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ある村の幕末・明治《「長野内匠日記」でたどる75年》 |
弦書房 |
文明の風は娑婆を滅ぼすー村の現実を克明に記した日記から見えてくる《近代》の意味。幕末期から明治初期へ時代が大きく変転していく中で、小さな村の人々は西洋からの「近代化」の波をどのように受けとめたか。文化10年(1813)~明治20年(1887)、驚異的な行動力と筆力で、村の日常、事件、災害、人の往来、小倉戦争、西南戦争、阿蘇一揆などを克明に記録した膨大な日記から浮かびあがる当時の村の素顔。
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ある村の幕末・明治《「長野内匠日記」でたどる75年》 |
弦書房 |
文明の風は娑婆を滅ぼすー村の現実を克明に記した日記から見えてくる《近代》の意味。幕末期から明治初期へ時代が大きく変転していく中で、小さな村の人々は西洋からの「近代化」の波をどのように受けとめたか。文化10年(1813)~明治20年(1887)、驚異的な行動力と筆力で、村の日常、事件、災害、人の往来、小倉戦争、西南戦争、阿蘇一揆などを克明に記録した膨大な日記から浮かびあがる当時の村の素顔。
一昨日UPしました原文の写真が不鮮明でしたので、今朝ほど差し替えました。お詫びいたします。
たり
居申候時尓赤松左兵衛陳の内より母衣武者一騎馳出大
手のの馬場口へ乗廻し働申候ハか様一ふし可有之事と
城中各覚悟いたし候処左尓てハなく堀溝尓かゞミ引兼た
井門龜右衛門ハ 累ものとも越引取可申との儀と見へ馬上尓さいを持振廻シ
赤松左兵衛の
家来別所刑 /\味かた越招き馬を乗廻し輪順逆尓乗りて皆を志づ
部左衛門か物頭
と井戸家記 か尓引取申候 殊之外見事成婦りなり母衣は白赤横尓段々
にあり
筋なり母衣のだしハ同色三ッはご間尓蛇の目阿り馬の
毛は鹿毛とも栗毛とも見へ申候 城中より祢らひ鉄炮
阿また打懸候へとも運強く候那程遠く候ゆへか終尓
たつね
當り不申候此仁乃事後尓能承候へバ赤松左兵衛物頭井門
亀右衛門と申者なり有無尓其日ひら責つ婦さんと敵たく
むと見へ申候へとも城中堅固尓して鉄炮稠敷打射殺申
尓付乗取申事不成敵引取其日ハ暮尓及ひ申候其日乃
晩尓敵の首二ッ上り申候 幽斎公御覧被遊御祝着被成候一ッハ 申
搦手より久我右近右衛門甲付久我太郎助と云もの尓取を差上
申候一ッハ大手尓て北村甚太郎申候ハ加ら免手より首上りたる イ妙庵公
よし承り候 私首取候て上ヶ可申と御門外へ走り出申候ヘハ御
聞付被成甚太郎儀度々の働己尓先刻打倒し候事見届
申候なり然上ハ無用の儀なり大切尓被思召候間自余の
者尓可申付と被仰下尓付大塚源次家来岡本源内と
いふもの尓申付とらせ上申候城中尓は手負死人壱人も
無之候敵は阿また打殺申候手負も多く可有之との城
中沙汰之事
傳ニ曰右の井門亀右衛門ハ赤松左兵衛尓て知行三百石
鉄炮廿挺頭の由此場尓乗候馬ハ青毛母衣は赤き由
関ヶ原御陳以後