ベランダに置いていた観葉植物用の空のプラスティックの受け皿に昨晩の雨水がたっぷり溜まっています。
当然上の階のスラブがありますから、横雨が打ち込んでたまったものでしょう。それでも40㎜以上です。
そして今日は私のスマートホンが二度も三度も、アラーム音がなり響いて驚かされています。
がけ崩れの警報と、洪水警報ですが、こういったアラーム音というのはかってにボリュームを上げるのか、ものすごい音がします。
心臓によくありません。
おまけに、雷も頭の上で鳴り響いています。(遠雷ならば俳句の一つもひねってみようかとも思いますが・・・)
県南の水害地も一日止むことのない雨に加え、ここ一週間ほどは雨模様だといいますが、大変な事だろうと御察しします。
私事ですが、昭和28年の大水害で全財産を失った母親は、一週間ほど気鬱になっていたようだったと姉が語っていました。
まさに災害地の皆さんがそんな状態にあられるのでしょう。心折れぬように気を確かに頑張っていただきたいものです。
又、全国の皆様にも災害に遭われませんようご祈念申し上げます。
(寛永五年正四月)廿八・廿九日
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| 廿八日
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| (敦行)
中津へ端午祝儀ノ |一、続平右衛門尉、中津へ端午之御帷子・御単物持被参候而、今日被罷帰候事、
使者 |
金山観音堂新造遷 |一、春木金太夫被参、被申候ハ、昨日観音■堂出来仕二付、うつし申由、被申候事、
座ノ届 |
葛張ノ奉行 |一、つゝらをはらせ申御奉行、横田権佐与天野少左衛門・湯浅角兵衛与伊藤彦太夫也、
金山諸奉行ノ端午 |一、右之金太夫被申候ハ、来月之御節供ニ、御山諸奉行も可罷出候哉、幷沢治吉右衛門儀も如何之由
ノ節供出仕ノ可否 | (仕)
ノ伺 | 候、貴殿と吉右衛門両人ハ御出使候て可然由、返事申候事、
丑山猫ノ歯 |一、田川ゟ、牛ノ歯・山ノ犬ノ歯・猪ノ歯参候、則関小平次ニ相渡候事、
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| 廿九日
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| (規矩郡)
忠利横川へ石見分 |一、殿様今日横川へ石を被成 御覧ニ、被成 御座候事、
唐人少峯長崎へ帰 |一、小峯経長崎へ罷帰候事、
ル |
馬喰町門ノ鍵借用 |一、馬喰町海手之御紋ノかき壱つ、私かり申候、以上 野原善太郎(花押)
書 |
東ノ茶屋ノ庭預リ |一、東の御茶屋ニ、前廉梅松軒被 召置候処、当春被成御替、小堀長左衛門被 召置候、然処、梅松
梅松軒ヲ小堀長左 | 軒ニハ、手伝之荒仕子壱人被成御付候、右之荒仕子は御切米高五石にて候、今度梅松軒長左衛門
衛門ニ替リ | 〃〃〃
荒仕子ノ切米 | ニハ弐人被成御付候間、切手をねきり候て、やすきものを可被 召置由、申渡候、前廉梅松軒召
荒仕子取替米ノ処 | 置候荒仕子ノ御取替米、梅松請取、于今払不申、只今払申候か、三四十日ほと、ぬし手前ニ而
分 | つかひ申候間、月引ノ算用仕、御取替返上可仕候哉と、申候間、長左衛門をよひ、口をきゝ申候
| 処に、長左衛門申候は、御花畠うけ取申候時、あらしこ御座候も、又無御座も不存候へとも、梅
| 松二私申候ハ、荒仕子をも付候而渡被申候へと申候へ共、あらしこハ当分五三日やとひ申候もの
| にて候間、其方にて御抱候へ、取替ハもとし可申由、被申候通申二付、しかる上ハ、月引ノ算用
| にてハ有之間敷候、其儘請取被申候分を、もとし可被申由、申渡候事、
| (勝茂)
鍋島勝茂使者 |一、鍋嶋信濃様ゟ御使者被参候事、端午之御帷子持参被仕候事、
端午ノ祝儀ニ帷子 |
■玉名郡
1、伊倉→大浜→小田手永(手永会所・片諏訪村)
・大浜町 ・横島村 ・小野尻村 ・河嶋村 ・北牟田村 ・大国村 ・尾田村(斎藤)・小天村(有所、赤仁田)
・部田村(小山、久嶋)・立花村(大塚、米ノ山)・竹崎村 ・野部田村 ・宮原村 ・片諏訪村 ・横田村 ・桜井村
・桜井村(船津)・南方村 ・唐人町 ・西北帳村 ・中北帳村(岩井口)・東北帳村 ・小嶋村 ・立山村 ・桃田村(亀頭迫)
・寺田村(世間部)・向津留村 ・青野村(合田、原村、上横田)・坂門田村(高野、谷村、菅野、向村)・田崎村
・上白木村(城林、尾ノ上、今山、太郎丸)・白木村(箱井、岡山、彌二郎丸、小坂本、小林、小清水、小中尾、下り口、上古閑)
・二俣村(陳村、横林、助吉、庄林、鉢久保、藤尾、中尾、瓜生田)・千田川原村 ・西安寺
2、内田手永(手永会所・山部田村)
・上木葉村 ・浦田村 ・木葉村 ・山口村 ・稲佐村 ・安楽寺村 ・津留村 ・下村 ・下津原村 ・西下津原村
・川部田村 ・山部田村 ・下小田村 ・上小田村 ・白石村 ・請村 ・日平村 ・蜻浦村 ・用木村 ・萩原村
・姫井村 ・上江田村 ・江田村 ・米渡尾村 ・原口村 ・藤田村 ・前原村 ・久米野村 ・岩尻村 ・志口永村
・高野村 ・大屋村 ・焼米村 ・榎原村 ・東下津原村 ・菰田村 ・江栗村 ・竈門村 ・上久井原村 ・下久井原村
・長小田村 ・内田村 ・月田村 ・寄名村 ・下社家村 ・上迫間村 ・下迫間村 ・富尾村 ・石貫村 ・下石貫村
・北石貫村 ・箱谷村
3、坂下手永(手永会所・坂下村→繁根木村)
・繁根木村 ・永徳寺村 ・亀甲村 ・中村(上中村、下中村)・小浜村 ・滑石村(晒)・浜田村 ・高道村(中島)
・下沖洲村 ・扇崎村 ・鍋村(塩屋)・中程村 ・下村 ・山下村 ・土器屋村 ・前原村 ・野口村(上野口、中野口、下野口)
・西築地村(萩尾)・庄山村(池田)・友田村 ・上村 ・林田村(下林田)・古閑村 ・西照寺村 ・開田村
・築地村 山田村 ・中尾村 ・立願寺村 ・山崎村 ・秋丸村 ・河崎村 ・河床村(上坂下、下坂下)
4、荒尾手永(手永会所・長須村)
・上平山村(小名元)・平山村 ・下平山村 ・井手村(深瀬)・下井手村 ・原万田村(松葉、西原)・大嶋村
・西菰屋村 ・東野浜村 ・宮内村 ・宮内出目村 ・下荒尾村(本村)・上荒尾村 ・中壱部村 ・増永村(向増永)
・蔵浦村 ・水嶋村 ・向壱部村 ・牛水村 ・梅田村 ・小野村 ・高浜村(浜村、立山、本高浜、西高浜)
・長洲村(中塩屋、大明神塩屋)・宮崎村(鷲巣)・宮崎出目村 ・永方村(東永方、本永方、西永方、中永方、葛野)
・塩屋村 ・平原村 ・折地村 ・清願寺村 ・上沖洲村 ・向野村 ・腹赤村 ・赤崎村 ・東菰屋村 ・金山村
・上河登村(今寺)・下河登村 ・樺村(上樺、中樺、下樺)・府本村(松尾)
5、南関手永(手永会所・関町)
・関町 ・関村 ・関東村 ・関東村(猪原)・関外目村(北関、下原分)・吉地村 ・東吉地村(中村)・和仁村
・上和仁村 ・吉地村 上板楠村 ・上十町村 ・苧生田村 ・平野村 ・上津原村 ・岩村 ・上岩村 ・太田黒村
・小原村 ・野田村 ・相谷村 ・肥猪村(中村)・肥猪町 ・東坂上村 ・安原村 ・坂上村 ・赤坂村 ・東今村
・庄寺村 ・久重村 ・上長田村 ・下長田村(山口)・今村 ・高久野村 ・宮尾村 ・田原村 ・柿原村 ・上田原村
・南田原村 ・石尾村 ・福山村
45続
廿七日 文武諸生中 米野山ニおゐて兎狩之事 米野山・地図
惣人数百人余 今朝正六時 岩原村社内揃
今朝八比 起し之相図 大砲三發 会所ニ而 七半より出立
尚三發会所ニ而 日の出比 岩原社内ニ着 直相図ニ而相揃
小子ハ夜明比先ニ着いたし候処 一人も参り居不申候ニ付
尚相図打セ候処 いてれも馳付候ニ付 直ニ瀬上・坂山様 二手ニ分 東組・西組
米野嶽登山 城跡見物 夫より観音堂へ下り 薬師
堂ニ而惣寄合 獲物を献壇上ニ而 山神祭 小子参
46
拝 杉谷伊豆 祝文を読上 惣勢礼拝 神献兎三ッ
樽二丁 饅頭
右相済 神酒惣勢頂戴 堂之前ニ猫伏数十枚敷 諸
生座也 小子者堂上ニ而神酒頂戴相済候上ニ而右諸
生座中江出張 惣勢ニ申聞候者 當時不穏世上ニ付
上より文武御誘之御主意を奉組取 張以文武更張
いたし 御為に相成候様相心得候様 申諭 杯を取
神酒を始メ 誘方以下諸生なかへも頭立候者へ差申候
処 いつれも元気を張立 弥以相勵可申 此上ハ浦山
坂より以南へハ敵一人も通間敷候間、安心いたし候
47
様申合候事
酒ハ冷酒 肴ハ数のこ一種 挺子樽抔ハ茶碗
取賄候事
右相済候処 尚いつれも励立 尚莵三ッ取候事
右獲物今晩帰着之上 諸生一統へ分配いたし
候様申付候得とも 多人数と申 方々江亘り 此分
二而ハ何分届かね候段申出候に付 一ツ者今晩
料理役にともたへさせ 二ッ者会所一手 二ッ者
小子持帰り 一ツハ物書牧重左衛門相働候に付
遣候事
48
小子持帰之内 壱ツ者岩崎へ遣 半分ハ小川 半分ハ片山へ
助勤之礼として送る 壱ツハ家内近隣招度
〆候事
右 祝文 左之通
祝 文
綾□畏幾
大山祇中山祇麓山祇乃大廣前仁大□取懸底恐美恐美
底申須 于茲文久三年二月廿七日吉日良辰於撰比太
神於請動志□□於申奉留事乃由波當国於鎮免奉里
某守□日嗣仕江奉留中村庄右衛門玉名乃郡於鎮免治
須懸令乃蒼生仁赤心於期志天深久厚久憐於加恵草
49
木仁於計留露乃恵美功已仁至利徳茂亦大仁因底木神
向々□馳神多仁栄江賜水神岡象女命損比傷留事茂無
久如此衆神抔乃御心仁叶比志波其大造乃勲登謹美惶
美底申須仰幾願久派今参集乃人々乃足乃麻加比無久
手乃麻加比無久諸乃災害久夜乃守利日乃守利登恵美
幸波比賜江登謹底申須
中富懸分田社司
杉谷伊豆文明 敬白
50
狩莵記
文久三年二月玉名郡宰試文武業中富三日而畢日
一日与衆狩山以同楽何如皆喜曰謹諾 二十七日味爽
発砲一聲以示出郊男山挙燎使見者奮起郡宰出中富
館従者二十餘人 暗唖叱咜聲響于野比至干無田村
東方巳明 是日也天気晴朗風埃不作西行一里至岩原
社 衆会者殆百人単衣行滕手持竹杖来謁郡宰乞命
於是立隊長二人吉田親利為東長 古庄直熙為西長
各□部伍伍毎有長予亦列于伍長左右導者各□置而
先之求莵所棲以設置隊長下令厳粛衆正列而進呼声
51
動山谷郡宰登高而覧東西之勝劣相從者服部直寛等
十餘人未時到来米野山麓薬師堂命社司杉谷文明築
壇祭山神又発砲一聲直煕等来献所獲之莵二乃使之
具山神文明告神以祝文郡宰登拝少焉親利等来献所
獲野莵一又具之於神如初於是ヤ郡宰下堂労衆曰文
武並用長人之道也汝輩入則治分出則講武予今使衆
馳山野非□徒獲莵不同遊堂楽而知輩面目則緩急
果何為乎乍命有司以酒食与衆長幼飲食坐紛乱郡宰
与衆堂坐共杯飲酒衆感共意酣飲大酔親利直煕建吉
曰請乗比勢再狩捕莵以奉於君焉郡宰美共言乃分衆
52
東西間地理村翁入山聲喧呼西隊又獲三比夕帰中
富館衆皆至謝終日之恩命予為此記乃不辞而記之
服部直道頓首拝
此記者よく形容を写したれハ録し置なり されと
狩之主意ハ面目見知るの為のミに者非す 当時之
世上に付 上よりも武威更張之□□第一なれハ 眠
れる哉 気を引立ん その主意なれ者 其所まては
貫少し見ゆれともしるし置なり