津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■久因幡との厚誼

2017-01-30 11:20:04 | 歴史

 「大日本近世史料・細川家史料25」を眺めていたら、寛永十六年正月二十九日付の久貝正俊宛書状が紹介されていた。
実は一週間前位のヤフオクに長岡監物に宛てた「久田幡・・・」という書状が出品されていたことを思い出した。
出品者は「久田幡」と読まれたようだが、これは「久因幡」すなわち久貝因幡守の間違いである。
自筆のかすれたような筆跡の花押が認めてあって印象に残っていた。

さて表記の書状は久貝正俊が正月六日に忠利に宛てた書状に対する返書である。忠利は熊本に在国している。天草島原の乱が決着して十一ヶ月といった時期である。
正俊は江戸における正月の御規式の模様を伝えている。その中で天草島原の乱で抜け駆けをして罪を得た鍋島勝茂らが赦免されたことや、土井利勝が殿中で中風を発して倒れたことを報じている。
どうやら継飛脚をつかっての早飛脚の書状であり、正俊の好意が伺えるし忠利との日頃の厚誼の程がうかがえる。
忠利はこの報を得て、土井利勝への早速の見舞いを手配している。

永青文庫に残る膨大な書状の数々は、日本の近世史研究の貴重な資料として知られるが、文面に現れる夫々の事柄に神経を払い、素早く適切に措置することが必要不可欠であった。
久貝正俊は大坂東町奉行まで務めた人物であるから、このような人物との厚誼も細川家にとっては大いなる財産であった。

今になって思うと、米田監物に宛てた「久因幡」の書状の内容が気になって仕方ないが、残念ながら人様の手に渡ってしまった。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぴえーる様からご連絡いただき、ヤフオクの過去のデータが見れることを教えていただきました。深く感謝いたします


        

 

  • 中厚紙・久田〇〇より長岡監物へ、花押有、読めず_画像1
  • 中厚紙・久田〇〇より長岡監物へ、花押有、読めず_画像3


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする