先に■江戸・熊本川尻間14日の行軍を書いた。忠利は十八日に伏見に着いているが、そのことは京都に在る三斎へは先立って連絡が入っていた。三斎は伏見まで出て出迎えるつもりであったが間に合わなかった。伏見へ急ぐ途中気分が悪くなったらしい。
先を急ぐ忠利は三斎に逢わぬまま先を急いだ。三斎は長岡(村上)河内・佐方与左衛門を大阪まで急がせて「原城攻之事ニ付而思召之趣」を届けている。
忠利は十九日に大阪を出船しているが、その直前である。
一書、中務殿(立允)嶋原江御越被成候時、京の吉田より三斎公仰遣けるハ、三斎を三斎といはせう共又鉢開坊主といはせふ共、其方心次第也と有
しか、かく云遣ならハ討死をするにて有へしと被仰て、さしもの猛き御心なれ共、御声を揚て歎かせ給ひし也、其時休無様(忠隆)・萩原殿・兼従其外御
一門之御衆列座し給ひけるか、いつれも涙にむせはせ給ひしなり、此時ケ条書を被成て中務殿江被遣候ひしか、度々之事なれハ挟箱ニ二ツ程有しに、
寛文八年二月朔日の回録ニかヽりし事惜哉、又同時仕寄を付る竹の先に、四半をしこきて置のきさまに、紙をひろけてくるか、大将の業なりと被仰付と
云々、考ニ少いふかしく候間、猶又考候上、追而本文ニ直可申候
ミネルバ日本評伝選の最新版1月20日発売の福田千鶴氏著の「春日局 - 今日は火宅を遁れぬるかな」である。
出版社内容情報
三代将軍・徳川家光の生母は春日だったのか。一次史料から検証することで、一本筋の通ったぶれない生き方をした春日その人に迫る美濃の斎藤家に生まれ、母方の稲葉家の養女となる。戦国の動乱を経て開幕後、江戸城に上がり、三代将軍・徳川家光の乳母として出世。二代将軍徳川秀忠の正室・江の死後も女中として主君・家光に仕え、江戸時代を通じて続く大奥の基礎を築いた。本書は、一次史料と客観的事実関係からその生涯を検証し、家光の生母の謎に迫る。そして、一本筋の通ったぶれない生き方をした春日その人に迫る。
はしがき
第一章 稲葉福とその家族
1 斎藤家と稲葉家
2 稲葉正成との結婚と離婚
第二章 乳母から本丸表の局へ
1 将軍世嗣の乳母
2 江戸城本丸表の局
第三章 春日局の時代
1 表の局から春日局へ
2 将軍家の跡継ぎ問題
第四章 春日局の栄光と晩年
1 政治家としての春日
2 晩年の生活
主要参考文献
あとがき
春日局略年譜
人名・事項索引
福田 千鶴[フクダ チヅル]
2016年12月現在 九州大学基幹教育院人文社会科学部門教授