津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■文久三年「恕斎日録」(11)・・細川護美の帰国(ニ)

2020-07-14 10:34:31 | 恕斎日録

     恕斎が良之助又はその周辺から聞いた京都事情

70続
    一将軍様に者 二月十三日江府被遊 御発駕 箱根
     御越之上 小田原ニ而外国御奉行様早打ニ而御出
     ニ相成 イキリス軍艦九艘渡来 三ヶ條之難問申
     出候段 言上ニ相成 同所へ両日斗被遊 御着京候
     而 日数十日之 御在京之筈との御事
    一近衛様を浪人共 望ニより関白職ニ被 仰付候処
71
     近来如何成子才ニ候哉 打替り 鷹司様を頻りに
     持立テ候由ニ付 頃日御會議之節 近衛様御出仕
     被成候ハヽ 浪人共存意立兼■■■可申候に付
     御出仕之御塗中ニ而 仕懸可申候との謀斗にて
     當日御門前へ浪人共五十人斗り抜刀に而構居候
     に付 御出仕之望 御病中ニ而御會議ハ御書通迠
     ニ而相済 其後者いまた御出仕も無之由なり 其
     外 公家衆之中 浪人共不気受之御方両所へ張札
     いたし候に付 御両人共御役被成御免候由 右之
     通ニ而 京師之黜陟総而 浪人共気向■次第ニ
72
     相成 大ニ威を張 辻切り闇打等 洛中勝手ニ
     行いたし候処 京都御守護職松平肥後守様御出京
     後 昼夜ニ百人斗り火廻りニ相成候ニ付 少し鎮り
     候由 薩長ハ不和ニ而 積り只者相済間敷候との
     事 此条御次之内より噂之事
    一柏木より申上候ニ者 国家之乱者京の乱たると同
     様にて 一筋の手綱を以 引立候得者能治り候処
     當時者乍恐天下御惣裁無之而者 一筋ニなりか
     たく 如何治り可申候哉と申出候処 良之助
     様よりハ御国中之事ニ御取直被仰聞候に者 御国
73
     中も一致ニ無之候而者 若兵端起り候せつ 勝を
     取かたく候 何様一致ニ文武を引立 不心懸之者
     ハ御留守居組ニも入れ候様に而も無之候而 引立
     かね可申候と被仰聞候処 柏木よりも取直し 以
     前者真組と申物相立居申候 子弟之内藝術宜者ハ
     此組ニ御入被成候ハヽ 引立可申欤よ申上候 小
     子より申上候に者 文武御引立ハ兎角に上より之
     御誘第一と奉存候 私支配御郡中中富手永文武藝
     頃日試業仕 段々相誘 當時之形勢を以 精々
     申諭 其序ニ莵狩抔をも相催 相励し申候処 い
74
     つれも若者共ニ而 不怪進立申候 寸志躰之者共
     さへも誘立候得共 直ニ引立申候間 兎角ニ上の
     御誘第一ト奉存段申上候
    一太守様江者一刻も 御下国被為在度奉存候処
     此節異船渡来ニ付而者 少しハ御延引可被遊候
     自身より関白様江も篤斗申上置候ニ付 當
     □相成居 其上御申訳も被為在候御事ニ付 當
     日中ニハ御発駕被遊被仰聞候事
    一御附役大矢野次郎八より申候に者 良之助様此
     節之下国至極之御都合ニ而 若今少も御隙取被
     遊候ハヽ 御引留可被成候 関白様方へも不怪
75

     御引留度御存年ニ而追々 良之助様ハ
     御隙之御身分ニ付 御勝りと御在京被成候様と
     の御噂ニ相成候事ニ而 御申訳も立かね候処 此
     節者師極之御都合ニ而 御安心被遊候段噂候事
    一肥前御隠居様江者御上京ニ相成 此節御下国 土
     衆之御隠居様に者此節御登り被成候との事
    一清蓮院宮様不怪御聡明ニ被為在 其外ハ格別之御
     方も無御座 鷹司様三条様かた者御壮年ニ而いま
     た御血氣ニ有之 一向御人も不被為在候ニ付 御
     一致ニ至りかね候由也
        異聞録   御次第之咄御前ニ而承る
76
    一一橋様ニ者東本願寺ニ御旅宿之処 御着之夜 御
     門前ニ生首をそなへ 札を付置候由 右首者千草
     様御家来嶋田列と同意ニ而 賄賂又ハ高利貸殖い
     たし 京都中より憎ミ居候由也 右之外同様之者
     八人有之候得共 何れも京中より逃出し居候由之
     処 右之者一人 近日帰京いたし候に付 直ニ右
     之通り浪人共よりいたし候由也 土州御隠居様御
     宿所へも同様之物を出し候由之処 首ニ耳無之
     古首ニ而 臭気有之候由なから 京都之儒者ニ
     而大坂へ逃レ潜居致たし居候処 浪人共殺害いた
77
     し 公家衆之中 一統より憎れ候御方へ 耳一つ完
     紙に封し投込候由なり 右両人之公家衆者其後御免
     ニ相成候由也
    一先日廿三日 加賀様御京着 御同勢も大造美々敷
     御行列ニ而御着之処 同日四條河原ニ而 足利三
     代将軍之御像之首を晒 下ニ御改名之御位牌を糸ニ
     て据付 制札を立 悪逆無道之次第ヲ書立 さら
     し有之 大矢野列も見候由なり 右之外御大名様
     御登り被成候節ハ 毎々浪人共右等奇怪振舞いた
     し候との噂之事
78
       跡より承候左之通
       右足利将軍御像を取扱候者共廿七人欤松平肥後
       様御手より搦捕候由之処 禁庭より右者忠志
       之物ニ付 赦し候様被仰聞候処 松平様御手
       より御断申上候由之事
     右御発駕相済候上 御茶屋へ引移 拝領之御肴を
     御惣庄屋以下へ少し完配當遣し 助勤小川次郎助
     へも竹の子を相添 長須会所へ持せ送り候事
     

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■細川小倉藩(289)寛永五年・日帳(五月ニ~三日)

2020-07-14 06:43:26 | 細川小倉藩

                      (寛永五年五月)二~三日 

         |              
         |    二日         
         |
鳥屋対馬ノ高麗雉 |一、当町之とりやノ二右衛門と申もの、対馬へ売買ニ参、罷帰候とて、高麗きし一つ上ヶ申候事、
ヲ上グ      |
         |        供之者・御扈従与也 二百石 (於豊前小倉御侍帳)
佐田源丞知行ノ百 |一、佐田源丞被申候は、主知行ノ百生大小ニ五人御座候内、弐人は去旧冬正月ニ御代官ゟ上せ被申
姓女房子供牛馬残 |                              〃
ラズ代官ニ取ラル |  候、只今三人又上せ被申候、其上女房子供牛馬迄不残とり被申候、時柄かやうニ候ハヽ、不作申    
不作トナラム   |  仕候、たとひ根付仕候共、不作同前ニ可有御座候、重而は各以得 御諚申ニ而可有御座候間、其
         |  分心得候様ニと被申候事、
客人饗応ニ大鮒ヲ |一、明日の朝御客人御座候ニ付而、ため池にて大鮒を打せ上可申由、浦上瀬兵衛・池田伝右衛門奉ニ
漁ス  溜池ニ小 |  而、西田吉内ニ被 仰付候由ニ付、ため池へ小舟ヲ入させ可被申通、鏡善右衛門ニ申遣候事、
舟ノ用      |
稲生丁入へ音信  |一、稲生丁入ゟ使者被差上候、則今晩御返書出申候、御帷子弐つ・御単物壱つ、又御樽弐つ、当地之
         |  酒を念を入候て遣可申旨、 御意之由、熊谷九郎兵衛被申候事、
服忌中故節供ニ出 |一、中路虎助、母相果申ニ付、今度之節供ニ不罷出候由、林久太夫を以被申越候、但、去廿日ニ相果
仕セズ      |  申由被申候事、
         |

         |     
         |    三日
         |         

         |        母                    礼書                   ニ而
服忌届      |一、中路虎助、袋被相果ニ付而、襟度ハ出仕不被仕通、林久太夫夜前登城被申候、就夫、久太夫ため
         |       〃                 馬廻組五番 百五十石 (於豊前小倉御侍帳)
姑ハ二十日ノ忌  |  ニもしうとめにて候つる、しうとの服も廿日御座候間、其心得被仕候へと、林弥五左衛門方迄申
         |  遣候事
小笠原忠真ノ使者 |一、小笠原右近様ゟノ御使者、今朝被成御振舞候事、
ヲ振舞ウ     |
         |        医師并伽之者 百石(於豊前小倉御侍帳)姉(妹)忠利の乳母
         |一、門川阿心ニ御帷子弐つ・御帯壱筋被為拝領候事、
         |一、右ノ右近様ゟノ御使者三輪半右衛門二御帷子弐つ・御単物壱つ・御樽三つ被遣候事、
求菩提山惣中門札 |一、求菩提山惣中ゟ御門札幷御茶初尾五十袋差上候事、
茶ノ初穂ヲ上グ  |
掃除坊主へ厄年祈 |一、去年御厄年の御祈念仕候通、被 聞召届候との 御書出、御掃除坊主へ之分、林隠岐ニ相渡候事、
念ノ札ヘノ礼書出 |
         |   (一通)                                  (長氏)
         |一、稲葉民ア少輔様ゟ、御飛脚壱人ニ御文箱持参申候、平野九郎右衛門を以上申候事、
         |                                           小河半丞
桂ヲ花畠ニ移植ス |一、うさ郡ゟ参候かつら 御前ゟ被成御出、御花畠ニうへさせ可申旨、被 仰出ニ付、則御使番〇を
         |  そへ、小堀長左衛門所へ遣候、おくゟ持出候坊主ハ宗印、
         |  室:細川忠興娘・多羅                                           医師并伽之者 二百五十石 (於豊前小倉御侍帳)  
さかいかけ    |一、稲葉民ア様御内家老吐血被相煩候、あなたの薬師衆ノ薬ハ一切無験ニ付、竹田了由をさかいかけ
稲葉一通家老へ薬 |  ニ乗せ可遣旨、熊谷九郎兵衛を以、被 仰出候事、
師了由ヲ遣ス   |
         |一、右ノ民ア様へ之御返書、則出申候、本庄喜介与喜三郎ニ持せ、町宿ノ次飛飛脚所へ遣候、急可被
         |  罷帰由、可被申渡通、申渡候事、                〃〃
         |     (光賢)
烏丸光賢使者渡辺 |一、烏丸様宰相様ゟ御使者被参候事、但、渡辺木工と申仁也、宿ハひ物や又蔵所ニ被居候、御賄ノ儀
木工来ル     |   (住江元明)            〃
         |  甚兵衛所へ申遣候事、
中津ヨリ薬師明寰 |一、中津ゟ、明寰・三官御馬ニ被乗遣候、御飛脚一人被付遣候、則 三斎様ゟ被進候御文箱三官持参
三官帰着     |        
         |  仕候、明寰ニ〇小判十両・御帷子弐つ、三官ニ銀五枚・御かたひら弐つ宛被下由申候事、 
         |                                  〃
         |           (松井興長)
         |一、右之渡辺木工、明朝式ア殿ニて御ふる廻候由、被仰候事、
臼杵ヘノ薬師派遣 |一、稲葉様へ、明日了由被遣候道中、はさミ箱・薬箱其外荷持夫申付、可遣旨ニ候、幷御鉄炮衆壱人・
ノ道中手配    |  御小人弐人付遣可申旨、左候而、さき/\ニて了由もの同前ニつかわれ候様ニ可申付との 御意
         |  也、又道中にて、右ノ荷物持候人足出置、了由被参候而、つかへさるやうニ可申付通、被 仰出
鉄炮足軽ノ先触  |  ニ付、今晩ゟ御鉄炮衆一人さきニ遣候事、了由ハ明朝八つ時ニ罷立候へと、被 仰付候事、
         |


 

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