恕斎が良之助又はその周辺から聞いた京都事情
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一将軍様に者 二月十三日江府被遊 御発駕 箱根
御越之上 小田原ニ而外国御奉行様早打ニ而御出
ニ相成 イキリス軍艦九艘渡来 三ヶ條之難問申
出候段 言上ニ相成 同所へ両日斗被遊 御着京候
而 日数十日之 御在京之筈との御事
一近衛様を浪人共 望ニより関白職ニ被 仰付候処
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近来如何成子才ニ候哉 打替り 鷹司様を頻りに
持立テ候由ニ付 頃日御會議之節 近衛様御出仕
被成候ハヽ 浪人共存意立兼■■■可申候に付
御出仕之御塗中ニ而 仕懸可申候との謀斗にて
當日御門前へ浪人共五十人斗り抜刀に而構居候
に付 御出仕之望 御病中ニ而御會議ハ御書通迠
ニ而相済 其後者いまた御出仕も無之由なり 其
外 公家衆之中 浪人共不気受之御方両所へ張札
いたし候に付 御両人共御役被成御免候由 右之
通ニ而 京師之黜陟総而 浪人共気向■次第ニ
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相成 大ニ威を張 辻切り闇打等 洛中勝手ニ
行いたし候処 京都御守護職松平肥後守様御出京
後 昼夜ニ百人斗り火廻りニ相成候ニ付 少し鎮り
候由 薩長ハ不和ニ而 積り只者相済間敷候との
事 此条御次之内より噂之事
一柏木より申上候ニ者 国家之乱者京の乱たると同
様にて 一筋の手綱を以 引立候得者能治り候処
當時者乍恐天下御惣裁無之而者 一筋ニなりか
たく 如何治り可申候哉と申出候処 良之助
様よりハ御国中之事ニ御取直被仰聞候に者 御国
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中も一致ニ無之候而者 若兵端起り候せつ 勝を
取かたく候 何様一致ニ文武を引立 不心懸之者
ハ御留守居組ニも入れ候様に而も無之候而 引立
かね可申候と被仰聞候処 柏木よりも取直し 以
前者真組と申物相立居申候 子弟之内藝術宜者ハ
此組ニ御入被成候ハヽ 引立可申欤よ申上候 小
子より申上候に者 文武御引立ハ兎角に上より之
御誘第一と奉存候 私支配御郡中中富手永文武藝
頃日試業仕 段々相誘 當時之形勢を以 精々
申諭 其序ニ莵狩抔をも相催 相励し申候処 い
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つれも若者共ニ而 不怪進立申候 寸志躰之者共
さへも誘立候得共 直ニ引立申候間 兎角ニ上の
御誘第一ト奉存段申上候
一太守様江者一刻も 御下国被為在度奉存候処
此節異船渡来ニ付而者 少しハ御延引可被遊候
自身より関白様江も篤斗申上置候ニ付 當
□相成居 其上御申訳も被為在候御事ニ付 當
日中ニハ御発駕被遊被仰聞候事
一御附役大矢野次郎八より申候に者 良之助様此
節之下国至極之御都合ニ而 若今少も御隙取被
遊候ハヽ 御引留可被成候 関白様方へも不怪
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御引留度御存年ニ而追々 良之助様ハ
御隙之御身分ニ付 御勝りと御在京被成候様と
の御噂ニ相成候事ニ而 御申訳も立かね候処 此
節者師極之御都合ニ而 御安心被遊候段噂候事
一肥前御隠居様江者御上京ニ相成 此節御下国 土
衆之御隠居様に者此節御登り被成候との事
一清蓮院宮様不怪御聡明ニ被為在 其外ハ格別之御
方も無御座 鷹司様三条様かた者御壮年ニ而いま
た御血氣ニ有之 一向御人も不被為在候ニ付 御
一致ニ至りかね候由也
異聞録 御次第之咄御前ニ而承る
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一一橋様ニ者東本願寺ニ御旅宿之処 御着之夜 御
門前ニ生首をそなへ 札を付置候由 右首者千草
様御家来嶋田列と同意ニ而 賄賂又ハ高利貸殖い
たし 京都中より憎ミ居候由也 右之外同様之者
八人有之候得共 何れも京中より逃出し居候由之
処 右之者一人 近日帰京いたし候に付 直ニ右
之通り浪人共よりいたし候由也 土州御隠居様御
宿所へも同様之物を出し候由之処 首ニ耳無之
古首ニ而 臭気有之候由なから 京都之儒者ニ
而大坂へ逃レ潜居致たし居候処 浪人共殺害いた
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し 公家衆之中 一統より憎れ候御方へ 耳一つ完
紙に封し投込候由なり 右両人之公家衆者其後御免
ニ相成候由也
一先日廿三日 加賀様御京着 御同勢も大造美々敷
御行列ニ而御着之処 同日四條河原ニ而 足利三
代将軍之御像之首を晒 下ニ御改名之御位牌を糸ニ
て据付 制札を立 悪逆無道之次第ヲ書立 さら
し有之 大矢野列も見候由なり 右之外御大名様
御登り被成候節ハ 毎々浪人共右等奇怪振舞いた
し候との噂之事
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跡より承候左之通
右足利将軍御像を取扱候者共廿七人欤松平肥後
様御手より搦捕候由之処 禁庭より右者忠志
之物ニ付 赦し候様被仰聞候処 松平様御手
より御断申上候由之事
右御発駕相済候上 御茶屋へ引移 拝領之御肴を
御惣庄屋以下へ少し完配當遣し 助勤小川次郎助
へも竹の子を相添 長須会所へ持せ送り候事