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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■肥後の手永と村(7)合志郡

2020-07-03 15:23:32 | 史料

                                       熊本藩領・手永図

合志郡

 1、大津手永(手永会所・大津村)
   ・大津村(後迫、松古閑)・塔迫村 ・苦竹村 ・新村 ・中尾村 ・南方村 ・入道水村 ・柳水村 ・馬場村(北方、土間)
       木編ニ荅
   ・新町(□木、新町ㇳ云)・小山御領村 ・石原村(吉原)・弓削村(山尻、久保)・下津久礼村(今石)・上津久礼村
   ・大堀木村(皆尻)・津留村 ・川窪村 ・中代村 ・中代出分村 ・下町村 ・下町出分村 ・灰塚村 ・町村
   ・中嶋村(寺崎)・下陣内村(梶村)・中陣内村 ・上陣内村 ・森村 ・吹田村 ・大森村 ・瀬田村 ・立野村
   ・引水村 ・平川村(御所原、高場、猿渡)・古城村 ・真木村 ・片又村 ・上中窪田村 ・尾足村(片河瀬)・高柳村
   ・小原村 ・柚船村 ・平村 ・高永村 ・高永出分村 ・妻越村 ・河辺村(古閑原)・杉水村(今村、小林)・井藤村

   たかば
 2、竹迫手永
(手永会所・竹迫村のち福本村)

   ・竹迫村 ・御領出分村 ・上古閑村 ・御領村 ・野付村 ・群村 ・須屋村 ・二子村 ・平嶋村 ・原口村(村)
                                                      現・野々島
   ・大池村 ・鹿水村 ・中林村 ・後川部村 ・江間村 ・弘生村(村有)・南弘生村 ・辻村 ・東村 ・鳥栖村
   ・灰塚村 ・上生村 ・北村 ・田嶋村 ・南田嶋村 ・小野崎村 ・猪目村 ・内越村 ・橋田村 ・坂井村 
   ・三万田村 ・久米村 ・高江村 ・福本村 ・富村 ・富村出分 ・村吉村 ・富納村 ・永村 ・永村出分
   ・住吉村
   

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■文久三年「恕斎日録」(2)

2020-07-03 12:47:32 | 恕斎日録

07
   荒木氏贈る事 右之趣ハ御奉行衆相達

 九日 今夕 荒木氏へ参る 右之挨拶等有之 丑之助よ
   り浪華酒を振舞 夫より蒲池・藤本両氏へ答礼之
   使も有之 何方に而も年酒饗應 大ニ酩酊 藤本よ
   り人を添遣し候事
 十日 病中 下湯を服 夜前吐 今日腹痛なり 當月
   五日吐 夫より日々腹痛いたし候事
 十一日 出勤 十一日目録相済
   今夕立寄 中富手永三役中相揃宴会
   右之外ハ明十二日薩州御縁女様 南関御昼 高瀬御                                             「文久の改革」に伴う大名妻子の帰国の緩和に伴うもの(島津斉彬の子女二人)                           
08
   泊りに付 三役いつれも出役等に而 御惣庄屋代算
   二而相済申候 此列者右相済候上ニ而 年酒振舞候筋
   也
   惣躰 立寄ハ松巖亭様御在勤之節迠ハ無之 其後相            松巖亭=中村恕斎の祖父・正彜、奉行700石
   始り 年増盛ニ相成 近年者崎支配も総而参り 数
   十人一同ニ集會 夜ニ入 深更迠も推参いたし候者
   も有之候間 旁以當年より自分之支配所外ハ罷越不
      □ 相示候事
    献立
   土器取遣 数子添 吸物 蛤大鉢 塩鰤・鯨の青ミ 太平 竹輪人参生芋焼豆腐
09
   手塩皿 壱人ニ壱枚完ニ賦り候事 
    家来 握飯燒餅 塩菜にしめ 是迠組重酒を出し候処、此分ハ相省
   右献立品柄申談左之通
   一鉢肴 鯨・海老・下品貝類 しゃく ゆて玉子 塩鰤  
     右品之外 不段者不苦 尤可成肴類ハ三品
   一□(羹か)竹輪 干鱈 姥貝 硴
     右之中より見斗 前之通献立いたし候事
    一統申談之献立ハ旧冬録し置候得とも 尚又左ニ
    記 為弁利
      覚
10
   一上ニ懸候祝席
    吸物 一類 硯ふた 丼 壱つ
   一親しミ咄し等之節
    吸物 一種 丼 弐つ 但太平出し候節ハ丼壱ツ減
   一同役寄合之節ハ是迠之通 但以前より二種迠ニ付不及省候也
 十二日 薩州御縁女様 今日南関御昼ニ而 高瀬御泊りに
   付 坂下江早朝より出立之事
    但 御昼場ヘハ御用差支之節ハ出方ニ不及 御泊
    所迠出方いたし候事
   今夕申ノ下刻 高瀬御茶屋御着 永徳寺町内より

11
   拝見いたし候御縁女様十四歳 御妹子御九歳 薩州            十四歳御縁女島津斉彬三女・暐姫(のち島津忠義正室)
   先ノ少将様御息女ニ而 御縁女様へ者當着之御前             九歳同           ・  同 五女・寧子(のち同上継室)
   様ニ御成り成候筈之 御方様之由御供御女中四十四            先の少将 島津斉彬
   人 御行列美々敷 殊更 御駕尤結構ニ相見候事
    □橋之御挨拶として芭蕉布二反被下候事
 十三日 御縁女様 朝六時前 御発駕 今晩河尻御泊り
   之事
   今朝社参 神酒頂戴 神主小山主殿へ御祈祷相頼
   候事
    翌日 御守ハ木下初太郎出府持参 御札ハ詰所へ張
12
    置候様申付候処 直ニ張置候段申出候事
   今朝 四比より出立 桃田懸井出床塘手御普請等見
   分 小田會所立寄 帰着ノ事
    小田會所ニ而ハ御惣庄屋丸谷平左衛門当所へ所替
    候付 小子立寄候に付 祝酒を出し可申談申出候
    ニ付 冷酒ニ而 肴ニ生硴ニ酢かけ 久年母二品
    ニ而相済候事
 十五日 稽古初之事
   番組 囃子
    竹生島 門理 安宅 助次郎 櫻川 嘉一郎 烏頭 伴馬                     嘉一郎=中村恕斎の嫡男

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■御恵贈御礼「京都美耶解 前編・中」

2020-07-03 08:29:14 | 書籍・読書

             
                                                          右から二冊目が「前編・中」編である。

 「芦屋古文書に親しむ会」の寺井正文氏からご恵贈たまわった。厚くお礼申し上げる。
寺井氏は細川藩士・寺井家、つまり田邊城に籠城した寺井道運・吉右衛門父子のご子孫である。
長くご厚誼をたまわっているが、文久三年京都守護を命じられた細川護美に随伴した同じく細川藩士・岩崎直衛がその間、京都で見聞した事柄を、「京都美耶解(きょうとみやげ)」と命名して全五巻にわたって記した貴重な記録である。
まさに一級資料であり、その内容は「肥後藩国事史料」等にも多く引用されているものである。
十余名の会員の皆様が分担して解読に当たられ、又寺井氏が膨大な参考文献から、年表・注釈(399項)・人名索引などを担当されている。
まさに、古資料研究の見本ともいうべき見事な出来栄えに驚嘆している。会員の皆様のご苦労にも敬意を表するものである。

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■細川小倉藩(280)寛永五年・日帳(四月十二日)

2020-07-03 06:31:23 | 展覧会

                      (寛永五年正四月)十二日 

         |
         |    十二日         
         |
         |    (長元)小笠原備前家二代・長基とも、ガラシャ夫人に殉死した少斎の嫡子 6,000石             役26,600,000円
小笠原長元困窮シ |一、小笠原備前殿御手前不成ニ付而、寛永四年ニ 御袖判壱枚被仰請、上方にて銀弐拾貫目御借用
借銀二ツキ忠利ノ |  候、左候て、当春被成御請返、 御袖判被差上候、則飯田才兵衛を以、 御前へ上申候処、御前
袖判ヲ乞ウ    |                                            〃
銀二十貫上方ニテ |  判御やふりなされ御出候、又備前殿右之 御袖判請返上可申との請状、 御前ニ上被置候をも、
ノ借状ヲ請返ス  |                         (松井興長)
忠利借状ヲ破棄ス |  同前ニ 御前ゟ出申候、明日上方へ便宜御座候ニ付、式ア殿ゟ備前殿へ御上せ可有由、■■被仰
         |  越候間、則式ア殿へ持せ遣候、
         |
書状音信物ノ覚書 |   鈴木助太郎へ渡申 御書・御音信物ノ覚
         |                    (忠重)
塩鴨鰤塩引    |  一、御書壱つ 塩鴨卅 ふり塩引五 松平大膳殿へ、
         |                    (勝之)
         |  一、御書壱つ 塩鴨廿 ふり塩引五 佐久間大膳殿へ、 
         |  一、大坂ニ而、御家中四与頭衆へ 塩鴨卌、
         |     (勝永)  (武次)
         |  一、寺尾左介・牧丞大夫ニ    御樽二宛、
         |  一、上林峯順へ         御書壱つ、
         |        (へ脱)
         |  一、上林味卜          同
         |  一、沅西堂へ          同
         |  一、小田豊斎へ         同
         |         (田脱)
         |    右之分ハ飯才兵衛目録前
         |
         | (米田是季)(小笠原長元)(沼田延之)(志水元五)
         |一、監物・備前・勘解由・伯耆へ   御書一通、
鮒鱒鮓      |一、井上源三郎ゟ鮒鮨桶壱つ・鱒壱つ進上仕ニ付、 御書一つ、
忠利書状譲渡ノ覚 |  明日歩之御小姓藤井宇左衛門ニ、御鉄炮衆弐人被成御添、被遣候ニ、相渡 御書数之覚
         |             (長泰)
         |  一、御書箱壱つ   平野遠江様へ、
         |           毛利殿(秀就)
         |  一、同壱つ     松平長門様へ、
         |           (松野親英)(町)   (小篠)
         |  一、同弐つ     織ア・三右衛門・次太夫所へ、
         |  一、状壱つ     右参人へ、我等共ゟ、
         |
         |  一、状壱つ     遠藤安斎・岩間六兵衛・狩野是斎、我々ゟ、
         |  一、同壱つ     六兵衛・安斎へ、我々ゟ、
         |  一、状壱つ     神西與三右衛門へ、我々ゟ、
         |    右之分藤井宇左衛門ニ相渡申候也、
忠利中津へ出立  |一、殿様今日中津へ被成 御座候、御泊ハ椎田也、           叔母・浄勝院、妹・烏丸万中津来訪中
椎田泊リ     |

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