三斎様豊前御拝領被成慶長六年九月亀右衛門儀
被召出千石被下御鉄炮三拾挺御預ヶ被成候其後
忠利公肥後御拝領熊本御打入之刻御先乗被仰付御
鉄炮五拾挺御預ヶ居屋敷見立重申働被仰付高麗門
の前尓て拝領仕度由其柳屋敷支配奥村権左衛門方迄
願如届ニ被仰付候由御先乗の相役ハ寺尾左助と承候
熊本御着座大手御門尓御入被遊候後亀右衛門組乃
御鉄炮道中切火縄尓て参りを御城尓御入被遊候と
其侭一同尓打放させ申候由承及申候亀右衛門ハ隠連
な起者尓て色々武功多く咄有之仁尓て御座候事
礼々略之
一、明る廿六日より何の沙汰もなく竹束尓て付寄昼夜情を
入申尓付城中少しも無油断鉄炮津るべは那し申候殊尓夜の
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付
竹把情を出し付寄申尓もさる火を出し阿やしき所へハ鉄炮を
打懸申候 関東へ歴々被召連候ゆへ稲留鉄炮の弟子四人ならでハ
城中尓無之候 大野弥十郎・篠山五右衛門・村野庄助・北村甚太郎
なり 此外町遠物なと打候もの無之候 夫尓ついて
幽斎公より大野宗順・松田忠右衛門を以被仰出候ハ城中尓居
申候鉄炮初心の者共尓ハ能々教へ打せ候いか様大事なり共
今度の儀尓候間随分おしへ可申旨北村甚太郎へ被仰付候
の旨申渡され候条
間被申付候 奉得其意城中を走り廻り其大筒尓ハ薬何程
こみ何丁尓てハ何と見て放候へと打て見せ玉行合点いた
佐 左衛門
させ申候 右之様子松山権兵衛佐方宗順同与三左衛門少納言
て候 与九ハ
存生尓候間御聞可被成候然とも敵方猛勢尓て夜昼軍役
り
尓て夜ハ何間昼は何間寄候へと間積尓仕候と見へ候て
はや堀際間近く竹把仕寄申候 我等存候ハ兎角常の玉