昨日相撲の神様熊本の吉田家について少々触れた。何しろ遠隔地であることがネックとなって、相撲協会が細川家での仮授与はできないかと申入れてきたとされる。
細川護立公の二女雅子様(伯爵・寺島宗従夫人)の御著「梅鉢草-思いつくまま」によると、昭和10年5月武蔵川が明治神宮奉納に際して事前に「仮に」でもということであったらしい。当然のことながら後には熊本へ出向いて吉田家から「本」免許を受けたのだろう。
これが慣例となり昭和22年の前田山迄続いたとされる。
記録によると7人の横綱が細川家で仮免状を受けていることが判る。
33 | 武蔵山 | 神奈川県 | 出羽海 | 1935年 5月 | 25歳 | 1939年 5月 | 29歳 | 8場所 |
34 | 男女ノ川 | 茨城県 | 高 砂 | 1936年 1月 | 32歳 | 1942年 3月 | 38歳 | 12場所 |
35 | 双葉山 | 大分県 | 双葉山 | 1937年 5月 | 25歳 | 1945年 9月 | 33歳 | 17場所 |
36 | 羽黒山 | 新潟県 | 立 浪 | 1941年 5月 | 26歳 | 1953年 9月 | 38歳 | 30場所 |
37 | 安芸ノ海 | 広島県 | 出羽海 | 1942年 5月 | 28歳 | 1946年 9月 | 32歳 | 8場所 |
38 | 照 国 | 秋田県 | 伊勢ヶ浜 | 1942年 5月 | 23歳 | 1953年 1月 | 34歳 | 25場所 |
39 | 前田山 | 愛媛県 | 高 砂 | 1947年 6月 | 33歳 | 1949年 9月 | 35歳 | 6場所 |
相撲協会の目の付け所には恐れ入るが、旧藩主家の御威光にも恐れ入るばかりである。