹人其儘茶を持出申候 壹人たはこ盆持出申候 前髪有之子供両人共に茶宇の袴随分きれいなる様子其外の事共は失念申候 此方へ多分今日可参とて御取次に被仰付候は大學参候はゝ直に御座敷へ通し候へとの事にて何も心掛居申處に小姓壹人召連参候故御使者と存候に付使者間に通候處に大學と申候ゆゑ気もつぶし先是へと申候へ共六ヶ敷存候哉いや是にて御禮はかりに参上仕候とて申置候て扨御門外に様子見せに御玄関番遣候へは乗物右馬にて小姓共大勢召連候 定て壱人はいり刀をもたせ申者は定て小知も取申者と存候 其後伊豫様コチ院を御預火事の時分御歸候を折節柳澤出羽殿に御供に参り御門前にて見申候 伊豫様は無数の黒らしや御羽織御手綱は紫縮緬長手綱にて随分静に御通り二三十間御跡より大學は柿の布三尺手拭にて鉢巻仕五寸はかりの馬にのり伊豫様におとり申さぬ程人數連申候 法師両人ちゃせん髪のことく一束髪と申か他家の茶道多くは右の通と承候 推量に壹人は本道壹人は外科と存候 是にて外の人數察可被申候 彦太夫に又咄申候右の様子見申候 如斯可仕ため國元にて貴殿御出の時分もさわき不申候 不断の衣類にて貴殿を何とも不存候事知れ申候 江戸大場にて主人におとらぬ躰日本の見る所をはれと常々在る心顕れ申候 其後承り候へは致病(ママ)死十七人の義士御預の時大石内蔵助被申候は池田伊賀と申候と覺候拙者覺書に具に書置たると存候先祖は出羽と申池田家嫡家此方にて長岡内膳殿のことく成ものにて候長久手勝人公御嫡紀伊守殿御父子打死にて御二男輝政公是も右の書に可有之候出羽成人被致蜂須賀岸菴の聟に成被申候 岸菴の御子阿波守様 妙解院様の御相聟其筋目故唯今も定て伊賀御出入可被仕候 大石内蔵助一巻の書物けいつにも見へ申候 拙者へ伊賀は御出入を仕かと尋被申候時成程代々水船を下津井牛窓邊に被出候此方より小姓組と申知行取候者共禮に使者を遣被申候とはかり返答仕候 其時に御家中に上月名字の御侍衆御座候哉と内蔵助尋被申候時いかにも前かと福島左衛門太夫殿代に城代勤居申上月文右衛門只今の 越中守親 肥後守代に五千石にて召出果候刻知行わけ遣申度願を仕候故四人の子供にわけ遣申候 其内三男八右衛門と申私の親屋敷近所にて能存候 是も果申候其子唯今番頭に申付候 八右衛門兄三左衛門は牢人にて京都に居申娘を備前に遣候様に八右衛門咄承候かと覺申候と咄申候へは扨々委細御存被成候其三左衛門娘は申さは私為には祖母分にも御座候へとも此腹には子は無御座候と被申候 具に覺書に書置候前かと潮田又之丞被申候内蔵助申候松平伊豫様御家来池田出羽子供御出入候様に承り候 于今出入仕候哉御尋申せと内蔵助申由被申候故いかにも只今の 越中守祖父 越中代に肥後國拝領仕候故領地豊後の内鶴崎と申處より致参勤候刻致出船候必下津井牛窓にて水船を馳走に出被申候當 越中守入國の時分よりもむかしのことく唯今も其通とあらまし咄置候 右の段々のわけ内蔵助は委細被存尋申候と心付候へとも返答には存たry譯は不申右の通内蔵助にも申候   ( p179~181 )

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