井上というお宅の代々の当主(?)にあてた、綱利・紀宜の書状三件(計八件)の出品である。
大変正直に「模写」とあり「まくり」(剥いだ跡が確認できる)であると紹介されている。釈文も添えられていて貴重である。
よくよく調べても、細川家に仕えた士の名簿「細川家略系譜」では宛名の井上氏の名前が確認できない。
実は以前同様の文書がヤフオクに出品されていた。 https://blog.goo.ne.jp/shinshi
その人物は、寛永初期の記録に登場する有力商人だと思われ、米を貸し付けたりしている。
https://blog.goo.ne.jp/shinshi
今回登場している井上氏はその人物若しくは子・孫など関係する人ではないかと思われる。
細川家の入国後も交流があったのか、又は一緒に入国したのか定かではない。町在などで検証する必要がある。
それぞれが拝領物に対する礼状だと思われるが、何者であろうか。大変気になる書状ではある。
【模写】【伝来】f9793〈細川綱利〉消息文 三枚 肥後熊本藩主細川家3代 大名 マクリ
【模写】【伝来】f9794〈細川綱利〉消息文 三枚 肥後熊本藩主細川家3代 大名 マクリ
六=綱利
【模写】【伝来】f9795〈細川宣紀 細川光尚〉消息文 二枚 肥後熊本藩主細川家4代 大名 マクリ
上の書状には「六」の署名があり「七之助(細川利重)」に関する記述もあり、綱利を名乗る(承応二年)以前の綱利の書状であることが判る。
花押は上記二件の綱利と同じものである。「六」の幼名から、光尚としているのは間違いである。
下は綱利の養嗣子「宜紀」のものである。