射抜玉
尓てハ竹束通り申さぬと見へ申候と存いぬき玉をこしらへ
分別して勘四郎・松田忠右衛門を以 幽斎公江懸御目候へ
則
は殊之外御感被成何連もへ相渡し打を候へと被仰付候間勘四郎
配り を へ
忠右衛門玉くばりなれは渡被申様子遣ひ打をかへハ其後ハ輙
く寄候事の不仕候 此儀松田忠右衛門・竹原庄左衛門なと存生尓て
候間可被存か後尓竹把裏尓死人多く有之りて何とも
不成のよし井門亀右衛門被召抱候て物語尓て聞申候其後
豊前尓ても度々此物語被仕候城中尓て赤き装束ハ甚ン
太郎尓て有之候 又白赤の段々の母衣武者ハ其後亀右衛門尓て
有之候ひつるかかくのことく城より祢らひ鉄炮打懸候へとも
當り不申と申候へハいや當らぬ尓てもなく候甲の立物又母衣
の出し母衣尓も少し玉の當りたる跡有之つると語り申
され候事
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一、右のことく竹把尓ても寄兼申候故か八月中頃まてハ責申事
もなし 八月中頃より東西尓大石火矢を志かけ申候西の方石
火矢ハ本町筋中程より松山権兵衛預り申大草矢倉と申
是
矢倉尓當て仕懸申候 西ハ小野木縫殿介大将分尓て肝
煎打申候後ハ矢倉越打破申候東乃方の石火矢ハ二ッ橋と
云橋の少城の方尓當て仕懸申候是ハ諸勢替る替る打申候と
見へ申候差物かゆれるのを見て城中合点仕用心仕候
本ノママ そと 本ノママ
是ハ矢ことく矢倉と申へ當て仕懸申候数度打申候へとも皆
候て
越し只一ッ中り塀を幾重も打貫後の塀扣柱尓當候て
玉留り申候其玉重さ三百目有之由之事
一本コレヲ見出シトセルアリ
一、寄手の陳所乃次第人数壱萬五千余騎なり城より西
の方にとひとりと云山は高き山なり城より三拾町余
有之是ハ小野木縫殿介陳取れり