今回から「細川小倉藩」は写真の第二巻に入ります。第二巻は寛永五年六月から寛永七年の六月迄、約484頁に及びますから、8ヶ月くらいかかるでしょうか。
しかし、そのスタートが切りよく(300)というのがうれしいですね。またお付き合いください。頑張ります。
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日帳(寛永五年六月)朔日~二日
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| 朔日
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肩衣ニテ出仕 |一、今日ハ肩衣ニ而御礼也、
| (鍛冶)
すかしたる鐙百掛 |一、すかしたる鐙を、当所之かち共ニ、百かけほと可被 仰付と被 思召候間、すかしの御鐙を見
ノ用 | (熊谷)
| せ、可仕と申候ハヽ、可申付旨、奉九郎兵衛、
金瘡薬師二百姓ノ |一、金瘡薬師理兵衛方、少之間ノ御いとま申上、在所へ見舞ニ、今日ゟ被参候、就夫、国東夷村之作
手負ヲ療治セシム | 蔵手負申ニ付、療治可仕旨被 仰付、被参候事、
楊梅田川ヨリ進上 |一、田川ゟ楊梅弐荷持せ被差上候、則上ヶ申候事、
ス |
| からなつたう
三斎へ唐納豆笋ゆ |一、三斎様へ為御音信、ぬかみそ・笋・ゆへし被進之候、御使ニは歩之御小姓関谷與三右衛門、御小
べし進上 | 〃〃〃〃
| 人壱弐人被遣候事、
| 〃
| 古筆弐本
文房具貸出 |一、中折紙壱帖〇高田角左衛門・下村五兵衛方へ借用有度由候間、かし申候事、
|一、飯銅上右衛門、長崎へ今日罷下候事、
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| 二日
| (敷脱か)
忠利坂崎邸普請ノ |一、坂崎一角屋作事之所、被成 御覧に可被成御座旨、被 仰出候事、
見分 |
楊梅未熟 |一、田川ゟ楊梅二籠持せ被上候、就夫、被成御意候ハ、未青候間、能うれ候てゟ取上可申旨、 御意
| 之由、三宅勘十郎を以、被 仰出候事、
| 〇四日之中ニ綴込ミシ錯簡二丁分ヲ、夫々原ニ戻シ、訂正ス、「」ニテ示す、
|(錯簡)
忠利玄清ニ鍼療ヲ |「一、式ア殿内玄清ニ、針を御立させ被成候間、御のり物かき四人付置候へと、御のり物の小頭ニ申付
命ズ | 候事
忠利坂崎邸ニ石ヲ | 一、坂崎一角所へ被成御座、石共御すへ被成候、左候而、式ア殿ニ而夕 御膳上り申候事、
居へ松井邸ニテ夕 |
食ス |
硯ノ注文 八角 | 一、八角ノ御硯壱つ、そこを弐分すり候て、上ヶ可申候事、
| (ママ)(几 帳 面)
四角ノ硯 | 一、四角ノ御硯壱つ、仕法のかとを分半きてうめんをとり候て、上け可申事、同そこを弐分すり可申事、
袋棚ノ注文唐蒔絵 | 一、御袋たな、うるしぬりニ仕、から巻物絵ニ可仕上旨之事、
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引物師 | 一、引物師を申付、御ほん引せ、うるしぬりニ仕、唐蒔絵ニ可申付旨ニ候事
| 一、御道具、うるしぬりのからまきゑ、手ノ不明やうニ、可申付之事、 」
| 右五ヶ条、道倫奉り也、
見本硯 |一、四角成御硯壱つ、野田源四郎被持出候、御ほんのことくニ切せ可申旨ニ候事、
| (下 水 板)
丸硯 |一、けすいたを右同人被持出候、此けすいた二あひ候様ニ、丸硯を切せ可申旨、但、けす板ゟ一分半
| 高ク、むらさき硯石ニ而、切せ可申旨ニ候事、
| 〃