津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■お安く読む「キリシタン教会と本能寺の変」

2020-07-15 16:14:47 | 書籍・読書

   信長・秀吉時代の歴史を考えるとき、キリシタン関係資料は欠くべからざる史料である。
著者がキリシタン史の第一人者との紹介が私の目に留まった。昨日注文をしたが到着は明後日か、待ち遠しい。

                 [浅見 雅一]のキリシタン教会と本能寺の変 (角川新書)


内容(「BOOK」データベースより)

長年、その信憑性が疑われてきたフロイス史料。光秀の評価が文書内で変転するのはなぜか?日本の史料にはない記述は本当なのか。本書は、キリシタン史研究の第一人者が、手書きの原典にあたり詳細に分析することで見えてきた、史料の本当の執筆者、そして光秀の意外な素顔に迫る。フロイス手書き原典からの初めての邦訳「一五八二年の日本年報の補遺(改題:信長の死について)」全収録! 
 

著者について

●浅見 雅一:1962年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学大学院文学研究科修士課程修了。東京大学史料編纂所助手、同助教授、ハーバード大学客員研究員などを経て、現在、慶應義塾大学文学部教授。専門はキリシタン史。著書に、『キリシタン時代の偶像崇拝』(東京大学出版会)、『フランシスコ=ザビエル』(山川出版社)、『概説 キリシタン史』(慶應義塾大学出版会)、共著に、『韓国とキリスト教』(中公新書)、共編著に『キリスト教と寛容』(慶應義塾大学出版会)などがある

 

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■はつか大根の発芽

2020-07-15 15:52:12 | 徒然

                     サカタのタネ 実咲野菜5372 さくらんぼ ハツカダイコン 00925372

 私の最近の朝食はまさにベジタリアン、野菜サラダ+ヨーグルト。
昼は麺類、夜はごはん一膳に魚とか肉とかいろいろ。極力炭水化物を減らし、玉子とか大好きなチーズとかたんぱく質類も量を半分にしています。
毎日の散歩で薬で血圧は全くの平常値に落ち着いていますが、血糖値が高止まりゆえの食事療法です。

最近は雨のせいで「トマト」の入荷が少ないらしく高値でもあり、サラダの色味が悪いといって奥方が思いついたのが「はつか大根」です。
まるで「さくらんぼ」みたいなのでこういうネイミングですが、この種を購入してプランターに撒きました。
二十日でこんな丸い球ができるのなら、撒いて二日目だけど芽が出ているかもしれないと眺めてみると、いやいや発芽していましたよ。
来月初めには、私の朝食にはこのはつか大根の赤味が入った、野菜サラダがいただけるでしょう。
奥方は「ラディッシュ」といいますが、私は「はつか大根」で押し通しています。

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■文久三年「恕斎日録」(12)

2020-07-15 07:02:39 | 恕斎日録

78続
  十二日 今日 南関会所 影踏見分相済候事
    右相済 大田黒隠宅泊 御墓参之事
79
  十三日 肥猪町影踏見分相済候事
     今朝 大田黒より同所へ罷越 影踏相済上ニ莵狩
     見物之事 右見物之節 明日伊東右京太夫様
     御祖母様ニ而 顕光院様御叔母御通行 南関御          御祖母様とあるが実母である。略系図参照の事。
     昼之段 申来承事
     右莵狩ニ而 四ッ取候に付 壱ッ者宿所へ遣料理
     候事 明日右御通行御茶屋昼休ニ付 今晩ハ小
     森田角左衛門宅泊り之事 右莵料理廣メ候事
     右御祖母様 顕光院様御叔母様ニ被為當候段
     初而相分候に付 山中より早打を立 御道筋同役
80
     幷熊本當番政府へも相達候処儀ニ御道筋同役も出
     在いたし候事

                                                                                                      参考略系図
                        広島藩7代        8代       9代
                        浅野重晟 -----+-----斎賢 -----+-----斎粛
                                 |        |
                               |        +---- 益(顕光院
                               |          ‖
                               |        細川斎護
                               +-------
                                   ‖---------------------祐相
                            日向飫肥藩12代   ‖   13代    14代 ↓
                                                                             +---- 伊東祐民=== 祐丕=== 祐相(右京太夫)
                                |                            ↑

                                                                               +-------------------- 祐丕
  十四日 今日南関御家人中諸藝見分之事
    今日昼四ッ比 右御祖母様御着 直ニ麻上下ニ而宿
    所より罷出 御機嫌伺候事 向方應対 壱岐職
    此方より之口上 當所郡代ニ而御座候 當所御着座
    ニ付 御機嫌伺ニ罷出候 相應之御用向も御座候ハ
    ヽ 可被仰聞候 尤私儀ハ當所江出懸居候に付 罷出
    申候 御道筋同役共ハ罷出得不申候も 可有之候
    間 其段御聞置可被下候と申向候事
81
      但通例ハ御昼ニハ同役不罷出候得とも 御間柄
      様と申 出懸居候に付 罷出候間俄之事ニ付
      御道筋同役罷出候間ニ逢かね候も難計 右之通
      申伺置候事 右為御挨拶 金子三百疋被下候
      事
    右相済 直ニ武藝見分相始 夫々相済 今晩御茶屋
    泊り之事
  十五日 今日 諸生中相催 莵狩之事
    朝六時揃 肥猪社内揃 狩場相ノ谷・野田・太田黒
    村々山中 同道ハ御惣庄屋河野太郎助 横目橋本常
82、
    右衛門列 小山支配瀬上又右衛門 横目柳原敬右衛
    門 太郎助忰 河野常八 文武倡 長野濬平 肥猪社内よ
    り急御用筋有之 引返候事 右御用筋ハ左ニ録
      惣人数百四五十人程 社内ニ猫伏を敷並 御酒頂
      戴 盃ハ茶碗 酌ハヒ勺 樽ハ田子 肴ハ数の
      子一種 子供ヘハおこし まん中を投遣し候
      小子も惣座中へ罷出 右茶碗ニ而相始 倡方を
      初 諸生中年笠之面々へ差候事
83
    右相済候処ニ而 尚下山 狩候而獲有之 惣計三疋
    取候事
    右神酒廣之節惣座ニ下り 一統へ當時之世上に付
    上よりも武藝御誘第一ニ候処 惣躰下地者強気たる
    とも 無能無藝ニ而者 不覚臆する物也 手ニ覚有
    之候得者 弱柄なるとも張立自然ニ勇気を生する也
    左れハ武藝をえ候社第一之御奉公也と申諭候                =女偏に耆とある、搘か?
    処 いつれも感伏いたし候様子ニ相見候事
    今晩岩村光行寺泊 三野村ニ而暫休 同村喜兵衛・熊吉両人呼出宿所迠召連候事
    右狩ニ罷出ノ御家人之中 才角之者ハ廿人斗りも
84
    宿所へ礼ニ参候間 其厚意を謝し 此方より申聞候
    に者 数代大禄を戴候人も 命ハ一ッなり 無格之
    御家たるとも同様之事ニ候処 各武藝を相候儀者
    物場ニ望ミ一命を差上候覚悟ニ相聞候 其中寸志之
    身分抔ハ 尚更之事ニ而 誠ニ以 奇特之志 感入
    申候 無論各一命を差上候ハヽ 我々ことき数代御知
    行を戴候者は命が百有りとも足り不申 甚以感心
    いたし候段申聞候処 御心遣有之間敷 無禄之者
    共ニ而候得とも 物場ニ望 弥一命を差上可申候
    御安心可被成と申候間ニ 感涙を催候由なり
85
    右獲物ハ分配之数無之候に付 小子へいつれも遣
    候との事ニ付 持帰候事
   一今朝 肥猪社内ニ諸生相揃候を待居候処 熊本より          大筒製造の手配
    御物頭西洋筒製造受込被仰付候 佐分利又兵衛幷小
    野庄次郎嫡子小野   両人出会いたし候処 今度
    御様子有之 至急ニ西洋筒出来被仰付候ニ付 両人
    早打 南関江罷越 其手配いたし候筈ニ付 只今是
    迄罷越候 好所ニ而出会いたし 其子才者跡より可申
    候 先手配り之方一列も夫々差図いたし呉候
    様との事ニ付 直ニ常八・濬平を呼出 地金買入
86
    之手配いたし、官銭ニ而ふり替 柳川より買入候様
    敬右衛門へ者 右夫々ニ立会候様 小山支配又右衛門ヘハ
    臺木切出し之手配いたし申付返し候事
    右之子才ハ右之者共引取候上 極密佐分利より申候
    に者 夷人イキリス軍艦二十艘横浜ニ渡来いたし
    三ヶ条之難問申懸候処  将軍様御塗中迠 奉
    伺候得共 本より御受被成かたき事柄迠ニて 若御返
    答遅ニ及候ハヽ 直ニ戦争ニ及可申候段も申懸候由
    ニ而 右三ヶ条と申ハ 一条ニ者昨年嶋津三郎生麦          生麦事件賠償問題          
    ニ而イキリス人を殺害いたし候打手ニ首を取遣し候
87
    様 一条に者右難叶候ハヽ 右之代として五十万ド
    ル右軍艦造用として差遣候様 一条ハ右両条難叶候
    ハヽ 薩州を勝手ニ責取可申候間 脇方より決して
    加勢等いたし不申 若差構候者有之者 夫をも相手
    ニいたし可申候との事なり 右之御返答日数何日と
    限 若遅ニ及候ハヽ 彼方より直ニ戦争相始可申候
    との事と 今度江戸より大田黒某罷下り彼方ニ而
    機密承り申出候由なり 右之通ニ付 今明ニも横
    浜ニ而者戦争相始候も難斗 依而段々御筒取調
    日也候処 御備手薄有之 急々増製造被仰付候との
88
    事      

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■細川小倉藩(290)寛永五年・日帳(五月四~五日)

2020-07-15 06:28:45 | 細川小倉藩

                      (寛永五年五月)四~五日 

         |              
         |    四日         
         |
大塚忠兵衛落馬ニ |一、大塚忠兵衛儀罷出候、道中ニ而落馬しニ付、不罷出由ニ而、山ノいもノす壱つ、熊谷九郎兵衛を
ヨリ出仕セズ   |  以、被差上候事、
山ノ芋ヲ上グ   |
烏丸光賢使者振舞 |一、烏丸様ゟノ御使者渡辺木工、今朝式ア殿ニて御ふる舞候事、
腹中故規式ニ出ザ |一、佐分利彦右衛門弟喜四郎儀、腹中を煩申ニ付、御礼ニ不罷出由、彦右衛門比申候事、
ル届       |
         |  (財)
欠礼ニツキ榧ノ実 |一、才津惣左衛門煩申ニ付、御礼ニ不罷出由ニ而、市兵衛弟助右衛門を以、かやノミ一折進上被申候
進上       |  事
服忌届      |一、林久太夫儀、しうとめ相果申ニ付、御礼ニ不罷出申候事、
忌明出仕     |一、田内左兵衛、此中おば相果申ニ付、不罷出候、今日いミ明申ニ付、登城仕候事、
         |一、竹内吉兵衛方ゟ被申越候ハ、黒部吉兵衛儀、進物ハ昨日上申候、明日の御礼如何之由や可仕哉と
         |  日申候、式ア殿ニ御尋候而、式ア殿次第ニ可被成由申候事、         〃〃〃
         |  (国遠)
硯ノ奉行     |一、道倫奉ニて被 仰付候、御賄硯之御奉行ニ塩田浜助・湯浅角兵衛与中嶋加左衛門ニ申付候、様子
         |  ハ道倫ニ可被相尋由、申渡候事、
         |  沖津弥五右衛門の兄、慶長十七年被召出新知二百石拝領、妻子無之家断絶     
沖津九郎兵衛死亡 |一、沖津九郎兵衛儀、元和七年五月十九日ニ相果被申由、沖津作大夫方ゟ書付にて被申越候事、
ノ日       |                          九郎兵衛三弟、宇佐郡奉行 百五十石(於豊前小倉御侍帳)                 
所々ノ茶湯ノ炭ニ |一、所々御茶湯炭の儀、三升入のすミとり被 仰付候間、一日ニすミとり壱つつゝ相渡候へと、渡
三升入ノ炭斗一日 |  仰出ニ付而、則金子喜左衛門、又御すミ奉行本庄喜介ニ申渡候事
ニ一ッ宛ヲ渡サシ |
ム   炭奉行  |

         |              
         |    五日         
         |
服忌届      |一、塩木又丞儀、しうと相果候ニ付而、御礼ニ不罷上由、沢庄兵衛被申候事、
         |一、浅見五兵衛・伊田半右衛門煩由、五右衛門被申候事
忠利厄年ノ祈祷札 |一、彦山座主幷ゑんめう院殿へ之去年御厄年御祈念被仕上ニ付、 御書出シ弐通、佐藤二郎兵衛ニ持
彦山座主幷円明院 |  せ遣候事
ヘノ書出     |
宇佐宮中への書出 |一、うさ社中へ之右同前之 御書出、宮崎掃アニ渡候事、
羅漢寺へ     |一、らかん寺へ右同前之の 御書出、小崎太郎左衛門ニ渡候事、
         |          〃      木村九郎兵衛ニ
         |
求菩提山へ    |一、求菩提山へ之右同前之 御書出、沢庄兵衛ニ渡ス、
大貞宮へ     |一、大貞へ之右同前之 御書出、右太郎左衛門、九郎兵衛ニ渡ス、
正月五月九月ノ祈 |一、正・五・九月之御札、いつも 三斎様へ先へ上申、其後 忠利様へ上申ニ付、今月之御札、去朔
祷札       |                      (久盛)                       ( 頬 当 )
中川久盛寄進ノ頬 |  日ニ中津へ掃ア持参被仕、上被申候処ニ、中川内膳様ゟ宇佐宮へ御寄進として、御はうあて、幷
当    初穂金 |  御初尾として金子壱枚御上候を、先 三斎様迄持せ被進候、右之はうあて 三斎様御前へ御披露
         |  之時、宮成掃アも参合申候処ニ、 三斎様被成 御意候ハ、中川殿ゟ御寄進之はうあて是へ参候
八幡御使     |                      (幡)
三斎中川久盛ヲ宮 |  と、そのまゝ宮成参合申候儀、ひとへに八満ノ御使とおほしめし、きとく成事候、然上ハ、右之
         |                                (旦 那)
成掃部檀那トスル |  御はつほ愈掃アに拝領可仕旨、被成 御意候、此後ハ中川殿を掃アたんなニ可仕候、 三斎様
契約ヲ勧ム    |  ゟも、この段中川殿へ可被 仰進之候間、掃ア儀ハ内膳殿へ追付御礼ニ可参旨、被 仰出由、掃ア
         |  被申候事、
         |                                     (丁替)
上リ者ヲ畳表打ノ |一、上りもの四人表打長兵衛手伝ニ付置候、かたひらを壱つ宛着せ申候、則長兵衛ニ
手伝ニ付シム   |
         |   〇落丁アルカ、

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