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ィそ聞へける 亮
人数大積り一萬五千余騎と申候大将分ハ小野木縫殿之助
石川備後守谷出羽守川勝右兵衛藤懸三河長谷川
鍋高田河内毛利勘八早川主馬中川修理竹中源助杉原
伯耆別所豊前小出大和赤松左兵衛山崎左馬木下右衛門
源仁法印生駒雅楽御使番二頭右合二十頭身躰相應
乃人数引連引連追々尓責来り山巌尓陣取被申候事
一、七月廿日尓最早敵大勢尓て國境まて乱入嶺をつたひ廿
一日尓は田邊の城近き山嶺へ昇を差上申候石川備後谷出
羽川勝右兵衛此衆先勢之城よ里半道斗在々所々を
キビ
敵焼拂ひ鉄炮稠敷打申候城中より足軽を出し被申大将
ィ与・本ノ侭
尓は三戸屋四兵衛佐方吉右衛門同■左衛門山本三郎右衛門此衆
鼻
福井と云山ばなまて出張し下知被仕候敵合五町斗
射手 ィ善
有之鉄炮のいて遠もの打尓は日置吾兵衛上林助兵衛
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北村甚太郎同勘三郎加藤新助なり三戸屋四兵衛なと被居
候処より我等ともハ二町斗進ミ鉄炮打働申候山本
三郎右衛門は馬尓て我等とも居申候処まて被参働き申候
此方より鉄炮稠敷打申候尓付福井の本村へハ敵入不
申候三郎右衛門立物金の一枚紙向尓立能見へ申候故か敵の
方より三郎右衛門尓鉄炮多く打懸申候坂井半助大
野弥十郎ハ船尓て福井の濱へ押出し大筒打申候敵は
四町斗有之然処尓半助家来足尓敵の鉄炮當り申候此由
猪
幽斎公被聞召御使として千家七蔵藤木伊右衛門被下所詮
遠所へ罷出防き申候事不可然被思召候間早々引取可申由
三戸屋四兵衛方まて被仰下候故船も陸も皆引申候又
其日南大手の方二十四五丁先尓九文明と申在所有之
彼所へ赤松左兵衛山崎左馬小出大和此衆の人数付母衣