津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■閑話休題:文久三年「恕斎日録」を読むために

2020-07-06 12:55:47 | 徒然

 文久三年「恕斎日録」を読むために略系図を準備しました。当時の藩主は慶順(ヨシユキ)です。韶邦と名乗るのは慶応四年四月のことです。


           +----慶前

          |   ‖
          |   鳳台院(新田藩・細川利用女)
細川齊護      |   
   ‖  -----------+----勇(松平春嶽室)
益姫(顕光院   |   
          +-----慶順(韶邦)
          |   ‖
          |   一条峯
          |
                            +-----護久---------+----護全
          |        |
          |        +-----護立-----護貞-----護熙
          |
          +-----承烈(津軽藩主)
          |
          +-----護美

 文久三年早々に薩摩の島津斉彬の子女二人も熊本を通過して薩摩に帰国している。後に藩主夫人となる人である。
続く様に細川家では齊護室・顕光院(浅野益姫)と齊護の嫡男・慶前室鳳台院(新田藩細川利用女)が駕籠を連ねてお国入りをしている。
恕斎はその出迎えに奔走している様が、詳細に記述されている。その数日後には当主・慶順(後・韶邦)室・峯(一条氏)も続いて入国している。
恕斎日録は恕斎の個人的記録であるから平明に記述されているが、色々な苦労の様や、美々しい行列の模様、食事に対する細やかな配慮などが誠に細やかにこまやかで驚かされる。
前の年二年にはいわゆる「文久の改革」が発せられ、参勤交代の緩和や大名夫人・子女の帰国が認められた。
その措置を受けての三貴夫人が肥後入りした。それぞれが初めて目にされる「御国」である。
いわゆる女道中であるから沢山の御女中が連なっている。拝見する人々もさぞかし驚き目の保養をしたことであろう。

恕斎は一行の帰国の報を受け、わざわざ顕光院の出身である芸州浅野家に人を派遣して外聞(情報収集)をさせている。
浅野藩からいろいろ情報の提供を受けているが、後に判る事だが藩の体面上過大に伝えられたらしい。
恕斎のきめ細やかな気配りは、二人の夫人をはじめ随伴の御女中の万来の好感を得たようである。
デザートに「白玉」が供されているが、さしずめ今日の「タピオカ」といったところか、御女中衆は声をあげて感嘆したという。
お代わりを進めると、支払いのことが気になったらしいが、「殿様の御意であるからその心配はいらない」と伝えると、こぞってお代わりをしたという微笑ましい情景を伝えている。
始めてみる「御国」のこうした対応に、不安の気持ちは雲を払い美しい青空を見る思いであったろう。
これ等のことは、次回の「恕斎日録」でご紹介する。

恕斎の記録は当然のことながら自らが郡代として勤める範囲で記録されているが、以降の状況を知ることが出来ないのは残念である。

植木からお城下に入るどのあたりで御城の姿が見えたのだろうか。初めて見る大きな御城の姿が目に入ったときの感激や安心感で旅の最後の足取りも軽やかになったことであろう。
それぞれがどの御屋敷に入られたのか承知していない。
顕光院はのちに風光明媚な江津の御屋敷(現熊本県立図書館)へ、鳳台院は二本木の御屋敷にお入りになった。
時代が変わり、顕光院を尋ねて腹を痛めた娘・勇姫(松平春嶽夫人)が訪れている。

残念ながらこれらのことはあまり重大な事ととられられていないらしく、「熊本藩年表稿」には記載されていない。
私はこのような裏話が大好きなのだが、「恕斎さん、よく書いてくださいました」とお礼を申し上げたい。
これ等のことは、吉村豊雄氏著「幕末武家の時代相」で詳しく解説されている。ご一読をお勧めする。

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■細川小倉藩(283)寛永五年・日帳(四月廿日~廿一日)

2020-07-06 08:48:24 | 細川小倉藩

                      (寛永五年正四月)廿日~廿一日 

         |     
         |    廿日         
         |
戸川正安ノ飛脚ニ |一、戸川土佐殿ゟ之御飛脚ニ、銀子壱枚可遣旨、うさゟ被 仰下、則遣申候、 御返書も出申候、式
銀子給与     |  ア殿ゟ被成御渡候事、
松井興長知行ノ荒 |一、式ア殿ゟ助兵衛を以被仰聞候ハ、国東之内式ア殿御知行所小野・永松、荒高大分御座候、半分も
所半作モナク百姓 |  作り不申ニ、御年貢上納仕候ニ付、百生かしけはて、めいわく申候間、かやうの所ノなミも在之
迷惑ス      |  ハ、不及是非候、十郡ノ内ニかやうのれいも無之儀ニ候ハヽ、何とそ談合仕、百生続候様ニ、申
談合ヲ望ム    |                                       (加藤)   (栗野)
         |  付候様ニと被仰聞候、此方ゟ御返事申候ハ、十郡ニ左様ノ所在ノかと、せんさくを新兵衛・伝介
         |  両人被改候へと、申付置候、極次第、従是可申入由申候事、
         |                                          (鍋島勝茂)
京ヨリ誂ヘシ端午 |一、小早之御船頭河村喜左衛門、大坂ゟ下申候、京ゟ端午之御帷子単物下申候、但、 三斎様、なべ
ノ呉服下ル    |     (南条元信室、細川興秋女)
         |  しま様・御なへ殿・御かね殿へ被進之事呉服也、
         |          (筑紫重門室、細川幸隆女)  〃
         |             中村茂助は忠興を育てた中村新介夫婦(妻は乳母、この当時大局)の婿養子であり、坂根九右衛門(室・新介女)の嫡子である。
         |一、坂根九右衛門被申候ハ、中村茂助煩相究申由、申来候間、明日ゟ一夜帰ニ見廻ニ参度由、被申候
         |  間、一段可然候間、可被参由申渡候事、
         |
大坂城普請場ニテ |一、大坂御普請場ニ而、黒部儀太夫と西沢文右衛門与之蔵場九兵衛とけんくわ仕ニ付、右ノ九兵衛、
喧嘩セル鉄炮足軽 | (米田是季)   (志水元五)
ヲ下国入牢セシム |  監物・備前・伯耆・勘解由、此四人衆ゟ御下候、則式ア殿ゟ籠者被 仰付候事、但、御船頭河村
         |    (小笠原長元)   (長岡延之)
         |  哉右衛門乗せ下り申候也、
         |                     (弥兵衛)(景延)        (喜左衛門)
京ヨリ銀子六十貫 |一、右弥右衛門舟ニ銀子六十貫下候、但、京ゟ富嶋・宗像方ゟの送切手、金子へ渡候事、
下ル       |
相場書大坂ヨリ下 |一、そうはかきも大坂ゟ下候、是も右同人ニ渡ス、
ル        |

         |     
         |    廿一日         
         |
         |一、江戸ゟ竹内吉兵衛坂本伝兵衛・佐分利兵太夫与高村吉丞罷下候事、
江戸ヨリ音信物ノ |一、  右両人持下物数覚
覚        |
 丹羽長十進上ノ |     (長重)                              御鉄炮衆壱人、又御中間弐人
 馬牽下ル    |  一、丹羽五郎左衛門様ゟ被進の候御馬壱疋引下候ニ、為御奉行〇罷下候事、
         |  一、江戸御留守居衆ゟ言上之状文箱、大キしふかミ包弐つ、又壱つ、
         |  
         |  一、長舟十右衛門・貴田権内方へ、清田九一郎・町源右衛門ゟ之状壱包、則中津へ持せ遣候事、
         |    (細川光尚)
         |  一、御六様ゟ高田久馬方へ被遣 御書壱通、古庄次左衛門ニ持せ遣候事、
         |    (武次)
 鉄炮足軽江戸ニ |  一、牧丞太夫与榎本久右衛門・西沢文右衛門与林二郎左衛門・佐分利作左衛門与藤田惣左衛門・杉
 テノ銀借状ノ写 |               (正次)    神か
         |    山藤兵衛与大羽理介・芦田與兵衛与■西角左衛門・国友半右衛門与帆足十左衛門・谷忠兵衛与
         |    飯田七左衛門・井関久馬助与森角丞、右分江戸ニ而御銀借申との借状写一つ、
 鉄炮足軽借用切 |  一、佐分利兵太夫与高村吉丞・佐分利作左衛門与秋本彦太夫・竹内吉兵衛与坂本伝兵衛、右同前切
 手写      |    手写一つ、
 借状切手写ノ請 |    右ノ弐枚、森六左衛門ニ相渡シ申候、             森六左衛門(花押)
 取       |

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■肥後の手永と村(8)菊池郡

2020-07-06 06:27:58 | 史料

                                       熊本藩領・手永図

菊池郡

 1、河原手永(手永会所・隈府町のち正観寺町)
   ・隈府町(上町、中町、下町、横町、切明、向町、藪ノ内)・正観寺町(北原)・輪足村 ・築地村(御築有り)
   ・片倉村 ・赤星村 ・大塚村 ・広瀬古閑村 ・宮園村 ・夜間村 ・新古閑村 ・甲佐町村 ・広瀬村 ・木柑子村
   ・妙見村(平村、上古閑)・上妙見村 ・出田村(上古閑)・岩本村 ・伊萩村(松尾)・姫井村
   ・四丁分村(岩下、平山、麦野、中国、塚原、西谷、原持、桑原、小川、野中)
   ・下河原村(車石、中原、高宮、日向、中園、楠木平、山下、松嶋、嶋頭、神前、向神前、千田)
   ・原村(佐野、鎌倉、本村、細水、木佐野、瀬道寺、黒川、星野、戸田布、渡打、伊無田、永山、竹枝、柏、向柏)
   ・木庭村(中尾、平原)・大柿村 ・雪野村(北向)・伊倉村(古川、茂藤利)・平野村 ・市野瀬村(岩下)
   ・西迫間村(大坪)・生味村(里仁田、滝、伊良迫、道園、今峯、中嶋、篠倉)・上豊水村(百抱田)・今村
   ・東迫間村(上久保、大久保、中野瀬、向鶴、菅尾、粟田、平原、小畑、清水)

 2、深川手永(手永会所・袈裟尾村)
   ・袈裟尾村 ・玉祥寺村 ・高野瀬村 ・立石村 ・大林寺村 ・北宮村 ・深川村 ・林田村 ・西寺村
   ・野間口村(神木)・蟹穴村 ・辻村(南古閑、北古閑)・羽根木村 ・五海村 ・菰入村 ・西郷村 ・加恵村
   ・高田村 ・高嶋村 ・山崎村 ・水次村 ・荒牧村 ・流川村 ・辺田村 ・岡田村 ・瀬戸口村 ・水島村
   ・寺町村 ・龍徳村(酒蔵地)・宮原村 ・木野本分村 ・阿佐古村 ・池田村(東村)・大林寺 ・木山村
   ・道場村(観音寺)・米原村(宇田原)・稗方村 ・白木村(岩下・中村・幸野・陣内・下古閑)・寺小野村
   ・小楠野村 ・虎口村(市原、中片、桜原)・班蛇口村(中村、二ツ尾、中山、中須、穴川、鳳来)・長野村 ・染土村

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