津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(294)寛永五年・日帳(五月十一日)

2020-07-19 15:30:31 | 細川小倉藩

                      (寛永五年五月)十一日 

         |              
         |    十一日         
         |
本丸下ノ堀に入ル |一、国遠道倫被申候ハ、御本丸之下之堀ニ、人二三人はいり申候間、我等申候ハ、此堀へ人入申候
者アリ      |            
入ル事厳禁    |  事、前廉はかき御法度候つるか、今ハ入候てもくるしからす候哉、御奉行所へ届候而、入被申候
入リシ者ノ詮索  |  か、■又ハ名を被名乗候ヘと申候ヘハ、たれのものとも名乗不申候、北ノ丸ノもの候由申候間、
         |     (皆川)
         |  然ハ治アなとニ届候而の事ニ候哉と、申候ヘとも、とかくの返事も不申候由、被申候事、
         |
冬ノ扶持宛行ノ奉 |一、御冬様へ去年十二月朔日ゟ三十人〇被遣との奉書、山田喜斎・沅西堂ゟ、京ノ三人衆へ参候ニ
書        |  付、京着ニ而渡申由、其ニ付、今度野原善太郎罷下、京ノさん用被仕上候、即目録 御前へ上り
京ノ算用目録   |                            (財津惣兵衛)
         |  申候、右奉書ノひかへ、善太郎手前在之、右ノさん用聞ハ才津・和田也、
         |                               (伝兵衛)
         |  (藍島、規矩郡)
藍島ニ野牛取   |一、あいの嶋へ野牛取ニ、御船頭徳嶋八兵衛差遣候事、
忠利猩々緋ノ陣羽 |一、猩々皮ニ而御陣はおり被 仰付候、此御横目ニ星出長五郎申付候事
織ヲ調整セシム  |
過怠ノ役     |一、明日m津岡角太夫・大阪迄過怠之御使ニ被遣候事、
         |                     (浅山)
         |一、三斎様ゟノ御返書、御小人吉六持来候、則修理御上り申候事、但、奥ニ而、森長介を以上ヶ申由候
         |  事
稲葉一通ヨリ海老 |一、稲葉民ア様ゟ御文箱、幷御音信ノゑひ二籠参候、則御返書出申ニ付、松岡九太夫ニ持せ、式ア殿
ヲ贈ラル     |  迄遣候、御心得申候との御返事に候事、
         |                       (藤ヵ)                                 (長泰)         
         |一、明日十二日ニ、江戸へ被遣御飛脚続亀介与武久作右衛門ハ、平野遠江様へ御見廻ニ被遣候、今壱
         |        (忠利室、千代姫)
江戸へ音信ノ物数 |  人七右衛門ハ 御裏様へ之御見廻ニ被遣旨ニ付、此両人ニ渡遣物数
         |   (細川光尚)
 光尚ノ小刀   | 一、御六様ちいさ刀一腰ハ、作右衛門ニ渡ス、
 宇佐宮ノ祈祷札 | 一、御六様へうさゟ上ル御札一包、七右衛門ニ渡ス、
         |    (長重)
         | 一、浅野采女様へ之 御書箱壱つ、同人ニ渡ス、
         |  (松野親英)(小篠) (町)
 江戸御留守居へ | 一、織ア・次太夫・三右衛門へ之 御書箱壱、同人へ渡ス、
         |
 筑紫広門小判三 | 一、右三人へ我々ゟ状一包、此内ニ、筑紫殿へ小判三十両の借状被成御返候も入遣、又浦上瀬兵衛
         |   ゟ、 御六様へ被為付置候御のり物かき善吉御ふちかたのさしかミも包入、上せ候事、
         |                       (蜂須賀忠英)
阿波へ寄ル使ニ遣 |一、同船ニ而、歩ノ御小姓松岡九太夫大阪迄日遣候、阿波守様へも被遣ニ付、あわへより被申候九太
ス物数      |  夫ニ渡遣物数
 大坂城普請奉行 | 一、四頭の御普請奉行衆へ被遣 御書箱壱つ渡ス、
 ヘノ書状    |
         | 一、松平阿波守様へ被進候 御書箱壱つ、
         |                       (慰英)
 幕府由布院勘定 | 一、上様由布院御勘定奉行衆へ被進 御書箱、仁保太兵衛ニ被渡候へと、申候而渡ス、
         |一、江戸へ参右弐人ニ、京ノ御かい物奉行参人へ被遣 御書箱壱つ、渡候事、
請書       |一、寺嶋主水方へ、奥村少兵衛ゟ上せ被申候しふかミつゝミ一つ、内ニ銀子在之由候をうけ取、上り
         |  申候、寺嶋方へ慥渡可申候、                  松岡九太夫(花押)
         |               ( 菰  包 )
         |一、式ア殿ゟ、京へ御言伝被成候こもつゝミ壱つ、又江戸ヘの御状、何も右之飛脚ニ遣、
         |  (規矩郡)
藍島ニテ捕獲ノ野 |一、あいの嶋ゟ野牛取て参候、御天主之下ニ入置候事、
牛天守下へ入ル  |

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■馬鹿者の毎日

2020-07-19 11:28:11 | 徒然

                  

刊本「福岡県史 近世史料編‐細川小倉藩(一)」は、昨年11月2日に「■細川小倉藩(62)寛永元年・日帳」でご紹介を始めた。
これが62回とあるのは、その前に同書の(三巻)に掲載されている元和期を61回にわたりご紹介したことによる。
(一巻)は今日を含めてあと4回で完了する予定だ。都合498頁に及んでいるが、297ー62=235日でタイピングしたことになる。
苦労したのに一日約2頁しかできていないことに、ちょっとショックを受けている。
この後、第二巻の寛永五年六月から寛永七年の六月迄484頁、第三巻の寛永七年七月~寛永八年十一月迄の153頁の都合637頁が控えている。
一日2頁のペースで320にちばかり、爺様のスタミナは続くのだろうかと頭を抱え込んでしまう。

現在はこの「細川小倉藩」と「恕斎日録・文久三年編」が重なっているから、一時期「細川小倉藩」はお休みしようかとも考えている。
他にもいろいろタイピングしたいものが目白押しで、爺様は大いに多忙である。
自分自身「ご苦労なこったい」と思いながらも、やめることができないないでいる「大馬鹿者」である。

 

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■そろそろ梅雨明け・・?

2020-07-19 08:58:24 | 徒然

 寝苦しさに目が覚め早起きしましたが、陽が上がると蝉の合唱がすさまじくどうやら梅雨明けといった感じです。
ひときわやかましく鳴いているのはクマゼミでしょうが、休む間もなくお疲れ様なことでしょう。
昨日、今日と一時雨の予報がありましたが、見事に外れ、あすも雨の予報がありますから、梅雨明け発表は明後日くらいになるのでしょうか。
例年よりずいぶん遅い梅雨明けになりそうですが、そうなればなったで、連日の猛暑に耐えなければならず辛い季節になります。
去年はメダカの水槽の温度管理に失敗して、少し死なせてしまいました。今年も猛暑になりそうですが、一匹も死なせないように注意しています。
その前に、自分自身がくたばらないようにすることはもちろんですが、皆さまも御身御自愛くださいませ。

                 

       追記:予想に反して熊本の梅雨明けは連休明け(27日?)とか言っています。16時前入道雲と雨雲が同居しています。

                    

 

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■文久三年「恕斎日録」(16)

2020-07-19 06:49:57 | 恕斎日録

109
  十六日 当月六日 太守様京都被遊 御発駕籠豊後路被
      遊 御通行旨御達事
  十七日 今日荒木氏より岩崎物部へ口達之趣左之通
      公武之御際表向者御和熟之御沙汰ニ候得共 内
      実者中々左様ニ而無之 将軍様江戸より御帰
      府御当日ニ相成 禁庭より俄ニ御留被仰付 異
      人御返答之様者 摂州表より被差廻候而 夫々被仰
110
      聞 万一ニも戦争ニ及候ハヽ 将軍様ご自身惣
      大将ニて御征伐被遊候様との 綸言之趣ニ而
      将軍様を御先手同様之御扱ニ手有之 禁庭之
      御所置も如何ニ而 諸大名も銘々自国之御取□
      之御様子 右者浪人共弥以相募り 公家方も色々
      とそくらくし候由ニ付 浪人共御国中より手縄
      を引候様も難斗 薩州様者旅人一切入り込ミ不
      申 此方より差出候外聞共も 一向寄付不申候程
      ニ有之候間 御国中江無往来之旅人入込不申候
      様 御口屋/\取締候との事
111
  十八日 太守様 当月十六日靏崎被遊御着岸 来ル廿一日
      熊本江被遊 御着座候様 今日到来有之候事
      太守様 当月四日 二條城御成被遊御登城 同五日
      御参内 龍顔御拝 六日京都被遊 御初駕候段
      御到来ニ付御物頭列以上 便條を以御歓 御郡代
      以下明後十九日 御家老中 御中老中 廻方之御触
      達有之候事
  十九日
  廿日
  廿一日 太守様今朝七時之御供揃ニ而大津被遊 御発
112
      駕 四時頃ニ丸御屋形江被遊 御入 九時御花畑
      江被遊 御着殿候事
       今朝片山宅江同役中相揃 観音橋 御通行を
       奉伺候而 直ニ杭場へ罷出 少御間合も被為在
       溝口殿へ暫相待居候處 松野殿応対酒肴を振
       舞ニ相成候事
       何れも杭場 御目見申上候事
  廿二日 今度京都 御登りハ甚以御難儀之御時節ニ付
      乍恐御武運長久御勤伺速ニ被為済□ 遊 御下
      国候様廿一日一乗院江乍恐御祈祷相頼置候事
113
      に付き今日一乗院江御礼として神酒料 拾匁 小紙
      一把  一箱相送候事
  (廿三日・欠)
  廿四日
  廿五日 嶋原様御祖母様御下りニ而 今日長洲御泊りニ
      而御渡海之段至来有之候事
       右御通行ハ御用差支候ハヽ 同役不罷出候共
       不苦候由ニ付 今日者御用差支申候ニ付 其段
       上相答候而罷出不申候事
     一今夕此方家内隣家宇野家内上村方いつれも同
      道ニて権現山へ海老釣りニ参り候處 酩酊ニ及
114 
      其中 加惠寿共渡鹿天神へ参り候而 村上久太郎
      共河井家内連ニ而同様出浮居候間 帰り此方へ
      引而参候處 折節酩酊中ニ付失言有之 久太郎
      立腹いたし而引取候 夫より子飼刑部殿茶屋へ
      野々口家内共田中典儀方家内同道ニ而参居
      候間 同所より被相招暫饗応ニ而帰り候事
       右失言ニ付 翌朝村上へ参り相断候處 留守ニ
       付岩崎・入江は参り 右之次第及相談候處 久
       太郎其前入江へ参り相答候由ニ付 出勤之上尚
       入江取扱ニ而断相済候ニ付 夕方此方より尚
115
       又村上方江参り 呉々相断 和熟いたし候事
        以後酒を相慎候様記し置候事
      今夕権現山出浮伺ニおゐて 明後廿七日御用有
      之 御花畑へ罷出候様御達有之候ニ付 今晩直ニ
      刑部殿別荘へ袴取寄 荒木氏へ御受ニ参候事
       跡達而 其節ハ余程元気宜相見候断 同氏より
       噂ニ及候事
  廿六日 飯田丞之助宅發寄合ニ同役中罷越候事
  廿七日 今日於御花畑 御用有之候被仰渡左之通
       其方儀 御裏御作事御用懸被 仰付 出精相勤候 
116  
       ニ付 目録之通被下置旨被 仰出候
         御紋付御上下一具

      今日 御登城之事
       御奉行所 御入之事
  廿八日 今日到来大鼈二つ 茂見亀之助を頼 御次江差出
      候事
       追而 御歓被遊旨 同人より内分申達候事
     一今日乗馬引入之事
       栗毛五歳 代銭六百目 坂下平川亀右衛門所
            持 同人弟藤四郎より引入
117
        代金八両ニ相定五月十六日相渡

          (以下五月分・次回)

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