1995年初版の「貧農史観を見直す」という本がある。BOOKデータは「むしろ旗を立てて一揆を繰り返す“貧しき農民たち”は事実か。年貢率、生産力のデータを検証し、江戸期の「農民貧窮史観」を覆す。」と紹介している。
熊本に於いてはこの著に応じるように、蓑田勝彦氏が「天保期 熊本藩農村の経済力 --生産力は200万石以上、貢租はその1/4--」を発表された。
文化・文政期になると農民も豊かになり多くの地域で目鑑橋が建造されるようになる。谷に阻まれた土地に導水する通潤橋などは今もって利用される熊本がほこる土木遺産である。藩の能吏・上妻半右衛門や真野源之進の元で、布田保之助らの活躍で完成したものだが、「マンパワーで出来た通潤橋」の筆者・石井清喜氏は、「この通潤橋が出来た嘉永七年(1854)が熊本における明治維新のスタート」だと喝破しておられる。
又、有明海や八代海沿岸その他の干拓も目覚ましく水田面積の約3割がこれによってもたらされている。
細川氏の肥後入国から幕末維新までを、実高75万石ほどで押しなべて議論するには大変無理がある。蓑田氏の「生産力は200万石以上」に応ずる論考をまだ見ることが出来ない。
文久四年(二月廿日改元・元治元年--1861)二月、長崎に赴くために豊前佐賀関から鶴崎・野津原・阿蘇を通って熊本入りした勝海舟・坂本龍馬らは豊かな熊本の地を目の当たりにして日誌にその感慨を記している。通潤橋をさすと思われる知識も十分にお持ちである。
■十五日 五時
豊前、佐賀関、着船。即ち徳応寺へ止宿。
地役人、水夫、火焚へ酒代遣わす。惣計五両一分。
■十六日 豊後鶴崎の本陣へ宿す。佐賀の関より五里。此地、街市、可なり。
市は白滝川に沿う。山川水清し、川口浅し。
大御代はゆたかなりけり旅枕一夜の夢を千代の鶴さき
■十七日 野津原に宿す。五里、山の麓にて、人家可ならず、八幡川あり。
大抵一里半ばかり、川堤に沿うて路あり。
海道広く、田畑厚肥、桃菜花盛、関東の三月頃の季節なり。
民のかまどゆたけきものをしらぬいのつくし生てう(おうちょう)野津原のさと
野津原の宿より出ずれば、山路。この道、久住山を左に見る。
往時、この宿の村長三輔なる者、山中より水源を引き、三渠を引く。
これより古田二十余町、新田三丁余町を得たりと、その事業を記し碑あり。
七里。
豊後佐賀の関五里泊。
港せまし。上下二所あり、入口、上の口暗礁あり。山脚に沿うて入るべし、中央危し。
■十八日 久住に宿る。細川矦の旅邸。惣体、葺屋、素朴、花美の風なく、庭中泉を引き、
末、田野に流る。七里地は、久住の山脚にして、殆ど高崇、地味可なり。
山泉を引きて左右に導く。小流甚だ多く、架する橋は皆石橋、円形に畳み、橋
杭なし。導泉、意を用いて左右数所。林木これが為に繁茂し、稲、栗、皆実る
べし。その高名、尽力の至る処殊に感ずべく、英主あらざれば、この挙興しが
たかるべし。他領、公田の雑る所、熊領に及ばず。また聞く、この地の南方、導
泉の功、この地の比にあらず。或いは山底を貫き、高く噴出せしめ、或いは底な
しの深谷に帰さしめ、皆田畑の用に応ぜしむと。
山上より阿蘇嶽を見る。この嶽に並び立ちたる高峯あり。猫が嶽と云う。
人跡到らず。山の頂上、大石、剣の如く成るもの直立す。妙義山に比すれば、更
に一層の奇峯なり。
■十九日 八里
内の牧に宿す。この地もまた山中、山泉自由なり。
惣て鶴崎より此地まで、土地厚■、熊領は大材甚だ多し。此地より街道杉並樹、
数十年の大林、左右に繁茂す。我、此地を過ぎて、領主の田野に意を用いしこ
と、格別なるに歎服す。また人民、熊本領にして素朴、他国の比にあらず。
内の牧より二里、的石村あり。爰に領主小休の亭あり。素質、底は山泉一面に
流る。夏に宣し。北に北山あり、南に阿蘇あり。阿蘇の脚甚だ広く、田野あり。
また一里半にして二重の峠あり。甚だ高く、峠の道十八、九町、最難所、路、山
の脚、殆ど頂上をめぐる。
峠を下り少々行けば、大石直立、大斧壁をなせし所あり。侘立十丈ばかり、横
また同断。路を挟みて左右に直立す。これを過ぐれば大杉、山脚に並し、山腹
鬱として殆ど唐画と一況。
大津宿に到る。五里。大津宿より、熊城下までは少低の路、左右大杉の並樹、
この中、桜の大樹十四、五丁の並樹あり。道中甚だ広し。熊城を路二里より望む。
天守孤立、築制他城の比にあらず。外周最大なり。武士屋敷、その中にあり。
郭畳高く、堅牢おもうべし。
熊城下新町の本陣に宿す。矦より十文字の鑓刃を賜う。我が門の藩士、数人来訪。
横井先生へ龍馬子を遣る。
■二十日 (元治と改元、海舟がこのことを知るのは三月九日長崎に於いてである)
■二十一日 新町出立、馬にて高橋宿に到る。同所より乗船。此夜、島原へ渡る。此地、小川
あり。小船にて川口へ下る、半里。
高橋の郡奉行岩崎物部に面会。志士なりと云う。
■二十二日 払暁、島原へ着船。
(帰路は略す)