(寛永五年五月)十一日
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| 十一日
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本丸下ノ堀に入ル |一、国遠道倫被申候ハ、御本丸之下之堀ニ、人二三人はいり申候間、我等申候ハ、此堀へ人入申候
者アリ | た
入ル事厳禁 | 事、前廉はかき御法度候つるか、今ハ入候てもくるしからす候哉、御奉行所へ届候而、入被申候
入リシ者ノ詮索 | か、■又ハ名を被名乗候ヘと申候ヘハ、たれのものとも名乗不申候、北ノ丸ノもの候由申候間、
| (皆川)
| 然ハ治アなとニ届候而の事ニ候哉と、申候ヘとも、とかくの返事も不申候由、被申候事、
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冬ノ扶持宛行ノ奉 |一、御冬様へ去年十二月朔日ゟ三十人〇被遣との奉書、山田喜斎・沅西堂ゟ、京ノ三人衆へ参候ニ
書 | 付、京着ニ而渡申由、其ニ付、今度野原善太郎罷下、京ノさん用被仕上候、即目録 御前へ上り
京ノ算用目録 | (財津惣兵衛)
| 申候、右奉書ノひかへ、善太郎手前在之、右ノさん用聞ハ才津・和田也、
| (伝兵衛)
| (藍島、規矩郡)
藍島ニ野牛取 |一、あいの嶋へ野牛取ニ、御船頭徳嶋八兵衛差遣候事、
忠利猩々緋ノ陣羽 |一、猩々皮ニ而御陣はおり被 仰付候、此御横目ニ星出長五郎申付候事
織ヲ調整セシム |
過怠ノ役 |一、明日m津岡角太夫・大阪迄過怠之御使ニ被遣候事、
| (浅山)
|一、三斎様ゟノ御返書、御小人吉六持来候、則修理御上り申候事、但、奥ニ而、森長介を以上ヶ申由候
| 事
稲葉一通ヨリ海老 |一、稲葉民ア様ゟ御文箱、幷御音信ノゑひ二籠参候、則御返書出申ニ付、松岡九太夫ニ持せ、式ア殿
ヲ贈ラル | 迄遣候、御心得申候との御返事に候事、
| (藤ヵ) (長泰)
|一、明日十二日ニ、江戸へ被遣御飛脚続亀介与武久作右衛門ハ、平野遠江様へ御見廻ニ被遣候、今壱
| (忠利室、千代姫)
江戸へ音信ノ物数 | 人七右衛門ハ 御裏様へ之御見廻ニ被遣旨ニ付、此両人ニ渡遣物数
| (細川光尚)
光尚ノ小刀 | 一、御六様ちいさ刀一腰ハ、作右衛門ニ渡ス、
宇佐宮ノ祈祷札 | 一、御六様へうさゟ上ル御札一包、七右衛門ニ渡ス、
| (長重)
| 一、浅野采女様へ之 御書箱壱つ、同人ニ渡ス、
| (松野親英)(小篠) (町)
江戸御留守居へ | 一、織ア・次太夫・三右衛門へ之 御書箱壱、同人へ渡ス、
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筑紫広門小判三 | 一、右三人へ我々ゟ状一包、此内ニ、筑紫殿へ小判三十両の借状被成御返候も入遣、又浦上瀬兵衛
| ゟ、 御六様へ被為付置候御のり物かき善吉御ふちかたのさしかミも包入、上せ候事、
| (蜂須賀忠英)
阿波へ寄ル使ニ遣 |一、同船ニ而、歩ノ御小姓松岡九太夫大阪迄日遣候、阿波守様へも被遣ニ付、あわへより被申候九太
ス物数 | 夫ニ渡遣物数
大坂城普請奉行 | 一、四頭の御普請奉行衆へ被遣 御書箱壱つ渡ス、
ヘノ書状 |
| 一、松平阿波守様へ被進候 御書箱壱つ、
| (慰英)
幕府由布院勘定 | 一、上様由布院御勘定奉行衆へ被進 御書箱、仁保太兵衛ニ被渡候へと、申候而渡ス、
|一、江戸へ参右弐人ニ、京ノ御かい物奉行参人へ被遣 御書箱壱つ、渡候事、
請書 |一、寺嶋主水方へ、奥村少兵衛ゟ上せ被申候しふかミつゝミ一つ、内ニ銀子在之由候をうけ取、上り
| 申候、寺嶋方へ慥渡可申候、 松岡九太夫(花押)
| ( 菰 包 )
|一、式ア殿ゟ、京へ御言伝被成候こもつゝミ壱つ、又江戸ヘの御状、何も右之飛脚ニ遣、
| (規矩郡)
藍島ニテ捕獲ノ野 |一、あいの嶋ゟ野牛取て参候、御天主之下ニ入置候事、
牛天守下へ入ル |