津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■津田小平次という人

2017-01-04 17:56:52 | オークション

                 徳川家康より丹後宰相(細川幽斎)へ今度上方…途中但馬一國…
                                                       (20,500円で落札、ちなみに私は応札して居りません。)

                 徳川家康より丹後宰相(細川幽斎)へ今度上方…途中但馬一國…
 
 ここにある丹後宰相は細川幽齋ではなく忠興公の事ですね。当然のことながら写しですが、実物は永青文庫が所蔵しています。
下にあるのが実物ですが、慶長五年(1600)八月十二日付ですから関ヶ原陳の一月ほど前の書状であり、丹後・丹波国を与えるとあります。
この書状を届けたのが金森法印と津田小平次ですが、小平次は細川家にとっては因縁深い人物です。この人は会津征伐・関ヶ原陳での働きにより、家康から「安国寺肩衝」を拝領しますが、後、細川忠興が妹(加賀)婿・木下右衛門太夫と謀ってこの茶入れを茶会の席で盗み取ったという話が残っています。

話は脚色されたものでしょうが、面白おかしく伝えられています。小平次は津田秀政のことです。
                           安国寺肩衝茶入の流転
 
                     徳川家康書状
 
                        

                        今度上方鉾楯
                        付而無ニ被迎合
                        候儀祝着存候
然者
                        丹後之儀者不及申候
                        但馬一国無異議

                        進置候 尚金森法印
                        津田小平次可被申候間

                        不能具候 恐々謹言
                         八月十二日
                             家康(花押)
                         丹後宰相殿

忠興は豊前を拝領、この書状の事は反故にされた訳ですが、その要因は井伊直政にあるといわれています。
井伊直政が懇意であった小野木公郷の助命を家康に強く進言していたことが受け入れられなかったことによるとされています。
小野木公郷は幽齋公が籠城した田邊城を攻撃した総大将です。

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■新年の二冊

2017-01-04 14:26:10 | 書籍・読書

武士に「もの言う」百姓たち―裁判でよむ江戸時代

武士に「もの言う」百姓たち―裁判でよむ江戸時代

内容説明

江戸時代の百姓は、武士に支配されるだけの「もの言わぬ民」ではなく、家を守り、村をよくするためには果敢に訴訟をおこした。それを裁く武士も、原告・被告の百姓が納得する判決を下さなければ、支配者としての権威を保てなかった。本書では、江戸時代の訴訟・裁判を概観しつつ、信濃国の松代藩真田家領内でおきた百姓の訴訟を取り上げ、騒動の始まりから判決までの全過程をつぶさに解説。百姓と武士の意外な関係を明らかにする。

目次

第1部 江戸時代の「訴訟と裁判」とは(江戸時代の法と裁判;刑罰の実態;名奉行の条件;非合法の訴訟―越訴;目安箱と村々の「法」;領地をめぐる村々の争い)
第2部 信濃国の松代藩真田家文書に残された百姓たちの騒動記―百姓たちが二派に分かれ激突。彼らは何を主張し、それを武士はどう裁いたか。
   (名主の選挙をめぐり、義兵衛派と弥惣八派が激突;武士による吟味と、弥惣八派の瓦解;明るみに出る、義兵衛派の村財政私物化;評定所での判決と、その後)

 

五人組と近世村落―連帯責任制の歴史 

五人組と近世村落―連帯責任制の歴史

内容説明

「連帯責任制」など、現代の日本社会にまでも強い影響を遺し、江戸時代の徳川幕府による農民支配の中核をなした「五人組」。その起源と成立過程、役割の変遷を現在に伝わる地方文書などを読み解きながら、実態に迫る。

目次

五人組成立以前の村落社会
五人組の起源
五人組に先行する十人組
五人組の成立
寛永期の五人組
幕府農政と五人組
五人組の編成
五人組は機能していたか
連帯責任制
村の生活と五人組
五人組はずし―組八分

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■「財津文書・野上文書」

2017-01-04 11:53:07 | 歴史

 12月30日に落札した「西国武士団関係史料集八 財津文書・野上文書」が昨日届いた。
財津氏は日田氏であり、野上氏は豊後清原氏だとされるが、二つの文書が一冊にまとめられているのは、野上氏の一人が財津氏に入ったことによる。
この文書によりニ家が豊後大友氏の没落に伴いその将来に大きな影響を受けたことが判る。
財津氏は細川家の庇護を得て後細川家臣となったが、野上氏は大友義統と行動を共にして一族は離散しているようだ。
細川家家臣にも野上家が二家あるが関係あるのかもしれない。

「細川家家臣略歴」をみると、財津氏は十一氏が見えともども明治に至っている。
「財津文書・野上文書」により十一家の流れが少し明らかになった。わが「新・細川藩侍帳」に反映させたいと思っている。
NHKの「ファミリーヒストリー・財津和夫氏」では、一族すべての関係が判る系図の存在が明らかにされていた。
少々NHKのお手伝いをしたことだから、今年の初夢としてNHKにお願いしてこの系図が手に入れられないかと思ったりしている。 

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